ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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色即是空

先日、田口ランディさんが般若心経を現代語で語るというのを聞いてきました。
現代語で聞いたら意味がわかるかな、という気持ちは少しありましたが、こちらに仏教の基礎知識がほとんどないせいもあり、わかったかといわれると、わからなかったと言わざるを得ません。

「一切は空なのだ」と言葉だけ放り出されても、「あ、そうなのですか」と言う以外にないのです。
それは訳の問題だけでなく、表現スキルにも関係しそうです。

そもそも「わかる」ということが目的ではなかったのかもしれませんが。

以来、空とは?などの問いが、頭の隅にあります。
それを楽しんでいます。

全ての事象には実体が無い、つまり色即是空だ。
だから、実体のないものに執着するのは無意味なことだ。
物事に対する執着を手放すことで、心の安らぎを得よう。

通常の理解とすれば、こんなところなのでしょうが。


さて、ここに、ある「物」があります。そして、私がそれを見たとします。
そこから先は、私が見た物の像、つまり脳がとらえたものが、私にとってのその物です。

どうとらえるかは、私の問題関心や、それまでの文脈に影響されます。
その物が実際にどうであるかは、もう問題になりません。

同じように、別の人はまた、その人なりの文脈でとらえます。
コミュニケーションは、その脳にとらえられた像がやりとりされるのです。

人間同士が生きて関わる上において、すべては脳にとらえられた像が意味を持っていて、現物は意味を持たないわけです。
これって「色即是空」に通じていないでしょうか。


昔のインドでは、辛い人生を心理的に超えるために、世のすべてはうつろうものと考えたのではないでしょうか。
そして今は、その点から考えを構築する必要はないのではないか。

目に見えるすべてはバーチャル、すべてはイメージなのだととらえてはどうか。
脳に映った像であるならば、それは無限の広さの中の極小の一点にすることもできれば、逆に宇宙に広がる大きさに扱うこともできる。
色をつけることもできれば、裏から見ることもでき、焦点を置き換えることもできるはず。

私の、最近の関心から見た勝手解釈ですが、そう考えることで、人間が健康的な視座を取り戻すことに、何か役にたつのではないかと・・・・・。
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by 50TEMPEST | 2010-10-22 10:50 | 見て聞いて考えた