ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

igarashi.exblog.jp
ブログトップ

八百長問題~コンテンツとプロセスで読み解く

大事件の後で、すっかり小さい扱いになってしまっていますが、大相撲の八百長問題の幕引きがこじれています。

ま、小さいというより、相対的に本来の大きさだとは思いますがね。
そもそもなぜこんなに騒がれるかを、ちょっと考えたいのです。


一般に、スポーツというものを、コンテンツ側に比重を置いて見る傾向が強くなっています。
大相撲も、その視点からばかり見てしまっているのです。
そこからボタンのかけ違いが起こり、どんどん話がややこしくなっています。

コンテンツ、つまり結果とか記録重視。
誰が、どんな決まり手で勝ったとかいうことです。

その逆はプロセス、つまり過程。
たとえば、どんな技の応酬があったとか、どんな思いがあったとかです。

プロセスを楽しむスポーツもあるのです。
代表はプロレス。誰が勝ったか、なんかあまり重視されませんね。
最終的に収まるところに収まるまでに、どんな技をかけあったかを楽しむのです。


相撲も、本来はそういうものだと思うのです。
毎日生でやっているのですから。
ここ一番は別として、手を抜くというのではないが、一応形を整えるだけの日もあるはず。

そのあたり、寄席の芸人が、毎日一応のレベルは保つけれど、本当の至芸を見せるのは時々、というのに似ているかもしれませんね。
興業なのは共通です。


つまり、議論のモノサシが違うと思います。
声高なコンテンツ側の論理に、プロセスが忘れ去られています。

スポーツをコンテンツ側に比重を置いて見るようになったのは、見る方に余裕がなくなっているためでしょう。
また、西洋流の、オリンピック風な価値観の競技が多くなっているからかもしれません。
そんなことが、結果重視の風潮になっているのだと思います。

子供の頃、初めて相撲をテレビで見たとき、なんだかどの取組もあっけなく終わるものだなと思いました。
でも、たまに思わず力の入る一番もある。

一日に何番もある取組を、酒や弁当とともに楽しみ、ごひいき力士の登場を待つ。
そんなゆったりした全体の流れも含め、プロセスを楽しむのが本来の大相撲だったと思います。

アンコあり、ソップあり、多彩な技を繰り出す人あり、怪力を見せる人あり。
本来、勝ち負けなんて一部でしかないのです。

しかし、今回の一連の対応で、相撲界自身が、コンテンツ志向に舵を切ったことになります。

ここまで来てしまったら、いまさら仕方がないのかもしれませんが、むしろ割り切れない感じがあって心配です。
[PR]
by 50TEMPEST | 2011-04-08 10:38 | 見て聞いて考えた