ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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官の公共サービスについて考える

西部劇を見ると、官というものがどうやってできたか、わかります。
道ができ、人が集まり、街ができる。

最初にできたのは市長のほかは、警察つまり保安官ではないでしょうか。
たぶん、銃のうまい男が選ばれ、住民の拠出した金から給料として受け取ったのでしょう。


ある時代まで、官の使命は、公共サービス網を行き届かすことでした。
国なら国、市なら市の管轄内で、住民のために便益を提供する。

それが税金を取ることの理由となるし、権力を正当化することにもなります。

当然最初は採算がとれませんから、民間が事業として手を出さないが必要だという領域こそ、官に期待されます。
明治の日本の官営事業など、その代表でしょう。

道を作るとか、鉄道を敷くとか、ある地域では採算がとれだしても、別の地域へと広げてゆきました。
多少もうからないことが見えていても、網を広げる。

官のサービスというものは、もともとそういうものだったわけです。
サービス網を行き届かすことで、そこにあらたに住民が住みついて、繁栄し、税金を納めてくれればよいのです。


しかし限度がありました。
考えてみると、そのモデルが成立するには、全体としての人口が増えていくという前提があったのです。

人口が減りだすと、お金を出す側の負担から苦情が出て、サービス網を広げることはできなくなりました。
たとえば、国鉄の地方路線は、広がらなくなったと思ったとたんに、今度はなだれをうって縮小に向かい始めましたね。


そう考えてくると、今の日本の人口の減り方では、他のことでも、同様の流れになると見込まれます。
縮小されたものは、民営化され、それでも採算が見込めなければなくなります。

学校も、縮小の流れが明らか。
ハコ物や病院などの運営も、公設民営などという旗印で、だいぶ官から民に移されてきました。


鉄道も郵便も、ということは物流も通信も、もともとは官の仕事でした。
ちなみに、軍隊風の制服を着ていたものは、たいていそうだといっていいのです。

残るは、警察と軍事ぐらいでしょうか。
それらがどんな形になるのか。
遠い先のことでもないと思います。
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by 50TEMPEST | 2011-08-21 22:47 | 見て聞いて考えた