年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。
人事考課はやめてしまえる、やめてしまったほうがよいと思います。
なぜそう言えるのか。
前回は、時代背景的なことを考察しました。
今回は、さらに制度としての給与体系の変化をみてみましょう。
経済成長下、大量採用の時代の必要から、いわゆる人事考課が生まれてきたと述べました。
その裏付けとなったのは、職能資格制度というものです。
賃上げ、賃上げと叫ばれた時代。
初任給が、1年に1万円も上がる時代があったのです。
職能資格制度は、これを安定させるために生まれてきた、当時としてはすばらしい制度です。
それまでポストと年次で決まっていた給与を、ポストと切り離したテーブルで行います。
先生のお流儀によって、多少の違いがありますが、大きくは皆似たようなものです。
資格のハシゴを作り、基本的にそのハシゴを登るようにしておいて、あるポストには、ある資格から登用するという考えにしました。
軍隊の階級と役職の関係と同じです。
これによってポスト不足が解決しました。
資格はどう決まるかというと、職能という概念を用いて、その職能の蓄積で決まるとしました。
これによって単なる年功とは切り離したので、古くいるだけでは高給をとれたそれまでの制度は否定され、勉強する人かそうでない人かで差がつけられるようになりました。
給与としては、毎年の職能の伸びに対応した分、昇給します。
この職能の伸びを査定するのが、人事考課というわけです。
わずかでも給与が上がると、人はそこそこ落ち着きます。
まじめにやって、標準的な評価をとっていけば、何年後にはだいたいいくらぐらいもらえるとなれば、人生設計も立てられます。
春闘だと大騒ぎして、仕事を止めて、結局百円玉が何個ということがよくありました。
給与テープルが明確になると、争点は、生活が苦しいからただただ上げろという形から、生産性がどれだけ上がったから、ベースアップしてテーブル自体を高めにしてくれという形へと、ずいぶん合理的になりました。
時代の要請として、職能資格制度はすばらしい働きをしたのだと思います。
つまり、果てしない上昇のエネルギーに、先を見せることで、秩序を与えたのです。