立川談志が死んでしまった。
志ん朝、円楽、談志と、一時代を作った人たちがいなくなってしまったと感じます。
新しい古典を作ったと言っていいでしょう。
私は、あまり好きではなかったけれど。
芝浜など、あまりにリアリズムで、楽に聴けなかったものですから。
でも、ひとつの演出形態であることは大いに認めます。
「現代落語論」も、高校時代すでに落語研究会だった私は、さっそく読みました。
これも、今言われるほどすごい本だとは思わなかったけれど、落語家が、芸談ではないこんな本を書くという才気には驚きました。
今のように、芸人が若い人のあこがれの職業であり、クイズで博識ぶりを競う時代ではありません。
「噺家はバカですから」と、誰もが卑下しまくっていた時代にですよ。
古典化が進んで、寄席で誰がやっても、テープで覚えたんじゃないの?と思うことがよくありました。
戦後の名人たちがすばらしかったせいです。
でも、そのままやったのでは下手なだけ。
昔の匂いもなくて、快くないのです。
談志は絶対そんなことはなかった。
彼が、師匠小さんはじめ、教わったとおりにやるなどありえません。
絶対、彼自身のものになっていました。
そんな姿勢、談志イズムが志之輔を生み、さらに今活躍している、喬太郎など、ユニークな演出をする若手落語家たちにつながっていると思います。
そうだ!これを「ダンシズム」と呼びましょう。
合掌。