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私のキャリア14 本社の回し者

人事に回されたのは、大阪時代、人事部長に反旗をひるがえしたせいです。
入社当時は、何となく人事志望ではありましたが、こんな形で実現するなどとは思っていませんでした。


大阪には2年いました。
1年半は営業部、後の半年は総務課でした。

行った当初、「支社長のお目付けに送られてきた、回し者だろう」などと、冗談半分に言われたものでした。
定期異動というものが始まって、第一号だったからです。

しかし、皆、温かく接してくれました。
それまでの本社総務部時代とは違う、たくさんのことを学びました。


その1 自分で稼ぐという、ある意味シンプルな理屈を知ったこと。

ある地方の営業所長が、営業会議で言いました。
「あの物件とこの物件のめどがたちました。うちの店も、今年も飯が食えますわ」。

地方の工事物件は限られています。
これとこれが取れれば、店の経費と、自分の給料と、上部組織の経費が出るというわけです。

ああ、仕事とはこういうものなのだ。
地方では、こうやって稼いでいるのだと、腑に落ちました。


その2 大阪の独立の気概を知ったこと。

当時、関西国際空港を作ろうという機運が盛り上がっていました。
名だたる関西系大企業のトップたちが、その実現に向けて、連絡会を作り、人を出して活動していました。

かなりお膳立てを作ってから、建設省OBを社長につれてくるといった進め方に見えました。
東京だったら、すぐ国からの金を引き出す算段とか、政治家を抱き込む工作とか、いろいろ聞こえてきそうです。

そうでないのは、ここが関西なのかなあと思いました。


その3 本社からの文書のわかりにくさを感じ、反省できたこと。
地方で受け取る文書は、まことに舌足らずで、わかりにくいものでした。

自分自身が書く身の時は、できるだけ簡潔に書こうなどとしていたものでした。
それ自体は間違いではありませんが、本社にいると、東京という地理的なバイアスや、上層部のあれこれが何となく聞こえているという立場的なバイアスがかかっていたのです。

そんなものがない立ち位置から、送られてくる文書だけを読んだ時、「どうせいちゅうねん」と突っ込みを入れたくなるのでした。
まことに冷や汗ものでした。


その4 歴史を体で学べたこと。

営業部では、ある時期、各地方自治体に書類を提出するという仕事がありました。
また、手形などを集金してくるのも、営業の仕事でした。

営業部とはいえ、私は管理業務の課長なので、支社の事務所にいると、毎日退屈でした。
思いついて、これらの外出を引き受けました。

本来の営業マンは、本来の前向きの営業活動をしてください。
支援的な仕事は私がやります、というわけです。

おかげで大阪市内や、近郊の街々を見て回ることができました。
たたなづく大和の山々を電車の窓から眺めたり、古墳の現物を見たりすると、古代の歴史の感覚が体でわかる気がしました。


さて、支社内の人事の都合で総務課長になり、しばらくすると、本社から人事部長が来ました。
転勤旅費の規程を改定することの説明でした。

要するに、会社負担の上限を作るので、今より少し自己負担が出るとの説明がありました。
それはおかしいでしょうと、人事部長と言い合いになりました。

経費を抑えたいという考えはわかるが、これから大いに人を動かして、社内に刺激を与えようとする時、動いた者が大きな経済的負担を強いられるのでは、はずみがつきません
ある方向に水を引こうとするなら、そこに障害物を置いてはいけないはずです。

翌日、実際にあった家族帯同のケースで試算すると、少しどころか大幅に自己負担が出ることがわかりました。
これは大変と、他の支社の総務課長に連絡をとって試算してもらうと、どこも自己負担が出て、驚いていました。

改定の説明は受けながら、たいしたことはないだろうと、誰も試算していなかったのです。
私自身は単身赴任で、初期経費はあまりかかりませんでしたが、自分の経験をフィードバックすることで、転勤制度を整える情報にしてもらおう、それが第一号の責任だとと思っていたので、試算する気になったのです。

早速、この実情を支社長に報告しました。
支社長も驚き、預からせてくれということになり、この案は結局、経営会議を通っていたにもかかわらず、発表されないまま、実質廃案になりました。

当時の支社長には、感謝しています。
それまでも色々やらせてくれたばかりでなく、あろうことか、決まった案にたてつくのを聞いてくれ、したくもない社内工作もしてくれたのでしょう。


ホッとしていると、間もなくまた次の異動シーズンがやってきました。
また異動になるから、本社に行って内示を聞いてこいというので、首を洗って、人事部長のところに行きました。

何と、今度は人事部人事課長だとのこと。
けんかした人事部長の元で働くことになってしまったのです、やれやれ。

ちなみに、転勤旅費の規程は、私が着任後に作り直しました。
今思えば、私は、扉は押せば動くものと信じ、また押すのが自分の役目と考えていたようです。

実は、大阪支社長にも、大阪転勤の半年前に、たいへんな迷惑をかけたのです。
それなのに、定期異動の制度ができ、まず動かしやすいスタッフ系からはずみをつけていこうという時、稼げもしない私を引き受けてくれたのです。

キャリア形成に大きな力を果たすのは、不思議な人間のご縁です。
そのあたりのいきさつは、次に。
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by 50tempest | 2014-08-11 07:56 | 自己紹介