ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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私のキャリア15 企業広報として

大阪で人事部長とケンカをし、それがキッカケで人事課長になってしまったのですが、その大阪に行く前には、大阪支社長にたいへんな迷惑をかけたのです。

当時、私は総務課で広報を担当していました。
新規採用で苦戦している中、会社の存在や実績を世の中に知っていただく必要があると考え、主要紙連動で、創立記念の広告を企画しました。

主要紙に一斉に1ページ大のカラー広告が、しかも創立記念日の前日に乗れば、社内に向けても、会社が変わりつつあるとアピールできます。
ところが、予算が少し足りませんでした。

日経、朝日は動かせません。
読売をとるか、毎日をとるかで迷いました。

実は、毎日新聞は大阪支社のお客様でした。
それは知っていたのですが、エイッと部数の多い読売を選びました。

何か言われるかなと思いながら稟議を書くと、社長まであっさり通ってしまいました。
一応OKをもらったわけです、「どこに出さない」とは書いてありませんが。

掲載当日、バッチリ出た広告を見て、やったぞと思っていると、大阪支社長から電話が来ました。
「あれは何だ」というわけです。

朝、毎日新聞から呼ばれて、答えられなかったそうです。
それはそうでしょう。

どんな場面が繰り広げられたか、今なら想像がつきます。
お客さんにしてみれば、腹の立つことでしょうし、会社としてそんな大がかりなことをしておいて、幹部が知らないわけですから。

冷や汗をかきながら、電話で事情を話しました。
リクルート目的であること、少しでも広く知らしめるために部数の多い新聞を選んだこと…。

電話の向こうの支社長が言いました。
「よし、わかった。大阪で持つから、直近で同じように出せ」

怒鳴りもせず、ポンと予算を出してくれました。
私にとっては、時間がずれたとはいえ、主要紙全部に出せたことになりました。

今思えば、ひどいことをしたものです。
スタッフの横暴と言おうか、営業の大変さを知りませんでした。

ちゃんと根回しして、少し予算をもらえないか、と事前にかけあうこともできたのです。
しかし、新聞にとりあげてもらったり、ちょっと気の利いたCMを出してみたり、それまでとは違うことを始めていたので、仕掛け人として、少しは私の名前を知っていてくれたのかもしれません。


もともと広報という仕事はありませんでした。
もちろん予算もありませんでした。

「うちは広告はしない」とトップが公言していたのを、少しずつ風を変えて、一時は億という単位の予算をもらえたのです。
一番最初に、大番頭である副社長の部屋のドアをたたく時は、腹をくくったものでしたが。

リスクを背負っても、一歩踏み出す仕事をしていれば、その周期はどんどん大きくなるのだと思います。
後に私が管理職候補になった時、この副社長が、「あいつはいい。あいつは自分の考えを持っている」と、真っ先に認めてくれたと聞いています。

では、どうやって広報という仕事に行きついたのか。
それは次に。
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by 50tempest | 2014-08-18 07:58 | 自己紹介