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ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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「思い込み」の諸相

思い込みには色々なものがありそうです。前の記事にいただいたコメントが、色々考えるきっかけになりました。

・女は弱いものだから、自分が守らなければならない。
・夫となった以上、家庭は自分が支えなければならない。
といったようなことは、交流分析では「汚染」といいます。
この場合は、育つ過程で親から聞いたことや、周囲の「あるべき」論などに影響されて、自分自身の大人としての判断の鏡が曇っているのですね。親の自我状態が、成人の自我状態を汚染しています。
この種の思い込みでは、相手の価値や力を正当に評価せず割引して見るということが起こります。たとえば上の例では、女性の能力を割引しているわけです。

また、私たちは生きていくなかで、「こういうことがあったらこうすればよい」というソフトウェアのようなものを蓄積していきます。これがあるので、いちいち考えなくても自動的に行動できるようになるわけです。これを「スキーマ」といいますが、これも考えれば思い込みの面がありますね。
つまり、「こういうことがあったら」といっても、まったく同じことが何度も起こるわけではありません。ある程度、事象を一般化するわけで、そのあたりがバランスを欠くと、大ぐくりに過ぎて周りの人と摩擦を起こしたり、細部にこだわりすぎて自分が動けなくなったりして、うまく事象を乗り越えられなくなります。

生きる上での価値観も、極論すれば思い込みかも知れません。その要の部分が崩壊すると、人生の価値そのものが崩壊したりします。たとえば、神のはずの天皇がある日人間になったというのは大変なことですから、60年前、国民は大なり小なり価値観の再構築を求められたことでしょう。

思い込みのおかげで、その部分に収まりがつけば、人間は心穏やかに暮らせます。だから、思い込みがいちがいに悪いということはありませんね。その思い込みのおかげで生きていられる人だって、きっといます。
ただ私としては、ある思い込みがその先通用しないということがわかったら、いさぎよくそれを改めたいものだと思っています。それはその思い込みが適用できなくなったというだけのことであり、思い込んでいた自分自身の価値そのものが下がったり否定されたりすることではないのだということ。その一点は大事にしたいと思います。

その片手を離す
男はみんなこうしたもの
by 50TEMPEST | 2005-06-25 08:10 | 日々の交流分析