1日に5000通受け取るというホリエモンとはくらべものになりませんが、私も毎日けっこうな数のメールを受けとったり送ったりしています。
読んで、これは過不足ないなと思うメールは少ないものです。概して、若い人からのものほど「ぶっきらぼう」で、年齢の高い人からのものほど「きゅうくつそう」に感じます。
心理学の研究によると、コンピュータを通した接触では、対面での接触にくらべて、私的自己意識が高く、公的自己意識は低くなるのだそうです。
私的自己意識とは、自分自身の見ている自分に対する意識です。公的自己意識とは、他人から自分がどう見られているかに対する意識です。
つまり、メールのやりとりでは、相手が見えない分、本来の自分の感情に素直になっているということですね。
書く側は他人からどう受け取られるか、他人にどう伝わるかはあまり考えない。しかし、読む側は自分の感情で受け取るので、気持ちに沿っていないと感情が刺激される。
手紙よりも、メールで読むと冷たく感じるのは、こうした心理的な背景があるようです。文字として残るので、始末に悪いこともありますね。
さて、メール文について、私なりの注意点は、次のようなものです。
・タイトルに本文の主旨を盛り込む。
例: ご連絡 ×
来月同窓会をしましょう ○
・「文書」でなく「手紙」の感じ。特に文末は会話の感じにして柔らかくする。
例: 標記の件、下記のとおりご案内いたします。 ×
・・・についてお知らせします。 ○
・・・ですね。 ・・・でしたよ。
・自分の感じていることを、言葉で書き込む。
例: とてもとてもうれしくて、スキップしちゃいました。
お忙しいところ、本当に申し訳ありませんが
(私的なメールなら顔文字もアリ、ただしわかりやすいものであること)
・返事を強制する形の表現にしない。
例: ・・・をお知らせください。 ×
お元気ですか。 △
・・・お知らせいただけると助かります。 ○
年代による傾向は、携帯メールに慣れているのか、紙ベースの「文書」に慣れているのかに関わりそうです。片方は気持ちの流れのままに書いて読み手に不足感を残し、片方は身に付いた形式意識や文書言葉にひっぱられて読み手に堅苦しさを残すというわけですかね。
どちらしても、もう少~しだけ公的自己意識を高めて(つまりは相手の身になって)書いていただけると、読む側としてはとてもうれしく思います。m(._.)m