Aさんの父親は、かつて人助けで保証人を引き受けたことから財産をなくしてしまいました。母親は事あるごとにそれを責め、父親自身もすっかり自信をなくして過去の自分を悔やんで暮らしてきました。
Aさんは、まじめなサラリーマンになりました。所属部門では、仕事のことは何でも知っているベテランで通っています。管理職昇格の話が何度もありましたが、彼は固辞してきました。リーダーになることは、うれしくもなんともないのです。それどころか、うまくいかなくて困っていることばかりが想像され、恐ろしくなってしまうのです。
Bさんの両親は子ども嫌いでした。育児放棄とまではいきませんでしたが、幼いBさんが何かを欲しがっても、それはほとんど与えられないか、与えられても嫌々。親の機嫌が悪いとペナルティつきのこともありました。
Bさんは、自発的に何かをやろうとしたり、あえて責任を負うようなことはせずに、なりゆきにまかせてそっと生きるスタイルを身につけました。
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人の前に立って責任ある役割を担うことは、ある人にとってすばらしい充実感を感じることです。しかし、別のある人にとっては、とても恐ろしいことです。
「重要であるな」の禁止令を持っている人は、注目を浴びたり、責任を持ったりするすることを避けてしまいます。それは色々天秤にかけて判断するというのではなく、無条件でそうした生き方をするのです。
たとえば親から「出る杭は打たれるのだ」「責任なんか引き受けたら、ろくなことはないぞ」という無言のメッセージを受け取ってしまった子どもが、この禁止令を持ちます。こうした人は、成長してチャンスがめぐってきても、自らそのチャンスをダメにすることさえあります。
あるいは、そこまででなくても「人生は分を守って暮らしていくことこそ幸せなのだ」という生き方の親は少なくないでしょう。そこからも、この禁止令を持ち、一歩を踏み出せない人が生まれそうです。
Bさんの例はこの禁止令の変形版で「欲しいものを求めるな」です。自分の価値や重要性を自ら否定することで、子どもは生存を確保しようとしたのです。とても悲しいことです。
人前で話そうとすると頭が真っ白に、口はカラカラになるような人も、ごく軽いとはいえ、この禁止令なのかもしれませんね。自分は向いてない、できないと決めつける人がよくいますから。
こうしてみると、「重要であるな」の禁止令を持っている人は、案外多いような気がします。
いずれも、大なり小なり自分が持っている可能性を閉じてしまっているわけです。そのことに自分では気づいておらず、それが幸せだと思っています。
確かに、自分がよければそれはそれでよいのですが、親の影響で間接的に狭められた人生だと知ったら、果たしてどうでしょうか…。
人の生き方を決めるもの 禁止令って?1
※自分の整理と説明のネタ用に書いています。記事に出てくるケースはフィクションです。
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