世の中には、ひとつのメッセージに対して、逆のメッセージもたくさんあります。親自身だって、時と場合によって使い分けているのです。
親から言われたといっても、たくさんのメッセージを子供がすべて丸のまま飲み込むとは限りません。
それは他人から逆のメッセージをも聞いて、取捨選択するようになるのでしょう。バランスがうまくとれて育てば、ひとつのメッセージが人を強く拘束するようなドライバーにはならないのかもしれません。
また、立派な親は、現状否定(今がだめだから)ではなく、子供をしっかり受け入れた上で、うまく指導するでしょう。そんな場合も、メッセージが人を強く拘束するドライバーにはならないでしょう。
しかし、誰しも、ひとつかふたつ強いドライバーを持ってしまうことも現実です。
それに対しては、成長してからも、子供の身として、親から言われたことには従わなければならないという心理がはたらきます。それがドライバーに拘束された状態です。自分の中のAC(順応した子供)の自我エネルギーが強く出るのです。
ドライバーにとらわれると、何か事に当たって、必ずしも目的に適合した選択でないのに、~しなければ~しなければ、と考えてしまいます。適切な選択肢が思い浮かばなくなります。
人によってはそのために苦しんだり、他人と軋轢を起こしたりします。
たとえば、完全であれのドライバーを持っている人は、デートの最中恋人の前でもすべてを完全に見せようとします。でも実際にはポカもします。すると彼は、自分を責めて落ち込みます。
そんな時、彼女が「そんなポカをする貴方が人間らしくて好きだ」と言ってくれたらどうでしょう。
1.完全であれ ⇒ ありのままでいいよ
今のあなたであっていいよ
2.他人を喜ばせろ ⇒ 自分を大切にしていいよ
3.一生懸命やれ ⇒ それをしさえすればいいよ
4.強くあれ ⇒ 自分の感情をオープンにしてもいいよ
自分の欲求を満たしてもいいよ
5.急げ ⇒ ゆっくりしていいよ
こうした逆のメッセージを「許可するもの(アローワー)」と言います。
ドライバー行動にはいりかけた時、敢えて別の判断ができるかどうかがポイントです。
誰かが逆のメッセージを言ってくれて、「なるほどそうだな」と思えれば、ドライバーへのとらわれから抜けることができます。
「しかし、こんな考え方もあるよな」と、意識的に自分のひきだしからアローワーを使い分け、最も解決に近い行動を選ぶという手もあります。
つまり、A(成人)の自我を強くできればいいというわけです。
実際にはなかなかむずかしいのですが、自分のドライバーに気づいていれば、こうしたことも可能なのです。
※自分の整理と説明のネタ用に書いています。
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