ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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因と縁と果

柳生家の家訓で、「縁」という言葉が出てきました。
私は仏教には詳しくないので、ちょっと検索してみました。

乱暴な言い方かもしれませんが、仏教の考え方としては、こんなことらしいです。

 すべての物事は因果関係として運命づけられている。
 もととなるものには、因と縁がある。
 因は内的な要素、縁は外的な要素である。
 いわば因は種であり、縁は育つ環境である。
 それが結びついて、果になる。

ですから、「大才は袖すりあった縁をも生かす」を字句に添って意味をとれば、自分を因として、より大きい果になるように、ささいなことも縁として考え、活用する姿勢が大事だと言っているのですね。


それはさておき、自分の立ち位置をちょっと整理します。

「因が縁に支えられて果になる」という、その構造についてはとてもわかります。
ただ、あらかじめ運命づけられている、という点については、ピンときません。

このところ、偶然ということの周辺を、チョコチョコ書いているわけですが、私は基本的には運命論者ではないのです。
たくさんの中から縁に出くわすこと自体は、偶然だと思っていますから。

ゴルフで言えば、1打打ったことで、2打目の視野が生まれるのだ、と考えるのです。
球が、たまたまどんな風の力を受け、どんな草の抵抗を受けるかは、偶然だと思うのですね。

で、そうしたことではじめて、先の展望が見えたり、プレッシャーを感じたり、誰かが賞賛してくれたり、いろいろなことが起きてくるのです。
それは、そうなってみないと自分にはわからないのですね。

たまたまバンカーに入ったとしても、それが何につながるか、はわかりません。
一見アンラッキーかもしれないが、相手が油断を生むなんて効果もあるかもしれませんよね。

「おもしろそう」とか「いけそう」とか肯定的に考え、積極的に行動するのが大事だと思うのです。そのほうが結果がよさそうだし、第一、楽しいじゃないですか、と思うから。
それだけのことです。



柳生家家訓とハプンスタンス
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by 50TEMPEST | 2008-01-26 08:30 | 見て聞いて考えた