ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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聞き手の責任

カウンセリングに関わっていると、カウンセラーの聴き方によって、クライエントの話の展開がまったく変わってしまうという体験をよくします。
当然、自己内対話や気づきは、まるで違うわけです。


さて、似たような、似ないような話を思い出しました。
私は学生時代、落語研究会でやっていて、時々お座敷を頼まれることがありました。
アマチュアですから、病院、老人会などの慰問、他の学校のイベント、サークルの勉強会などには時間の許す限り喜んでうかがいます。

しかし、セミプロ芸人扱いで、完全な余興として頼まれることがあります。これには困りました。
こちらは、基本的には、演じる場はほしいが芸人の真似事はすまい、というスタンスでしたので、ふさわしくないと思う場はお断りしました。
ただ、学生部経由で、何とか受けてやってくれなどというケースもあり、割り切ってやることもありました。

そうした場合でも、聞いてくれる状況であればいい。
正直、年1回の学外公演の費用をかせげるのは助かります。

一番ひどかったのは、某社の毎年の代理店招待イベントでしたね。
ある年は、新人女性歌手の前座。
次の年は、大衆演劇の人たちの前座。
それはいいとして、お客さんが料理と飲み物を取りながら、なのです。

それでなくとも落語というやつは、話を聞いて、頭にストーリーを描いてもらうという、まことに知的な営みです。
飲み食いが出ていると、人間は誰も聞かなくなるのですね。
お客さんに罪はないが、人間というものはあさましいものだと思ったものです。

そうなると、こっちはアマチュアだという腹がありますから、がんばりません。
形だけ、そそくさとやって、お礼の封筒をいただいて帰るということになります。
今思えば申し訳ないことで、もう少しやりようがあったとは思いますが。

しかし、誰も聞いてないところで、空回りしているのもつらいものです。
普通にやって15分くらいかかる噺が、10分かからずに終ってしまいます。
別の機会で、場所が和室、おなじみさんの多い観客、などという理想的な公演では、間合いをはかり、アドリブも入れたりしながら、もっともっと長くなるのです。

この落差。
話し手というものが、いかに聞き手の反応を読みながら話しているか、それによって影響されているか、という経験のお話。
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by 50TEMPEST | 2008-07-19 07:24 | 見て聞いて考えた