ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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時間の流れをどうとらえるか

時間の「流れ」は見えません。
でも時間は常に経過しています。

それを「流れ」と言った段階で、すでにひとつの比喩(メタファー)です。
水の流れのイメージを使って、視覚的に頭に浮かべられるように構造を与えているのですね。

年、月、日、時、分、秒といった一定の長さの単位で区切って、カレンダーを作ることも、人同士がともに時間を扱えるようにするための構造化の営みです。

音楽というものも、そうした延長線で考えられますね。
リズムとスピードの掛け合わせで時間に構造を与えて、楽しみの対象にしたと言えるでしょう。

交流分析には、自分の存在を確認できる刺激であるストロークの強弱を物差しにして、時間を構造化するという理論があります。


暦のような、普遍性を前提とした構造化の一方で、自分だけの構造化のしかたがあってもいいでしょう。

もっとも普遍性とは言っても、私たちが当然のように使っている太陽暦の時間の単位だって、我が国で使われるようになってまだほんの150年ぐらいのものです。
浅田次郎の短編「遠い砲音」に、時計を使って動きを合わせることに四苦八苦する兵隊さんが登場します。

古代の南米には常識的な人智を超えた暦を持つ民族がいたという話もありますね。


さて人は、常に流れる時間の、あるひとときに生を受け、何十年かの後に死にます。
その間を、自分なりの何か区切りのつけ方を見つけると、落ち着けると思います。

その区切りのつけ方とは、自分はこう生きるのだ(またはこう生きたのだ)という、哲学的なものになるのでしょう。
「こう生きる」というのは、つまり「こう時間を消化する」のだということなのですから。

その区切りとは何か。どんなものが考えられるか。
私にもまだはっきりとは言えません。

たとえば、「こんなことで時間を無駄にした」などとよく思いますね。
それをヒントにするとしたら、「何を生み出したか、あるいは何を生み出そうとしたか」によって構造化することもできそうに思います。


また人間は自分の人生に意味付けをしようとします。
ふりかえって、そこにひとつの物語を読み取ったりします。

それもひとつの構造化と言っていいのでしょう。
人間は構造化したがる、そうしなければ落ち着かない動物なのです。


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パソコンの不調でハードディスクを交換したため、しばらく更新がままなりませんでした。
セットアップという作業も、ずいぶん時間がかかるものですね。
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by 50TEMPEST | 2009-05-17 18:26 | 見て聞いて考えた