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ディベートをめぐって

前に、ふと思い出してディベートについてちょっと書いた記事が、案外コメントをいただきました。

その一人、ディベートを中高生に指導されている先生は、ディベートが招いている「誤解」についてお悩みのようです。

先生によると、実際には、ディベートとは「ジャッジを説得する競技」なのだそうです。
なるほど!競技についてのこの定義は納得できます。

私を含めて、チーム同士が勝ち負けを争うという面ばかりに目が行きがちなのです。
私も教わったとき、「第三者を説得するもの」と言われた気はしますが、それよりも「ジャッジを説得する」というほうが、本質を言い得ているように思います。


先日アメリカでの企業生活が長い方から、おもしろい話を聞きました。
彼は、以前にいたインテル社で、こんなことをしたことがあるそうです。

 まず英語で、あるテーマについてディベートをした。
 「OK. I agree」でまとまった。

 次に日本語で、あえて同じことをディベートしてみた。
 皆、2週間気持ちをひきずった。

日本語の構成とか、日本人の感性とかに関わることだと思います。
簡単に言うと、コンテンツとプロセスが混然としているとでもいいますか。


ディベート競技を見た方はおわかりですが、競技での立論とか反駁とかで話す様子は、弁論といったものとはだいぶ感じが違います。

とにかく早口です。
時間内に、言う必要のあることを言いたてます。

社会人の、うまい人ほどそうです。
思いなどを抜きに、論理だけを抜き出すので、それでもいいのでょう。

ジャッジは、これをちゃんと聞きわけ、判定します。
経過を記録するフォーマットがあるのですが、私はとても書きとれませんてした。

ここで大事なことは、判定は、論理の積み上げができているか、その弱いところを突いているか、などを見ているということです。
エピソードや話し方で感動を与えるといったことは、必要ありません。、


さて、これらを考え合わせると、ディベートに対するいわゆる「誤解」というものは、ディベートの本質的な特性と、日本語構造ないし日本人の言葉の感性とが、不協和音を発していることから生まれているように思えますね。



ディベートが嫌い
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by 50TEMPEST | 2009-07-31 11:34 | 見て聞いて考えた