ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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カテゴリ:転勤プラス発想適応法( 18 )

あなたも単身赴任ができる・・・単身赴任を楽しむ(落穂ひろい)

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●安藤忠雄のファンになる
建築家の安藤忠雄さんはすっかり世界の有名人になりましたが、彼のフィールドはまず関西ですし、私の在阪中、京都駅の建替えコンペやバルセロナの日本館などの仕事を通して彼の名前を聞く機会が多くなりました。たまたま大阪で彼の作品展があって、出かけていって著書にサインをいただいたりしました。
転勤前に彼の講演を一度聴いたことがあり、笑い転げた記憶がありました(そこらのお笑いより楽しいのですよ)。またその頃私は会社の建物の建築を担当したことがあって、建築というものにおもしろさも感じていました。
教会の十字架をコンクリ壁の隙間で作ってしまう(ということは、雨風もそこから入る)ような彼の発想は、私にはまったくないものですが、何か説得性があって、私は大好きです。

●お祭りを見なかった
2年しかいなかったので、お祭りに足を運ぶことがありませんでした。これはちょっと心残りでした。実際に体験したのは、祇園祭の宵山だけで、天神祭りもだんじりも見ませんでした。テレビ中継(ローカル局など)は録画して帰宅したときのお土産にしましたが、雰囲気までは伝わりませんよね。もう1年ぐらいいたら、カメラを抱えて見に行っていたような気がします。

●あなたにも単身赴任はできる
このシリーズを読んでくださった方には、古いものばかり見て回っていたように思われるかもしれませんが、新しいものもけっこう見ていたのです。当時若い人が集まる「アメリカ村」なんてものができ、そんなのも好きでした。
大阪で「いっちょかみ」という言葉を知りました。「いろんなことに興味を持ち、ちょっとだけカジる人間。そして、何にでも首を突っ込みたがる人間」ということのようです。
いいですね。かっこよくいえば、「好奇心」と「行動力」。アメリカ村も、若い「いっちょかみ」たちがお堅い規制を打ち破ってできてきたのだと聞いたように思います。
単身赴任者も、自分の世界を追及するもよし、土地に溶け込んでいくもよし、、「好奇心」と「行動力」があれば、楽しく有意義な時間を生み出していけると思います。


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by 50TEMPEST | 2005-08-17 07:49 | 転勤プラス発想適応法

ともに白髪の・・・単身赴任を楽しむ(番外)

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●家族関係
転勤が会社生活の付き物として考えるとき、家族の問題がつきまといます。夫婦関係、子供の学校、持ち家の始末、などなど。帯同にしろ単身にしろ、対処すべき問題は出てくるわけです。
ただ、概して、この波を乗り越えることで家族がまとまるということは多いだろう思います。私の場合も、結果としてプラス効果を感じています。夫婦ともども、それぞれ互いの存在の大きさを確認できたと思っています。

ぢいさんばあさん
東京に戻って何年もたってからですが、歌舞伎座でこの芝居を見ることがありました。今風に言えば「単身赴任」中にトラブルに会い、37年戻れなかった侍とその妻の話です。配役は、夫伊織が勘九郎(当時)、妻るんが玉三郎でした。筋はリンクで読んでいただくとして、このとき私は異常な感動を覚えたのです。
お互い70歳を超えて元の家で再会した2人、よもやまの話をします。
るんは、「旦那様、ほめてくだされ」と、大名家の奥女中を長く勤めた、いわば表彰状を見せます。
伊織は「わしのほうは見せるものがないな」と言いながら、ふと思い出して取り出したのが、赴任のときに妻が持たせてくれたお守りです。伊織は37年肌身はなさず身に着けていたのです。
この場面で私の涙は止まらなくなりました。どちらかというと涙もろい方ですが、そんなものではない、しゃくりあげるほどです。隣を気にしながらも、ハンカチを顔に押し当て続けました。
さて翌朝、見なかった妻にその話をしたのですが、ストーリーがあの場面まで来ると、またこみ上げてきて、話し続けられなくなってしまいました。

●単身赴任
「ぢいさんばあさん」にしろ「5つの銅貨」にしろ、「単身赴任」と「子供(とりわけ女の子)」は、どうも私のスイートスポットになったようです。自分で気づかないうちに、ある種の感情を押し殺していたのかもしれません。
とはいえ、「単身赴任は家族にとって望ましくないから、やらないほうがよい」とは考えません。むしろ今の時代、帯同にこだわるべきでないと思います。
転勤も人生のスパイスのひとつであり、要はそれを乗り越える姿勢なのだと思います。
また、今そう思えることについて、妻への感謝と、幸せを感じています。
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by 50TEMPEST | 2005-05-30 07:24 | 転勤プラス発想適応法

平和なワンルームマンションの日々・・・単身赴任を楽しむ16

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●ある朝
そろそろ出勤しようと思っていると玄関のチャイムが鳴りました。
「あのー、隣の○○ですけど・・・」
「はい、何でしょう」
「お宅、アライグマ飼ってませんか?」
「エーッ?ア、アライグマですか?・・・・・・飼ってませんけど」
「ベランダから入ってきたんですよ。・・・・・・どうも、お騒がせしました」
「・・・はあ、・・・・・・どうも」

入居したとき、両隣と階下の状差しに挨拶のタオルと名刺を入れておきました。でも顔をあわせることはめったにありません。ご近所にどんな方がいるのか、ほとんどわからない状態です。
この事件の後、隣家の若い男性に会うことはありませんでした。アライグマはどうなったのでしょうか。

●ある休日
掃除機のスイッチを切ったら、開け放したベランダから歌声が聞こえてきました。
ヴェルディ「椿姫」の中の「乾杯の歌」です。それも、ちゃんとイタリア語のソプラノです。

 アルフレード: 楽しい杯で喜びの酒を飲みほそう
          はかないときを快楽にゆだねよう
          愛を呼び覚ますときめきのうちに杯を飲みほそう
          彼女のまなざしこそ、僕にはすべてに勝るのだから
          乾杯しよう
          愛によって、熱い杯の間に口づけを得るだろう
 ヴィオレッタ: 皆さんと一緒に楽しいときを過ごしましょう
          喜びでないものは、すべてむなしいものです
          楽しみましょう、はかない愛の花を
          今楽しまなくては、すぐしぼんでしまいますわ
          さあ、楽しみましょう
          杯と歌が、夜々この楽園を新しくするのです
 ヴィオレッタ: 生きがいは宴の中にこそ
 アルフレード: 愛を知らないうちは
 ヴィオレッタ: 知らないものにはおっしゃらないで
 アルフレード: これが私の運命ですから

          さあ、楽しみましょう
          杯と歌が、夜々この楽園を楽しくするのです

ベランダに出てみると、同じ階の数軒先の部屋らしい。音大の学生さんでもいるのでしょうか。
いいなと思ってると、ヴィオレッタのパートが終わりました。
次はアルフレード(テノール)との掛け合いです。

ここで私が歌い合わせられれば何かドラマが生まれたかもしれませんが・・・・。
世の中そうはうまくいきませんね。

曲を聴きたい方はこちらへ→乾杯の歌

・・・続く(かも)
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by 50TEMPEST | 2005-05-11 07:53 | 転勤プラス発想適応法

大きな視野で考えると・・・単身赴任を楽しむ その15

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●時間の構造化
交流分析に「時間の構造化」という概念があります。
人は時間について枠組みのない状態に置かれると、自分でその枠組みを作り出すということです。ストローク(自分の存在を承認してくれるやりとり)の強度に応じて、以下の6段階があります。

 引きこもり  ・・・自分の頭の中の世界だけで過ごす時間
 儀  式   ・・・挨拶のような、意味のないやりとりで過ごす時間
 暇つぶし   ・・・友達との意味のないおしゃべりのような、行動をともなわない時間
 活動・仕事  ・・・物質的かつ具体的な成果のためにエネルギーを使う時間
 ゲーム    ・・・負のストロークを求めてやってしまう、こじれた交流の時間
 親  密   ・・・真の要求と感情の交換がおこなわれる時間

●ストロークを求めて
単身赴任中、これまで書いてきたようないろいろなことをやっていました。
時間の構造化に照らして考えると、どんなことになるのでしょう。自分自身でやっていたのですから、引きこもりのようでもありますが、少なくとも行動をともなっていました。
活動・仕事と言っていいのではないかと思います。そこで得られたストロークは、たとえば公開録画を申し込んだ結果通知の葉書が郵便受けに入っているといったもので、本物のストロークとは言えないかもしれませんが。
結局、家族との親密な時間が十分でない、会社の仕事でも納得感のある活動ができてない、といった状況の中で、少しでも強いストロークを得ようと、あがいていたのかもしれませんね。
しかし、これでそれなりにストロークを得ていたおかげで、こじれた交流の世界にはいりこむこともなく、身体をこわすこともなく過ごせたのだろうと思います。

・・・続く
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by 50TEMPEST | 2005-04-24 13:47 | 転勤プラス発想適応法

大震災が・・・単身赴任を楽しむ その14

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●支援に動員
10月に東京に戻って少ししたところで、神戸であの震災が起き、多数の社員とその家族が被災しました。
大阪支社が支援基地になり、当日から、多少とも現地を知っている私も動員されました。
怪我をした社員もいましたし、家族に赤ちゃんを抱えてミルクやオムツを求める社員もいました。現場対応のために現地に詰めた社員は、まともな食事ができないためにオナラばかり出る状態で、トイレに行くたびにビルの階段を地階まで上り下りしました。ビタミン不足で風邪も流行りました。そうした中で、連絡を受けては、購入と輸送の手配をする日々でした。
被災した社員とお客様に配るために、全国の社員の協力でカセットコンロ、ボンベ、ポリタンクが集められました。会議室にうず高く積まれたボンベ(危険物)のダンボールは壮観でした。

●現地を見に
被災の状況を見ておこうと思い、時間を見つけて、交通機関が動いている範囲まで行ってみました。
1階がガックリと坐屈したビルや、通りに横倒しになったビル、倒れたブロック塀、完全につぶれた民家、一方向に倒れた墓石群、・・・・。聞きしにまさる悲惨さに、言葉を失いました。言葉になりませんでしたが、人間として、これは見ておくべきなのだと感じました。
帰宅してから、妻と娘にもこれを実際に見ておくように言い、だいぶ日が経ってですが、ついでがあった折に足を伸ばして見に行かせました。
私自身も、後日もう一度、今度はだいぶ開通していたので三宮まで行きました。
単身赴任中に遊びに来て、にぎやかな雰囲気を知っている町で、大きなビルが崩れたままになっているのは不気味でした。あらためて自然の猛威を感じました。

・・・続く
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by 50TEMPEST | 2005-04-19 08:43 | 転勤プラス発想適応法

学び?の日々・・・単身赴任を楽しむ13

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●モーツァルトと歴史感覚
大阪にいる頃、モーツァルトの没後200年ということで、テレビで記念番組やオペラ放送がありました。これは私にとって、とても幸せなことでした。歴史を見る視点ができたからです。
音楽室に並んでいた音楽家たちの肖像画を見て、的確に時代とリンクできるものでしょうか。私は、カツラをかぶった人たち(音楽家に限らず)はずいぶん昔の人のような気がしていました。
それが、モーツァルトを視点におくことで、他の音楽家や、歴史上の出来事がパタパタと整列してくれました。
・フランス革命はモーツァルトの晩年に起きた(このへんは映画「アマデウス」から)。
・ベートーヴェンは子供の頃モーツァルトに会った(これはクイズ番組から)。
てな具合です。
今の社会体制につながる大きな事件は、たかだかこの200年のうちに起きたのだなと、あらためて感じました。

●ウクレレ
転勤直前に、楽器が弾きたくなって安物のウクレレを買ってありましたので、大阪で時々ポロポロと練習しました。ただ情けないことに、コードの指をすぐ忘れてしまうのです。高校時代、ギターコードはすぐ覚え、今だにけっこう覚えているのに・・・。
誰かが結婚するとき、ハワイアン・ウェディングソングでも歌おうかなんて思ったのですが、結局、物にはなりませんでした。

●4級船舶
車の免許を持っていないので、身分証明書替わりに船の免許というのもカッコいいなと思い、パンフをもらったことがあります。戸籍謄本がいるらしく、税金の関係で住民票を動かしてないとどうなるのかな、などなど考えているうちに、戻ることになってしまいました。

●国家資格
時間はあったのですから、何か資格の勉強をしておけばエラかったと思います。何かやってみようかと思わなかったわけでもないのです。
帰京後は人事部門になりましたので、今思えば、社会保険労務士ならベストでしたね。あの頃なら記憶力も今よりはましでしたし、資格のほうもいくらかとりやすかったようです。社労士はそれから何年も後にチャレンジしたものの、モチベーションが上がらず、あきらめました。あの時とっていれば、また人生が変わっていたかも知れません。
ここまで書いてきたように、基本的に気が多いのか、私は色々遊んでいましたので、結局資格というものはなにもとらずじまいでした。しかし、自由な時間を生かすという点では、資格へのチャレンジはやはりお薦めです。

・・・続く
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by 50TEMPEST | 2005-04-06 08:01 | 転勤プラス発想適応法

はがきエッセイを書く・・・単身赴任を楽しむ12

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●はがきエッセイ
2年目から、毎月はがきエッセイを書き始めました。東京でお世話になった皆さんに、元気でやっていることを知ってもらおうというわけです。まず家庭用ワープロを使って、はがきに一杯にプリントできる量を決めます。そして、それが自分のコラムというつもりで書くのです。始めたきっかけが何だったかは覚えていません。

●ネタさがし
タイトルを「ナニワより愛を込めて」としました。自分がどんなことをし、考えているか、また大阪はどんなことがあるか、といったところが基本の内容ですが、読者を意識するので、ネタさがしに気を使いました。
これはというネタにぶつかることもありますが、それとてもふだんからアンテナを磨いていないとキャッチできません。また毎月のことなので、いつも一発オーケーとはいきません。何かおもしろいものに出くわしたときはメモをします。気づくと、常時複数のネタの種(1本にならないようなもの)を抱えて、ひまなときに頭の中でころがすようになっていました。

●頭の中の圧力釜
毎月1回ですから、月末が近づくとネタ作りに頭が活性化します。これは不思議な体験でした。まるで違うと思っていたあっちの種とこっちの種が、ふと一緒になって1本ネタができるなんてこともありました。

●1日仕事
原稿書きからプリント、投函まで、土曜日の1日がちょうどつぶれました。
限られた枠に収めるために、言い換えてみたり、削ってみたり、苦しくも楽しい体験でした。今、エッセイのようなものであれば、書くことがあまり苦でないのは、この経験が肥やしになっていると思います。始めてちょうど12回でまた東京に異動になりました。

●言の葉の行方
当時はもちろんブログはありませんし、eメールもまだ普及していません。今、動機を考えれば、広い意味でコミュニケーションに飢えていたのかもしれません。
はがきを送っていたときはこれといってフィードバックはありませんでしたが、東京に戻った後、ある友人の奥さんが「楽しみにしていたので、戻ってももっと書いてください」と言ってくれて、自分の小さな言の葉の行方を確認できました。

・・・続く
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by 50TEMPEST | 2005-03-31 07:59 | 転勤プラス発想適応法

公開録画を活用する・・・単身赴任を楽しむ11

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●音がほしい
家族生活の味を覚えた後の単身生活は、何といっても寂しいものです。まず帰宅するなりテレビをつけます。テレビでなければCDです。とにかく音がしていないときはなかったと思います。
寂しいといえば、週末に帰宅したとき、日曜の夜に自宅を出て大阪に戻るのが一番やりきれない。あたりは暗くなり、ご近所はこれから団欒のひとときです。こっちは誰もいないところに戻るわけで、寂しさがつのります。新幹線に乗ってしまえば、まあ似たような人たちが一杯で、なんとなく紛れはするのですが。

●公開録画に
テレビを見ていて、おもしろそうな公開録画や試写会が色々開催されているのを見つけました。そこで、葉書を買い込んでおき、興味のある催しがあったらすぐ書いて投函できるようにしました。
これがけっこう当たります。そして土日だろうが平日の夜だろうが、暇ですし、住まいも近いので、行けちゃうのですよ。

●枝雀寄席
一番行ったのは「枝雀寄席」の録画です。朝日放送ABCだったかな。
桂枝雀師匠が元気なときで、毎回楽しませてもらいました。お値打ちでした。タダじゃ申し訳ないです。

●ストローク不足
さて、やっているうちに気づきました。当たらなくても、それはそれでいいということにです。ポストをのぞいたとき何か入っているという感覚。副次効果ですが、これが馬鹿にできません。
つまり、慢性的に、交流分析でいうストローク飢餓の状態(当時はそんな言葉は知りませんでしたが)なわけで、これに対して自分でも気づかず代替ストロークを得る仕掛けをしていたということになりますね。

・・・続く
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by 50TEMPEST | 2005-03-30 08:00 | 転勤プラス発想適応法

洋画のビデオを見まくる・・・単身赴任を楽しむ10

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●ビデオ借りまくり
夜は暇なので、よくビデオを見ました。前からテレビの洋画劇場が好きでした。
転勤のかなり前のことですが、「名画パラダイス365日」という本があって、紹介されている「黄金狂時代」から始まる新旧183作品のうち、見たものを消しこんでみたら、100以上は見たことがありました。
さて、大阪に行ってから、この完全制覇を思い立ちました。
近所の大きいビデオ屋3軒の会員になりました。リストにあるものを見つけては借りて見まくりました。最終的に制覇まではいきませんでしたが、95%以上はつぶしました。

●部下まで巻き込む
2年近く続けると未鑑賞リストはかなり消えたものの、近所の店にはなくなってしまいました。残ったのは珍しい作品ばかりです。
ある日、このことを部下に話すと、うれしいことに捜してくれるというのです。リストのコピーを渡し、見つけたら借りてきてもらいました。4~5本はそんな形で見ましたね。
たとえば、アラン島(セーターで有名)の厳しい生活を映していくだけの「アラン」という作品にはこうして出会いました。

●哀愁
こうして見た中で一番印象に残っているのは、「哀愁」のヴィヴィアン・リーの美しさです。
「欲望という名の電車」のイメージがあって、それまであまり好きな人ではなかったのですが、「哀愁」で完全に参ってしまいました。

●英語
昔の映画の英語はとてもきれいです。たくさん見ているうちに、ひどいもので英語がけっこう聞き取れるようになりました。
最近の映画はだめです。自分がなまってしまったこともありますが、速くて聞き取れません。映画の英語というより、一般に話されている英語が変わったのでしょうね。
昔はアメリカでも階層差があって、ゆっくりした話しかただったのかもしれません。

●5つの銅貨
大阪時代、一番感動した映画(ビデオ)は「5つの銅貨」です。これはリストにあったものではありませんが、有名な作品です。
映画の中では、父親がミュージシャンの仕事に明け暮れるうちに、娘が小児麻痺になってしまいます。そして彼は仕事を捨てます。
我が家も1人娘なので、作品に感情移入してしまい、週末の夜ボロボロ泣きました。

・・・続く
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by 50TEMPEST | 2005-03-23 08:00 | 転勤プラス発想適応法

病気は心細い・・・単身赴任を楽しむ9

平成3年から2年間、大阪で単身赴任しました。わずか2年間とはいえ、とても凝縮した時間であり、私の人生にとって収穫も多かったと思っています。シリーズで思い出をまとめます。
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●ヘルペス騒動
1人暮らしで一番心細いのは病気です。大学時代の1人暮らしは、若いし気ままなものですが、中年からの1人暮らしは心細さが沁みます。
ある日ベルトの位置にポツンとした痛みを感じました。頭に浮かんだのは盲腸でした。
会社の近くのクリニックに行ってみると、そうではなく、腎臓に小さな石が見えるということでした。これはこれで厄介です。手術なんて事態も考え、大学の先輩が大病院の薬剤師をしていたので紹介してもらって泌尿器科を受診しました。
原因はヘルペスでした。そういえば少し前からベルトラインに発疹があってかゆかったので、ダニでも出たかと思ってかゆみ止めを塗っていたのです。
皮膚科に廻され、またうんと待たされ、結局「手遅れ」でした。つまり早ければ抗生物質が使えるが、ある時期を過ぎるとウイルスが潜伏してしまうので治せない(またいつか出てくる)というわけです。

●尿管結石
石のほうは、半年に1回の検査を続けました。暴れだしたのは、戻って2年目ごろだったでしょうか。会社のそばの泌尿器科に見てもらっていましたが、結局出るのを待つしかないと、坐薬(痛み止め)をくれただけでした。
しばらくして、腎臓の襞にへばりついていると聞いていた石がはがれました。会社を出て歩き出したときで、はがれた感じは、はっきりわかりました。
痛み出したのはそれからでした。夜昼おかまいなしに、時々痛くなってきます。脂汗が出る深い痛みです。坐薬を使って少しすれば治まりますが、電車の中などでは閉口です。
何ヶ月かして、やっと出ました。12ミリ×10ミリ×7ミリくらいの白い石でした。

●老眼が始まる
大阪で40歳を迎えました。目の変調を感じたのはその頃です。
ちょっと針仕事(白い生地に白い糸で直し物)をしているとき、まぶたがピクピクしてしかたがないのです。
その後、年賀状のための絵を描いているときも、同じ症状が出ました。
日中は何ともないのですが、夜の照明の下では細かい仕事がつらい。老眼の始まりでした。

・・・続く
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by 50TEMPEST | 2005-03-21 09:20 | 転勤プラス発想適応法