ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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カテゴリ:人事と給与( 23 )

人事考課をやめるとしたら 支えるものは

年中行事としての人事考課は、もうやめてしまい、別の仕組みにするほうがよいと考えてきました。


3回にわたって書いてきたように、結局普通の社員が考えていることは、この程度でしょう。
それは、ちゃんと教えてもらえてないのです。

詳しく教えると、上司がつける評価につじつまが合わなくなってしまうと思うからでしょう。
どうしたって、理屈通りにはいかないことは起こります。

また、制度自体がむずかしすぎるのです。

絶対的な等級基準を設定して、それに照らして決めるなどというのは、美しいのですが、実は困難です。
人も世も動きます。
その動きを反映させつつ、基準を変化に対応させていくなど、そもそも自己矛盾ですし、やろうとしたら膨大な手間です。


結局、人がこれだけいて、原資がこれだけある。
これを前向きにどう使うか、が本質なのです。

よく見て、納得ずくで分けるのがよいのです。

よく見るために、忙しい管理職の手間を減らすのです。
見るべきポイントを減らし、見る機会をつくることをルールにすること。

極端な言い方をすると、管理職のコミュニケーションを増やすことに徹することです。
そして、近くで見ている人に裁量権を与えること。

会社全体として、ある程度のツジツマ合わせには目をつぶること。
手間暇をかけても、分けるべき原資が増えるわけではありません。


会社がどこに行こうとしているか、今どこにいるか、は繰り返し語られるべきです。
そして、そこに個々の社員がどう関わっているか、どう貢献しているか、も同様です。

会社にいることの、自分の立ち位置がわかり、役割がわかり、したことへの感触がわかれば、人は働きます。
制度は、その目的に沿ってつくられるべきだと思います。
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by 50TEMPEST | 2011-10-05 07:54 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら される側の視点から③

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。

今の一般的な考課を、社員はどう感じているのでしょうか。
視点を変えて、ある若い社員の立場で考えてみます。

◆目標設定

結局、毎年の目標からいろいろ決まってくるわけですよね。

うちの場合、仕事の改善とか自己啓発とかの領域と、業績の領域とりょうほう立てることになってます。

改善なんかは、等級にふさわしい目標をって言われますけど、営業の場合、1年かけて何かやるって感じにはなりませんね。
商品に対するクレームなんかのフィードバックは、その都度上げるし、する仕事そのものは基本的にいつも同じですからね。

何か立てたとして、どこに反映されるんでしょうねえ。

それよりやっぱり業績の目標が気になりますね。
上から数字が降りてくるわけで、目標と言ったって、結局ノルマですよね。
どう違うんですか。

課長は、基本的に任せっぱなしですから。
まあ、途中でどうこう言われても困りますけど。

なるべく主力商品を売りにかかります。
そうでないと、評価上低く扱われますから。
でもお客さんから引き合いが来れば、それは無視できないし。

お客さんが買う商品傾向によって、分担にちょっと不公平を感じたりします。
私の場合、そんなことは課長にはっきり言うことにしてます。

それと、目標もエイッと大きく出すことも多いです。

最初から駆け引きして、チマチマした数字を目標にしたがる人も知ってますよ。
それで、期末に無事達成というのと、自分のように、チャレンジしたけど届かないというのと、扱い上どう違うんですかね。
課長もよくわかってないようですが。

どうせ景気の風がどう吹くか、数字が届かなきゃそれまでのことと思ってます。
自分なりには、会社が今どうしたいのか考えて、受けるようにはしてるんですよ。

とはいえ、期末近くなると、皆数字合わせです。
課長も、気にし出しますから。
それまでは、課長は自分の数字のことで一杯の感じです。

日々の仕事は仕事。目標は目標。
目標は期末の関心ごとって感じですかね。

自分だって、目標は届きたいからがんばりますよ。
調子がいいときとか、逆にどうやってもダメなときは、ああこの分を来年に回したいなと思いますね。
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by 50TEMPEST | 2011-10-04 19:21 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら される側の視点から②  

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。

今の一般的な考課を、社員はどう感じているのでしょうか。
視点を変えて、ある若い社員の立場で考えてみます。

◆昇格・登用
偉くならないと給料は上がらないんだというのが、仲間たちとの間の結論です。

とはいっても、課長たちが疲れた顔してるのを見ると、ストレスと交換で少しぐらい上がってもなあ、と思います。
ひとりでやってる分には、今でも何とかなってるし・・・。

一時、期待の星と言われた先輩が、一回大きなミスをしてから、いつまでたっても昇格しないのです。
そんなものなんですかね。
もうポイントは挽回したと思うのですが。

ま、上のポストはつかえてるから、よほど目立たないと、自分に順番は回ってこないでしょう。
毎年、地道ながら結果は出してるつもりですが、それってどうなってるんでしょう。

自分よりパッとしないやつが昇格したことがあります。
本筋でない部門で、人はスカスカなんですが。

自分は本筋の部門で、仕事に感触はあるんだからと理解しているつもりですが、本音は少しおもしろくない。
ぜんぜん先が見えません。


◆異動
先輩が、家を買ったとたんに、地方転勤になりました。
やはり、サラリーマンの都市伝説ですね。

毎年の面接でわかっているはずなんですけど、そんなものなんですね。
いつか自分が持ったときには、何とかまぬがれたいです。

異動は、どうやって決まるんでしょう。
よくわからない。

優秀な人は案外動かないように見えます。
いなくなってほしい人も動かない。

できれば、慣れた仕事からは変わりたくないです。
お客さんと話も通じるようになって、おもしろいことをしかけたいね、と言い合ってるところですから。
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by 50TEMPEST | 2011-09-29 07:26 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら される側の視点から①  

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。

今の一般的な考課を、社員はどう感じているのでしょうか。
視点を変えて、ある若い社員の立場で考えてみます。

◆昇給
給料はちっとも上がらないものだ、と思っています。
特に近年は。

上がるのは、毎年数百円。
けっこうがんばって仕事をしているつもりですが、それほどとは思えない同期とは、額にしてわずかの違い。
これがAとかBの差なのでしょうか。

上の人は、がっちりつかえてる感じだし、いつまでもこんな程度の伸びだと、将来どうなるんだろうと思ってしまいます。
年金が不安だから自助努力しろなんて、雑誌なんかに書かれていますが、ちっとも残りません。

結婚したら、妻にも働いてもらわないと、やっていけるか心配。
いろいろチャンスがあって、それが評価されるなら別ですが、そうでなければ、給料については、ある程度年功で上がっていくのも悪くないな、と思っています。


◆賞与
ボーナスはまあ安定的にもらえてるだけ、ましかなと思います。

期末の面接では、課長から、いい評価にしたと言われています。
確かに、同期では一番らしいのは、少し鼻が高いです。

でも、一番気になるのは、前回より額が増えたか減ったかです。
がんばったのが、そこに結果として現れている気がしますから。

今年は、目標額も達成して、絶対いいと思っていたんですが、会社全体の業績がよくなかったとかで、むしろ減ってしまったのでガッカリです。
これって、どうなんでしょう。

課長に認めてもらったのが、せめてもの心の支えですね。
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by 50TEMPEST | 2011-09-28 00:09 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら 評価の神話を考える  

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。

人事考課はもう役目を終えたと述べてきました。

今回は、人事考課をささえていた神話について、考えましょう。
わかった気になっていたが、よく考えると「?」だった考え方です。


◎考課の評語は正規分布
AとかBとかいう評語は、つける数は部門内で正規分布にするのが普通です。
これは、ハイパフォーマーとローパフォーマーは同じ数いるという前提にたっています。

そうでしょうか。
統計のような大きな数で言えることが、会社の人数程度で、まして部門内で言えるのか。

百歩譲って、保持能力という面では言えたとしても、発揮能力や成果という点では、部門の間での違いはあるはずですよね。
もう単なる約束ごとでしかないのです。

さらに、こんなことも。
正規分布でつけることにする一方で、昇格させるためには2年間の評価がAであることなどというルールを作ったとします。

するとどういうことが起こるか。
もう昇格させても先がない中高年には、がんばっていたとしても、Cでがまんしてもらって、そろそろ昇格させたい人にAをつけるなどという操作が行われるのです。

基準をつくって公正にしようという人事サイドの思惑とは違って、現場は裏をかくのが得意です。
それは、必ずしも悪いことではなくて、ある意味ではその必要があるからです。

本音を言えば、全社で正規分布をとるのが大変なので(現実にはそうならないから)、部門内で正規分布にするのです。
あえて部門間の違いなどを反映しようとすると、ポイント制をとることになりますが、置き換えるぶん、当人にとっての感触は、また遠くなってしまいます。

結局は、原資を配分するための基準にしなければならないので、やっていることです。
だったら、最初から金額で考えたっていいというのが私の考えです。


◎部長の二次効果
課は課長が一次考課をし、部長が二次効果をするというのが普通です。
部長は、各課の甘辛を見て公平な観点から修正する。

そうでしょうか。
反対に、よく見えなくなるのではないですか?

忙しい部長が、ほんとうに全部員を見ているでしょうか。
でも部長に修正されると、実際のところ、課長は本人にそのことを説明できません。

よく見ている課長にまかせてはいかがでしょう。
もちろん課長は、日頃の観察や配分案を、部長に説明して、承認を得る。

部長が手を出したければ、部長枠の賞与原資を、これと思う人に配分するようにすればよいと思います。


◎多角的な評価要素
評価要素はいろいろな角度から設定されます。
これにより多様な能力を把握することかできます。

そうでしょうか。
評価要素をふやすほど、結果にメリハリがなくなりますよ。

結果的には、あっちの分野でよい点数をとった人と、こっちの分野でよい点数をとった人が、同じ評価になってしまうのです。

個々の評価要素での得点など、あまり見る機会はありません。
そこまでデータ化されていないことも多いでしょうし、されていたとしても、そこから検索して人材をさがすことなど、ほとんどなされないでしょう。

また言葉で定義した要素は、現場のできごとをあてはめようとすると、どうとでもとれることが多いのです。
たとえば、ある要素に高い点がついていたとしても、本来想定した意味でついているかどうか…。

考課表を精密に設計しようとしても、しょせんは限界があるのです。
上司のアナログな視野でも、結果にたいした違いはないし、むしろメリハリはつけやすいはずです。

まずは課長が部下をよく見る仕組みを作ります。
課長は、その観察をふまえて配分案を考える。

自分の配分案を部長に納得させようとすれば、真剣に見るはず。
その議論の中で、優秀な部下の名前は部長の記憶にも残ります。

その結果、その部下はその後もよく観察され、時にチャンスもまわり…、目立っていくでしょう。

このほうが、よほど制度として機能するはずです。
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by 50TEMPEST | 2011-09-22 07:12 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら キャリア視点から  

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。

人事考課が、高度成長期以降の右肩上がりの時代、たくさん人を採っていることを前提に生まれたものであり、職能資格制度のシンボルなのだと述べてきました。

今回は、働く人に視点を合わせて、会社はどう制度作りをするべきか考えましょう。


ハーズバーグの動機づけ・衛生理論を思い出しましょう。

彼は、賃金などは衛生要因であり、すなわち少ないとモチベーションが下がるが、増やしたからといってモチベーションを上げるものではないと喝破しています。

では、モチベーションを向上させるもの(動機づけ要因)は何かと言えば、組織から得られる達成感、認められ感、責任感、成長感です。
制度は、この理論をふまえて作るべきです。


まず金銭的な報酬に関する制度です。
給与水準は世間並みでよいのです。

今、若い人の給与が上がらないために、元気がなくなっていると言われています。
しかし、元気が出ないのは、額が上がらないためではなくて、先が見えないためです。

長く勤めるとこのくらいになる、普通に暮らしていけるというのを、はっきり見せることです。
それで納得できない人は去っていくかもしれませんが、そこは割り切るしかありません。


毎年チマチマ上げるより、数年単位でまとまった額を上げるほうがよいでしょう。
よく上がるけれど、よく下がるという形でもよいのです。
長い目でこうだとわかることで、人は安心します。

職能資格制度をひきずった旧来の制度では、ベストパフォーマンスをしたと思っていても、チマチマとしか給与は上がりません。

管理職たちは、大きな手間をかけて人事考課をしていますから、仕事をした気になってます。
俺は主張してあいつにA評価をつけたぞ、と自己満足しています。

結果として、当人にどんな達成感、認められ感、責任感、成長感が伝わっているか、多くの管理職は無関心です。
そこが問題です。

日々の仕事で感触が提供されていなければ、働く側はその昇給額に意義を見ようとします。
なーんだ、あんなに頑張ったのに、となります。

昔、ストだの何だの大変な騒ぎをして得られたのは、なーんだ百円玉1個かということがありました。
皮肉なことに、それと同じようなことが起きているのです。

給与面では、額そのものではなく、改定された事実のほうに、組織の一員として「ここにいてよいのだな」と感じるように持っていくことです。


次に、心理的な報酬に関する制度です。
達成感、認められ感、責任感、成長感の提供こそ、真剣に仕掛けを作る必要があります。

その要素をどうすくい取り、どう認めるか。
モチベーションは、そちらで得るように仕組むのです。

特に成長感が大事だと思います。
ポイントになるのは日々の管理職の語りかけです。

また、キャリア観の研修もしたほうがよいでしょう。
何ができるのか(能力)、何をしたいのか(興味)、何をすべきと考えているのか(価値観)、自分なりに整理がつけば、仕事への向かい方も変わります。


社員は、やりたくない仕事も含め、するかしないか選択をしているのです。
しんどい仕事をして得られる給与がこれだけか、となればモチベーションは落ちます。

つらいと思う仕事でも、これが成長につながると感じれば、がんばります。
人生視点で、スリリングな経験が得られるとか、実務能力がつくとか、意義ある仕事ができるとか、そんな未来が示せるとよい。


それは、会社はここへ向かって、こうなっていくのだ、という未来予想図にリンクするのが本来です。
また、トップをはじめ、経験を熱く語ることもよいでしょう。

そこから、そのためにはこんな能力が必要だとか、こんな思考習慣が有効だとか、出てくるはずです。
それを社員に示せば、成長の指標となるのです。

旧来の制度では、努力に対して会社が提供するものは金銭の報酬としか考えませんでした。
しかし、心理的な報酬は、金銭面に限りません。

たとえば、それは仕事であるかもしれません。
昔の先輩は「サラリーマンの報酬は仕事だよ」と言いました。
実は、これは本質を突いている言葉だと思います。
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by 50TEMPEST | 2011-09-20 00:01 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら 給与制度の変化(後)

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。


人事考課はやめてしまえる、やめてしまったほうがよいと思います。

なぜそう言えるか、背景として給与の考え方の変化を考えています。


さて、それほどすばらしい職能資格制度でも、副作用はあったのです。
給与水準を安定的に約束するという性格が、コスト面では固定費として現れます。

もともと安定を提供することによって、いわば暴走を抑えるというのが制度の使命だったわけですし、年功序列を改善して、いくらか合理性を与えようというものだったのですから、根っこの年功的性格は持っています。

不況になると、その年功的性格こそがやり玉にあがりました。
成果対応こそが必要だというので、安定的に上がるようになっていたテーブルが、定期昇給レベルではあまり上がらないように修正されました。

しかしながら、不況下での見直しですから、全体としての人件費を抑えようという力が働きました。
テープルを抑えることで生みだされる原資が、そのまま成果に見合う給与として振り向けられたわけではなく、またその成果の査定方法自体も厳しいものになりました。

結果として何が起こったかというと、中高年の給与水準が下げられたこと、若年者の給与がなかなか上がらなくなったこと、です。
ハーズバーグの動機づけ衛生理論が示す通り、給与は衛生要因であり、つまり低くなるとモチベーションが下がるほうに働くのです。

日本社会が慢性的な低迷感に支配されるようになりました。
それは、経済的なマクロな低迷感だけでなく、働く人のモチベーションダウンもあると思います。


人事考課制度が、給与制度とリンクしていることを述べてきました。
ですから、人事考課をいじるなら、給与制度もいじる必要があります。

これまで、テープルにはめこむことが人事考課であったわけです。
これから必要なのは、そうではなく、人をきちんと見ることだと思います。
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by 50TEMPEST | 2011-09-11 18:58 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら 給与制度の変化(前)

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。


人事考課はやめてしまえる、やめてしまったほうがよいと思います。

なぜそう言えるのか。
前回は、時代背景的なことを考察しました。
今回は、さらに制度としての給与体系の変化をみてみましょう。

経済成長下、大量採用の時代の必要から、いわゆる人事考課が生まれてきたと述べました。
その裏付けとなったのは、職能資格制度というものです。

賃上げ、賃上げと叫ばれた時代。
初任給が、1年に1万円も上がる時代があったのです。

職能資格制度は、これを安定させるために生まれてきた、当時としてはすばらしい制度です。
それまでポストと年次で決まっていた給与を、ポストと切り離したテーブルで行います。
先生のお流儀によって、多少の違いがありますが、大きくは皆似たようなものです。

資格のハシゴを作り、基本的にそのハシゴを登るようにしておいて、あるポストには、ある資格から登用するという考えにしました。
軍隊の階級と役職の関係と同じです。
これによってポスト不足が解決しました。

資格はどう決まるかというと、職能という概念を用いて、その職能の蓄積で決まるとしました。
これによって単なる年功とは切り離したので、古くいるだけでは高給をとれたそれまでの制度は否定され、勉強する人かそうでない人かで差がつけられるようになりました。

給与としては、毎年の職能の伸びに対応した分、昇給します。
この職能の伸びを査定するのが、人事考課というわけです。

わずかでも給与が上がると、人はそこそこ落ち着きます。
まじめにやって、標準的な評価をとっていけば、何年後にはだいたいいくらぐらいもらえるとなれば、人生設計も立てられます。

春闘だと大騒ぎして、仕事を止めて、結局百円玉が何個ということがよくありました。
給与テープルが明確になると、争点は、生活が苦しいからただただ上げろという形から、生産性がどれだけ上がったから、ベースアップしてテーブル自体を高めにしてくれという形へと、ずいぶん合理的になりました。

時代の要請として、職能資格制度はすばらしい働きをしたのだと思います。
つまり、果てしない上昇のエネルギーに、先を見せることで、秩序を与えたのです。
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by 50TEMPEST | 2011-09-11 18:36 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら 時代と社会の変化

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。


人事考課はやめてしまえる、やめてしまったほうがよいと思います。

ただし、人間の働きぶりをみるという、本当の意味での人事考課までやめてしまえと言うわけではありません。
それは別の形でやるほうがよいと思います。


人事考課制度が機能した時代もあるのです。
そのあたりと今とを、比較してみましょう。

そもそも、いわゆる人事考課は、団塊の世代を処遇するのに生まれたのでしょう。

第二次大戦後、社会が安定するにつれ、たくさんの子供が生まれ、その人たちが社会に出てきました。
それに合わせて、経済も発展し、企業も成長しましたから、たくさんの人を採るようになりました。

昭和40年代の後半は、100人以上採用し続ける会社は珍しくなかったのです。
そんなにたくさんの人が一度に入り、やる仕事はというと、徒弟的に簡単な仕事から身につけていくのです。

差のつけようなどありません。
人数それ自体多いのですから。
仮に、A部署内でなんとか評価にメリハリをつけようとしたとしても、B部署とどう違うかとなれば、説明はできません。


経済発展とともに物価は上がる。
企業収益も上がるから、賃上げ要求が激しくなる。

50年代の半ばまで、春闘という年中行事がありました。
今もかろうじてその言葉は残っていますが、昔はもっともっと過激でした。

そんな中で、賃金水準を安定させ、人件費の変動を把握するために、戦略的に生まれてきたのが、職能資格制度です。
(給与制度の変化と功罪については、稿をあらためて書きます)

現実的に、能力本位のメリハリがつけられないとなれば、ブラックボックスの早見表でやるのが便利です。
ある年齢までは機械的にそれでやっておいて、よほど目立った人間、目立った功績だけひろっていっても、ちゃんと会社は回ります。

社会は右肩上がり。
先の明るい感じがありました。

会社は安心だからまかせなさい。
定年まで忠誠を誓えば、悪いようにはしないよ、と会社は言いました。

確かに、まじめに勤めあげれば、課長ぐらいにはなって、家も持て、子供も育てられる。
スタートが、日本中貧乏な時代なのですから、それだけだって喜びなのです。

そして、国中をあげての上昇志向が、有効需要を生み出していたのです。


さて、経済がグローバル化しました。
バブル崩壊、失われた十年、と続くなか、いわゆるリストラというものが日常化しました。

定年までまかせなさいと言っていたものが、その約束は守れないということになったのです。
自分の人生は自分で切り開きなさい、に転換したわけです。


それは実に大きな転換です。
それでいて、前の時代の論理に合わせてつくられた制度の根幹は、いまだに変わり切っていません。
前のほうが、日本人のメンタリティに合っていたのかもしれません。

たとえば、会社の中で生き残り、場合によっては他の道を切り拓く、それは自分の責任だと、有形無形に言いながら、提供される社内研修は、昔の論理のままだったりします。


今や、企業としては、何を飯の種にしていくか、それをどうやって実現していくか、真剣に考えなくてはいけなません。
極端な少子化という事情も加わり、さらに話は複雑になっています。

とはいえ、入ってくる人間が少ないなら、本来あるべき姿である、人間を見るということが可能になったはずです。
少なくとも、大量採用を背景とした人事考課制度は、もう必要がなくなったのです。
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by 50TEMPEST | 2011-09-10 19:21 | 人事と給与

人事考課をやめるとしたら その9

部門間異動


以前シリーズで書いた記事を読み直したら、異動からの切り口を書いていないことに気づいたので補足します。
なお、ここで言っている人事考課とは、人事の音頭取りで全社的に同じようなシートを使って行われる大仕事としての人事考課です。


異動で他の職場を経験することは勉強になります。それは私の経験からも間違いありません。
ですから、何回かは経験するべきものとしておくのがいいでしょう。

管理職になるまでに1回、なってから1回とか。
ただし、動かせばいいというものではありません。
やたら動かすのは反対です。

ひとつのチャンスととらえるような風土にしたいものです。
一方、負担もともなうものですから、希望しない者は動かさなくてもいいと思います。

動かし方は、定期異動方式で「セーノ!」と出し合うのが、対象者が開かれていいと思います。


さて人事考課との関係では、候補者の選定のための基礎情報、異動後の評価のしかたなどの問題がありますね。

前にカルテのようなものを使ってひんぱんな面談をすることを提案しました。
基礎情報については、この結果情報があれば、いわゆる人事考課歴はなくていいと思います。
むしろないほうがいいかも。

人事考課歴を参照して出てくる発想は、損得ないように同じレベルの社員同士を交換しようとか、ローパフォーマーのババを引かないようにしよう、とかです。
そこには、本人に伸びてもらおうなんて発想はないのです。

誰をどう動かすかは、部長クラス同士で選ばせてしまいましょう。
リストをヨーイドンで公開し早いもの順とか。

選んだのが自分たちであれば、育てざるをえないでしょう。
その上で、異動した社員が伸びたかどうかを、賞与配分の着眼点にしましょう。


異動の方法については、異動するならここという希望を全員が公開してしまってはどうでしょう。
それを前提に、部門間の談合もオーケーにします。
たいした問題は出ないのではないかと思いますが。

異動時は、埋めるべき予定ポストを、まずは対象者本人に選択させたっていいと思います。
要は、意味づけと後のケアをしっかりしていれば、「ねばならぬ」ということはないのです。


異動を現場があまり歓迎しないのは、慣れた人間が去り慣れない人間になる、業績が落ちる、まわりの負担がふえる、と考えるからです。

しかし、そんなことを言ってる管理者ほど、異動してきた社員を育てようとはしていません。
エイリアンとして見てしまっています。

仮に業績が落ちるなら、それを補う最善の対策としては、異動してきた社員に、他の社員以上に手をかけてやることのはずです。

従来の人事考課では、一般に異動直後の考課点を平均にするルールがありました。
成果的な考え方が入ってくると、それさえ否定されるようなことがあります。

どちらにも理屈はあるのですが、どちらも細かい話です。
いずれにしろ人事考課をやめれば、なくなってしまいます。

実は異動してきた社員のほうも、慣れない仕事になるので、心身ともに負担を抱えるのです。
もうかってない部署に来た場合には、収入も減るかもしれませんし。

それをカバーするのは、人間的なふれあいと、仕事のおもしろさのはずです。
考課点うんぬんよりも、早く仲間として受け入れ、戦力として育てる、内的なモチベーションの喚起策こそ必要なのです。
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by 50TEMPEST | 2009-07-20 16:22 | 人事と給与