ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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カテゴリ:東日本大震災( 25 )

震災から1年

また3.11が来ました。

国を挙げてビジバシ手を打ちましたという風にならないのが、何とも歯がゆい。
政治家たちの上げ足とり大好きには困ったものです。

大文字焼きの松の木事件に代表されるように、放射線がからむと大騒ぎが始まって、自治体、各種団体、たちまち手を引っ込めてしまいます。
廃棄物を何とかしないといけないのに。

事件に学んで、集落を高台に移させたり、高い堤を作らせた、過去のリーダーたちの業績も色々紹介されます。
やっている時は、きっと彼らもあれこれ言われたことと思います。

しかし、押し切ったのです。
喉元すぎれば、ますますそんな仕事はやりにくくなるでしょう。

あちこちの局で特番をやっています。
何となく見る気がしません。
かえって気が滅入るばかりですから。
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by 50TEMPEST | 2012-03-11 16:33 | 東日本大震災

いつも通りであることの力

震災直後は・・・
テレビをつければ、被災地の映像と原発の映像ばかり。
コマーシャルはすべてAC。

まったく、それだけで気が滅入ったものです。
美しい景色だけ、ただ流してくれないものかと思いました。
こんな時こそ、芸人たちのたわいないやりとりがほしいと思いました、どうせ注意しては聞いていないのだから。

ポツポツと、番組が回復してきて、とりわけ「笑っていいとも」がまた始まった時には、ホッとしたものです。
ずっとあるものがないということが、何と心を乱すのだろうか。

9.11の時のニューヨーク市長は、市民の落ち込む様子を見て、コメディアンたちに、いつものように働けと言ったそうです。
自分も、あえて冗談を言ったそうです。

見識というべきでしょう。
笑いには、力があるのです。
そして、「いつも通りであること」には、もっと深い力があるのですね。

だから、エンターテインメントに携わる人は、自粛などする必要はないのです。
チャリティにばかりはしる必要はないのです。

自信を持って、いつもの通りにするのがいいのです。
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by 50TEMPEST | 2011-05-13 20:57 | 東日本大震災

震災での東京ディズニーランドの対応 いいね!

震災当日のディズニーランドの対応のすばらしさが、あらためて話題になっていますね。
当日現場にいた人が撮った映像も動画サイトにアップされています。

◎施設的な対応
すぐアナウンスがはいり、ゲストを建物から離れて座らせた。
30分で対策本部が機能した。
建物の安全確認をし、できたところから、できるだけホールなど屋内に収容した。
誘導に当たっては、本来絶対見せてはいけない、バックヤードから案内した(ランドからシーへ)。
交通の情報を逐次貼りだして提供した。
お湯をかけて食べられる暖かいご飯を提供した。

◎キャストの対応
パレードが停まった状態でも、にこやかに手を振った。
ゲストが頭を守るために、商品であるぬいぐるみを配った。
危険なシャンデリアの下に自分が立つことで、ゲストを安全なルートで動かした(「ぼくはシャンデリアの妖精です、大丈夫です)。
寒さ対策に、段ボール、ゴミ袋、商品用ビニル袋などを配った。
空腹対策に、商品であるクッキーなどを配った。
「みなさん必ず全員にお配りしますから、そのままお待ちください」(動かさないことでパニック防止)
適切な声かけや、誘導の動きをした。

年のうちの半分くらいは、施設内のどこかで避難訓練をしているのだそうです。
そして、それは「十万人がいるところに、震度6強の地震が来たら」という想定なのだとか。

さすが、というべきでしょうか。
ただし、頻繁にやるほど真剣度が失われる恐れもあると思います。
そこに血を通わせる、人の努力があるのでしょう。

9割がアルバイトであるキャストたちの、自らの判断による行動もすばらしい。
組織から許されているというルールもユニークですが、それを敢えてする自律度こそ、称賛に値すると思います。
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by 50TEMPEST | 2011-05-10 14:20 | 東日本大震災

想定の線引き 2

震災から、間もなく2か月。
居間に出してあった非常用品を、先日、もとの収納スペースにしまいました。


何か手を打とうとすると、何事も「想定」の線引きが必要になります。
今回は、何メートルの津波まで想定するか、その線を超えた天災がやってきたということです。

では、家庭の地震対策としては、どの程度を想定するのか。

自分で準備するのは、公共の支援が働きだすまでです。
そこまでは、何としても自分と家族の命を守らなければならない。

家中を倉庫にするとか、シェルターで暮らすとかでなければ、あるイメージのもとに、できる備蓄をするしかありませんし、それが妥当なことです。

わが家では、これまでも3日程度のライフラインの途絶を想定し、対策をとっていました。
具体的にはミネラルウォーター、米、ガスボンベ、非常食などの量を、その程度は常時確保することです。

マンションが壊れてしまわないことが前提です。
住み続けられるか、少なくとも出入りして物を持ち出せる、というのが線引きです。

今の住まいの避難所は、まずは公園で、それから小学校らしいのですが、マンションが多い地区では、近隣一帯の住民を体育館のようなところに収容しようとしても、し切れないと思っています。
したがって、外で過ごすことも多少覚悟はしつつ、多少危険でも、建物にいることになるだろうと思います。

そこを変えるとなると、もっとキャンプ用品を備えることになるでしょう。
つまり、そこが「想定」ですね。

さしあたり最も問題になるのが、トイレだと思います。
そこは風呂の溜め水しか手がありません。

近郊でも、液状化で、上水道、下水道、ガスが何日も止まりました。
この経験は、具体的に物を考える上で貴重です。

また、トイレや風呂には、上下水道とガスだけでなく、電気も大きく関わるのだということを学びました。
たとえばわが家の風呂は、オートなので、電気がないと沸かせません。

マンションには井戸があるので、心強いのですが、聞くと電気でポンプアップしているとのこと。
これも電気がないとダメということです。
マンション中で、トイレ対策が必要なわけです。

まだ下水道を本格的には使えず、スーパー銭湯に頼っているところがあるようです。
建物が大丈夫でも、そんなことが起こりうるのだ、という学びではあります。

一方、液状化でいろいろ停まったあたりでも、数日で、給水が始まりましたね。
トイレ対策は、公園だかに仮設トイレが並んだそうです。

おそらく当市でも、3日のうちには、何とか動き出すでしょう。
わが家も、弱みは弱みとして、対応する必要があります。


リスクをどうイメージするかが大事。
今回、色々言われた中に、通帳、印鑑、証書類を、まとめて持ち出しやすいところに用意しておけ、などというものもありましたが、そんなおバカなことができるわけがありません。
他にもリスクはあるのですから。

できるところに手を打った上で、その想定を超える事態が起きたら、あとは流れの中で判断するしかない。
しかし少なくとも、一定の手を打ってあることで、落ち着いて物を考えられるし、サバイバル感覚が少しは磨かれると思っています。





想定の線引き
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by 50TEMPEST | 2011-05-08 12:07 | 東日本大震災

想定の線引き

原子力発電所を作るのには、何重ものバックアップを構築し、部品等の品質管理も厳重にしていたわけです。
それでも事故は起こってしまった。

津波の高さや、代替電源の途絶。
「想定を超えた」事態が起こりえた。

それにはふたつありそうです。
まず、想定はしていたが、その線を超えた事柄。
もうひとつ、本当に想定もしていなかった事柄。

絶対起こらないようにするべきだったのだ、などと言っている政治家がいます。
それは何も言っていないに等しい。

実際に物を作るとなれば、想定はしなければならない。
考えうるあれもこれもと、果てしなく対策をふやすことは不可能です。

「起こらない」ために物を作るなどありえない。
鎧をどんどん増やせば、今度は動くこと自体ができなくなります。
そうまでしなければならないなら、そもそもやらなければよいのです。

原子力発電所は、時代の要請だったのだと思います。
・石油を特定国に握られている供給安定性リスク
・火力発電所で「燃やす」ことからの大気汚染リスク
・水力発電所ではダム適地の減少、住民を追い出すマイナスイメージとコスト
さらに最近では地球温暖化リスク、などなど。

国が成長するために、エネルギーを要し、それをどうやって得るか。
厳重なシステムを作り、地元にさまざまな交付金をもたらし、それでも見合うだけ、原子力は相対的にコスト面のメリットが大きかったのです。

そちらに舵を切ったのは政治の判断です。
「作る」と決まれば、その方向で想定は行われるわけです。
想定の線引きにおいて、結果的に甘いところができてしまった面もあるかもしれない。

当時の専門家たちが謝るとしたら、その点です。
代替電源の装置が建屋に守られていた炉は、助かったのですから。
人間が手を打ちきれないことばかりでは、なかったはず。

しかし実際には、ある線が引かれ、それを超える事態が起きた。
結果責任はあるにせよ、今さら後付け理屈でとやこう言ってもしかたがない。
超えたことから生まれてしまった結果に対処すること、将来目線で線をどうするか決めること、だと思います。

まして、想定もしていなかったことが発生したというなら、それはしかたがない。
結果を甘受し、リカバリーに専念せざるを得ないのです、誰も思いつかなかったのですから。
そこをどう扱い、人々の目をどう前に向けさせるかは、政治の見識でしょう。

さて今後、原子力発電をどうするか。
それはあらためて政治の判断でなければならない。

使い続けるなら、想定の線引きをしなおし、既存の設備に手を入れることが必要。
専門家の英知を結集しなければなりません。

まずいのは、天災と設備と運用と対処ミスを、ごっちゃにした議論が行われてしまうこと。

問題は、国民が将来のイメージを思い浮かべたとき、エネルギーとして何を選択するかなのです。

昔は、近い将来豊かな生活が得られるという、先の明るさ感を、国中が持っていました。
政治家も役人も、それを実現しようと、熱い思いを持っていたことでしょう。
さて、今はどうなのか。
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by 50TEMPEST | 2011-04-20 10:53 | 東日本大震災

これから求められる支援

オペラ界の事情に詳しい方から聞いた話です。
クラシック音楽のアーチストが、自分はこの事態に対して何もできないと嘆いているそうです。

ズビン・メータが来日してNHK交響楽団を振ったチャリティコンサート、「ベートーベンの第九交響曲」を、テレビで見ました。
もちろん、こんな形もありです。

でも大丈夫です。
これからです。


カウンセラーたちから聞いた話が参考になります。

心理的支援というものが世に知られるようになり、何か大きな事件があると、「カウンセリングが必要だ」と言われるようになりました。
今回も、決まりごとのようにそんな発言をする識者や報道記事が現れました。

しかし、必要には違いないが、そんな支援が必要になるのは、もう少し落ち着いてから。
混乱のさ中に、誰もカウンセリングどころではないのです。
まずは、生存欲求を確保することなのです。


音楽も、人々を癒してくれるすばらしい力があります。
求められるタイミングが、必ず来ます。

これからです。
あせる必要はありません。
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by 50TEMPEST | 2011-04-19 10:47 | 東日本大震災

自粛の時期はもう済んだ

これまで、何かがあって「自粛」とは言っても、けっこう尻抜け。
喉元すぎれば・・・という面もありましたね。
今回の震災では、相当違いがあると感じます。

まず出来事が未曾有の範囲とレベルだったし、その後も後遺の問題が続いています。
そこで、「何かしてあげたい」という思いを、たくさんの人が持っているのでしょう。

それが、「自粛」機運を強めているのだと思います。
しかし、いつまでもそれでよいのか。


観光地は軒並みお客さんが減って、ホテル・旅館などは生き残りに体力勝負になっています。
また、人の確保も問題です。
サービススキルを体に持ったスタッフに去られてしまっては、今後お客さんが戻ってきた時に対応できません。

神田祭や三社祭も、神事を除いて中止だそうです。
被災地に配慮してということだそうで、軽い判断ではなかっただろうと思う半面、私などは部外者なので、そこには少々疑問も感じます。
浮かれる気持ちになれないというのは、わかりますが。

東北の酒屋さんがネットにメッセージを載せていましたね。
彼のおっしゃるように、東北ブランドの酒を飲むようにした方が支援になるというのは、確かにその通りだと思いました。


日々の経済活動を普通にすることのほうが、よほど支援になるというのは、今回学んだことです。
酒の話のように直接的なことでなくても、大きい視野に立つと、カネというものは回り回って経済を動かしているわけですから、経済の血流であるカネの動きを止めてしまうと、不況になってしまいます。

そうなると、復興のための原資もひねり出せない。
倒産などが増えれば、そのほうの問題の手当ても必要になってくる。
負の連鎖です。

今日、第一次産業、第二次産業だけで世の中が成り立っているわけではありません。
第三次産業がしぼんでしまうと、国内の経済規模は格段に小さくなってしまうでしょう。
さらに、人がモノを買わないと、第二次産業もしぼむのは明らかです。


何よりも、日々の生活が安定すること、が大事です。
働き、楽しみ、平凡であっても、それをいつものように繰り返すことで、心も安定します。
ちょっとした贅沢ができるくらいに、前より良くなろうとする一般の人々の努力が、これまで社会レベルでの成長を生んできたのです。


自粛の時期はもう済んだのです。
そんな場合ではないなどと自粛していても、何の助けにもならない。
関心を持つことと、影響を及ぼせることとは違うのです。

品薄の物を買い占めるなどは論外として、被災しなかった人は、以前のように日々をすごすことです。
そうして経済の歯車を回すことのほうが、望む結果に近くなるのです。
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by 50TEMPEST | 2011-04-17 11:56 | 東日本大震災

話のモノサシ

ある方たちと、震災のことを話していて、気づいたことがあります。
話のモノサシということです。
その方は、海外に詳しく、向こうに知人の多い人です。

外国の人が、ずいぶん日本から引き上げてしまいました。
また観光など、来られる方も激減しています。
その原因として、原発の危険ということがあります。

我々は、東京は平静に戻ったし、福島とは離れているのだから、そんなに心配しなくていいのに、と思います。
しかし、外国の方たちは、福島も東京も一緒で、危険を感じているわけです。

それはなぜか。
アメリカ人も、中国人も、概して彼らの地図の感覚が広いのだと思います。

彼らのモノサシで見ると、日本など、全体として小さな国です。
自国を見るモノサシをあてると、福島と東京など、くっついているも同然なのですね。
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by 50TEMPEST | 2011-04-16 14:35 | 東日本大震災

原発関連報道で

最近、朝日新聞を少し見直しました。

福島第一原発のトラブルについて、落ち着いた調子で、いつもかなりの量をさいて、ていねいな記事にしていることです。

また、各炉の状況が違うので、ややこしいのですが、整理した図解といつも抱き合わせにしています。
理解のためのフレームとして、適切だと思います。

前職の会社が原発の工事もやっていた関係で、多少の知識もあり、関心を持って見てきました。
同時に、女性たちなど一般人はまったく知らないのだな、とあらためて思いました。

基本的にマスコミが大騒ぎすれば、人々はそれに輪をかけて大騒ぎするわけです。
非常に複雑なシステムであり、しかも問題が同時並行で次々と起こりましたから、無理もありませんが。


朝日新聞の記事は、社会の木鐸を自任しているせいか、概して、「上から目線」です。
政治をはじめ、「問題」を起こす者に対して批判が大好きです。

私は若いころからの読者ですが、大人になって日経新聞と読みくらべるようになってみると、反応が違うのに驚くことがあります。
日経の、どちらかというと大局的で穏やかな視点に対して、朝日の扱いには、「そんなに紙面をさいて大騒ぎするほどのことかいな」と感じることが、近年しばしば。

論調に、かつての大新聞の貫録が感じられないのは、私が年をとったせいかもしませんが。
もうひとつには、会社の広報担当時代、記者の態度がもっとも横柄なのは朝日だったという経験から、ちょっと見方にバイアスがかかっているかもしれませんがね。


日本の電気は、何のかのと言っても、原発で起こしている分が1/4あり、数か所がダウンしただけで、国民生活や経済全体に及ぼす影響は、現状のとおり。

必要悪といってもよいでしょう。
仮にやめるにしても、代替エネルギーが高効率で使えるようになるまでは、何とかコントロールして使ってゆかなければならない。

とすれば、落ち着いた理解こそが不可欠。
マスコミの役割は、有形無形に大きいのです。
近頃の朝日新聞の原発報道は、確認的情報の提供という意味で、存在を示していると思う次第。
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by 50TEMPEST | 2011-04-14 11:08 | 東日本大震災

単1電池の払底から考えた

今回の震災に続く停電騒ぎで、単1と単2の電池が店頭からなくなって、今もほとんど見かけない状態です。
なぜなくなったのでしょう。
ラジオ用はまず単3でしょうから、おそらく懐中電灯のために買い込まれたのだろうと思います。

もともと生産量は、ずいぶん少ないのだそうですね。
確かに、我が家の身の回りを見ても、わずかしか使われていません。

ガス台に単1、古い置時計に単2。
あとは単3と単4ばかりですね。

思ったことは、「懐中電灯=単1」という先入観が、多くの人にあったのだろうかということです。
店の方も、仕入れたまま売れずにあった単1用の懐中電灯を、抱き合わせで売ったのかも。


我が家には、部屋の数とカバンの数を足した分くらい懐中電灯があります(つまり部屋の隅にひとつずつ置き、日常使うカバンの中にも入れてあるので)が、20年くらい前のものを除いては、すべて単3用です。
それらの調達先は、ほぼ100円ショップです。

単3か単1かで、明るさは変わりません。
変わるのは、灯っている時間の長さです。

ちなみに、私の経験では、新しいアルカリ電池の単3を灯し続けて、約1時間でした。
器具によって、違いはあるでしょう。


ここから言えることは?
・懐中電灯は単3で十分であること
・生活用の照明には、ロウソクのようなものが必要であること
・常時使える状態にしておくことこそ大事であること


懐中電灯は、そもそも灯し続けて生活する用途のものではありません。
動くために時々つけるというものですから、そんなに長く灯っていなくてもよいのです。
だから本当は、単3用懐中電灯で十分だし、軽くて使いやすくもある。
灯し続けることも想定して用意するなら、頭をはずして自立させるようになったアウトドア用の懐中電灯がいいでしょうね。

灯りっぱなしで使うものは、何と言ってもロウソクでしょう。
懐中電灯だけでなく、ロウソクもほしいところです。

仏壇がない家は、ロウソクの買い置きもないでしょうが、仏壇用はすぐなくなってしまうので、どうせ用意するならこれもアウトドア用のロウソクがいい。
ちなみに、父が亡くなった時、お通夜用の長時間灯るロウソクなるものに出合いまして、これ欲しいなあと思ったものです。

ロウソクを使うには、蜀台が必要です。
なければ、皿にロウを垂らしてから立てる。
ダイコンを切って、それに刺すという手もあります。
近頃はナマの火に慣れていない人が多いので、アウトドア用のランプのようなものがあるとベストです。

ライター、マッチなどの点火具もいりますね。
タバコを吸わない家も多くなったので、案外、こんなところでもつまづくかもしれませんね。

マッチをくれる店も少なくなりましたが、もらったら、大事にとっておく必要があります。
ライターは故障があるのでこわい。
今回我が家でも、非常用品のライターで点かない物がひとつありました。

何よりも、泥縄で買いに行かなくてもすむように、最小限は用意しておくこと。
電池も、何のタイプであれ、時々買い替えるようにすること。

昔の電池は酸性で、よく破裂したものです。
アルカリ電池になって、少なくはなったかもしれませんが、やはり腐食して液漏れします。

入れっぱなしで安心していると、液漏れして、いざという時役立たないだけでなく、懐中電灯やラジオをダメにしてしまうことがあるので、要注意です。
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by 50TEMPEST | 2011-04-09 11:55 | 東日本大震災