ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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雑草という草はない

以前、都はるみさんの歌をテレビで聴いていて、フレーズを書き留めたメモが出てきました。

~雑魚という名の魚はいない 雑草という草はない 
 かけがえもなくあなたは一人 二つとはないあなたの命~

調べたら、「あなたの命」のサビのフレーズ。
小椋佳さんが作った歌とのこと。

この生硬な詩にメロディをつける。
なるほど、小椋佳さんの技と世界です。 

さて、調べついでの発見をひとつ。

「雑草という草はない」というのは、
昭和天皇のお言葉だそうです。

検索でいくつかのエピソードが出てきました。
一人歩きしている話もあるでしょうが、お人柄のしのばれる言葉です。

人も、みなそれぞれによかれと考え、その人なりに一杯に生きているのですよね。


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by 50TEMPEST | 2007-06-30 18:51 | どこかで知った名言・至言

むかーし、あったんだどー 34 国鉄

JRになって20年だそうです。
以前は日本国有鉄道です。東京を走る電車は国電といっていました。

毎年、ストライキが恒例でした。
特に私が社会人になった昭和51年は、交通ゼネストということで日本中の交通機関が止まることになって、所定の3月末日には東京に赴任できず、1日早くあわてて上京したものでした。

電車のボディにスローガンを落書きしたりするなどということもありました。職場はずいぶん荒れていたようです。

郷里の函館は、連絡船の関係もあって、国鉄職員が多く住んでいました。当時としては立派な鉄筋の官舎もありました。当然、子弟の友達も多かったので、よく遊びに行きました。

北海道ではだいぶリストラがありました。官舎もなくなったそうです。
同期生には、道内で働きたくて国鉄に就職したのに、結局分割の波をかぶって本州勤務や都庁勤務になった人もかなりあったはずです。

戦後の国の復興を、それだけ国鉄が担っていたわけですね。

分割後、基本的にはどちらも立派な会社になったようで、ご同慶の至りです。
通勤などで、女性の車掌をずいぶん見かけるようになりました。私には、彼女たちが新生JRのシンボルであるように思えます。


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by 50TEMPEST | 2007-06-28 08:13 | むかーし、あったんだどー

噺家は話しかたがうまいか

映画「しゃべれどもしゃべれども」は、噺家さんのところに「話しかた」を教わりたい人が来るという話です。噺家はしゃべる商売なのだから「話しかた」がうまいだろうと、一般の人が考えるのはわかります。

ただ、噺家はコメディアンではなくストーリーテラーですから、臨機応変の話しかたなら、漫談家にはおそらくかないませんね。特有のこだわりや美学も持っていたりしますし。
噺家の技は、むしろ語りでイメージを浮かばせることです。上手に「お話」をしてくれることです。


そういえば、私も「話しかた」を学ばれた経験があります。

私は学生時代、落語研究会にいました。会には、大学の学生部経由で、たまに実演の依頼がきました。
プロではないので、慰問のようなもの以外は積極的にはお受けしなかったのですが、それでもけっこうあちこちにうかがいました。

あるとき指定の場所に行ってみると、それは働く若い人のサークルのようなもので、その日は「落語から話しかたを学ぶ」というテーマだとのことでした。
現場でそう言われても、器用に内容を変えられるわけもなく、でもちゃんと聴いてくれそうだったので(飲み食いの席だったりすると、まったく聴いてくれないのです)、渋めの噺をしっかり一席やりました。

さてその後、質疑応答と話し合いになったものの、まったく盛り上がりません。
私は古典派だったので、台本に近いものを演技として演じています。そこから話しかたにつながるエッセンスを抽出して解説できるほどには、残念ながら、世慣れていませんでした。
謝金をいただいて、早々に退散しました。

まあ、テーマ自体も、思いつき程度のものだったとは思います。「学ぶ」ことでないと、予算も出ないのでしょうし。
今なら私も、興味を持ってもらえそうな話題を出すとか、何とでもファシリテートできますがね。
あの話し合いの場の、妙な雰囲気と、切り口に困っているリーダーさんの顔が思い出されます。


映画の「しゃべれどもしゃべれども」は、実はまだ見ていません。
近くのシネプレでは、私が見に行ける時間にやってくれないのです。ビデオ待ちになりそうです。


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by 50TEMPEST | 2007-06-27 08:02 | 見て聞いて考えた

「ダイ・ハード4.0」 見てきました

ダイ・ハード4.0」の先行上映見てきました。
(4じゃなくて、4.0なんですね)

いや、相変わらずやるやる。

20年たっても、ジョン・マクレーンは不死身です。

ぐっと渋くなったブルース・ウィリスがいい味出します。


英雄ではあっても、普通の刑事という設定なだけに、

あれだけ「ありえない」アクションをやっても、

「ミッション・インポッシブル」などよりも、絵空事感は薄い気がします。


また、娘を持つ父親という意味でも共感するところがありまして、

すっかり堪能しました。
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by 50TEMPEST | 2007-06-25 07:49 | 見て聞いて考えた

ブログは楽しいことがいっぱい

ブログを始めてから4年目です。
平均2日に1回程度更新しています。

結論から言えば、
●人のご縁が広がったこと
●日常のささいな事柄を、少し深く味わってみる楽しさが身についたこと

    *     *

そもそも始めたのは、ある場でたまたま隣り合った人から教えていただいたのです。
そんなものがあるんだな、と翌日見て、エイッと始めてしまいました。

しばらくして、はじめてトラックバックしてくれた方がありました。
その方がたまたま朗読の教室を始めるというので、エイッと参加してしまいました。
今、私の先生です。仕事の面でも、ずいぶん助けていただいています。

最近、エイッと「キャリア」の勉強を始めたのも、上のような経験が、「プランド・ハプンスタンス」という理論に自分の感覚としてしっくりきたからです。
つまり、 たまたま + エイッと です。

    *     *

もともと文章を書くのは好きでした。
でも、始めたときは、これだけ書き続けられるとも思いませんでした。

種探しのアンテナを立てていることで、楽しいこと、うれしいこと、色々気づきます。
そうでなければ、見れども見えずということばかりでしょう。
すっかり忘れていたことも、思い出したりします。
後々のために、記録しておこうという使い方もしています。

忙しい日々の中で、流されず、主体的に生きるという意味で、ブログは大事な役割を果たしてくれていると思います。



ブログをやってよかったこと!
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by 50TEMPEST | 2007-06-24 13:16 | 見て聞いて考えた

A首相のコミュニケーション改善

支持率が落ちてるようです。
問題が出てくるから支持率が落ちるというものでもないでしょう。
問題に果敢に取り組む姿勢で人気が上がるということもあるのですから。

コミュニケーションスタイルにやや難ありですかね。

●話している時の目
記者会見などを見る限り、基本的にアイコンタクトがしっかりできてません。
どこかあらぬほうを見て話しているようです。
NLPが得意な人なら、分析できそう。
男前なのにもったいない。
しっかり相手を見て話すことからですね。

●発声
のどと鼻のあたりで発声しているようです。
声に力がこもらない感じに聞こえてしまいます。
いい声質なだけに、これももったいない。
もう少し身体の低いところに響かす発声を身につけるといいですね。

●母音伸ばし
何々が、あ、これこれで、え… というやつです。
考えながら話すほど、この癖が出ます。
最近素人でも珍しくなった話し方だと思います。
冗長な印象を与えます。自信なさげに見えます。
これはトレーニングあるのみ。
誰かと1対1で話してみて、これが出たら豆でもぶつけてもらうとか。

●動詞の名詞化
「注目していく」と言わずに、わざわざ「注目をしていく」と言うのです。
話しやすいリズムなんでしょうが、エネルギーが失われます。
「感動した!おめでとう!」と、
「感動を、お、いたしましたので、え、おめでとうと、お…」との違い。
母音伸ばしと一緒になると、いわゆるお役人口調になって、マイナスの相乗効果ですね。
前職は公務員ではないのですがね。

これらの癖があいまって、いい子いい子のお坊ちゃん育ちの印象を与えてしまうのだと思います。難局を力強くリードしてくれる人のようには感じさせないのでしょう。
また、自由活発に行動したり、感情を素直に表現することがあまりできずに育ったのかな、と私には思えます。
今からでも、トレーナーをつけるとよいと思いますね。


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by 50TEMPEST | 2007-06-22 12:49 | 見て聞いて考えた

交流分析(TA)と出会ったことで

交流分析(TA)との出会いで、自分の人生が変わったということは、いろいろなところに書いていますし、公言もしています。
キャリア的な観点から意味をふりかえってみます。

●自分の生き方の、きゅうくつさの正体を知った。
完全志向がどこから来ているのか、自分のコミュニケーションの癖、などなど、客観的に知ることができました。生き方を少し変えられました(専門的に言えば脚本を書き換えました)。
引っ込み思案だった自分が、少しオープンに、人と接することができるようになりました。

●熱心に自分を伸ばそうとしている人たちが、こんなにたくさんいるのだと知った。
交流分析の講座には、年配の人も若い人も、たくさん来ていました。皆自腹です。
そんな人たちと話して、エネルギーをいただきました。
それまで、本は読んでいましたし、たまに社費で公開セミナーには出ていましたが、自分はまだまだと思いました。それから学ぶことに欲が出ました。

●さがせば、学ぶ場はたくさんあるのだと知った。
インターネットの便利さを感じました。交流分析の講座をみつけたのも、そのおかげです。
それからアンテナを広げると、たくさんのセミナーなどがみつかりました。
興味にまかせて、いろいろ顔を出すようになりました。

●学んでも自分は大丈夫なんだと知った。
多少は知っていたとはいえ、心理学の講座なんて、恐る恐るの部分もありました。
でも、おかしなことにはならずに、たくさんの収穫を得ました。
外で学んだり出会ったりするを恐れることはない、多少のリスクを背負ったとしても、自分は取捨選択できるんだと確認できました。
年齢的にも、経済的にも、人格的にも、自分というものに自信を持ちました。

●ワークショップ的な学びの方法を知った。
講座の進め方は、一方通行の講義ではなく、いろいろなワークを織り込んで飽きずに学べるものでした。もっぱら講義中心の学び方で育ってきましたので、とても新鮮でした。学ぶことの楽しさを、あらためて知りました。
それまで私が教える立場になるときは、できるだけたくさんのことを手際よく、飽きさせずに「講義」するというスタイルでした。
それからは、スタイルを一変させました。体感的に学べるよう、いろいろな技法を調べ、習得し、試みるようになりました。

●人脈を大事にするようになった。
講座を開催した日本交流分析協会の存在を知ったのは、ある機会に会った先生のプロフィール資料からです。ちょっとしたことから、道は変わっていくと感じます。
人が人が紹介してくれる、そこからまた違う世界が広がるという感触を楽しむようになりました。

●なりたい夢を持てた。
講座をもってくれた先生たちは、なかなかカッコいい先生でした。ああ、あんな感じで楽しくカッコよく教えたいな、定年後はそんな感じになれたらいいな、と考えました。
それから5年たち、今、ファシリテーターですなんて言ってる自分がいます。
あの出会いから、まだ5年しかたっていないなんて、ほんとうに信じられません。


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by 50TEMPEST | 2007-06-19 07:56 | 日々の交流分析

個性的な切り口

うちのマンションはペットがオーケーなんですが、うちの下の家の犬、すごいんです。
キャロっていいます。

散歩に出ると、飼い主はリードの持ち手をキャロにくわえさせます。
キャロは澄ましてトットコ、トットコ歩いていきます。

飼い主は後からブラ~ブラ、ついていきます。
ご近所と挨拶したりして…。

これって、どっちがどっちを散歩させてるんでしょうね。

キャロの上に住んでる●●です。

 *****************

という自己紹介はどうでしょう。

あるときの会合の自己紹介で、「うちの父はゴリラの研究者です」と言った女性がいました。
オオ!という声があがりました。その切り口、今でも忘れません。

印象に残るように話すという点では、自分のことをどう選んでみても、それほどユニークなアイテムにはならないという場合もありますよね。

いっそ、自分という発想の輪からとびだしてみたらどうなるか。
思いついたのが冒頭の文です。

自己紹介なのか?という声は聞こえてきそうですが、自分がどんなことに目をつける人間なのか、知ってもらう意味はあるのではないでしょうか。


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by 50TEMPEST | 2007-06-17 12:54 | 見て聞いて考えた

年金問題はどうなる?私の体験

年金の記録の不備が大問題になってます。

私が人事時代、社員や元社員から、加入記録がとぎれていると社会保険事務所に言われた旨連絡を受けました。
10年くらいの間に数件ですから、率としてはけっこう多いかもしれません。

まず、転勤していた期間中がスポッと抜けていた事例。これは、その事業所を所轄する役所自体の引越しで、台帳がしまいこまれたか、紛失されたようです。
それから、入社日がずれていた事例。これは、おそらく入力のときのミスでしょう。

手書きからコンピュータ化されたとき、相当混乱があったと予想されます。基本的に、照合作業が不足であったことは明らかですね。

本人との間で確認されるのが一番なのですが、大変な作業でもあるし、まず基本のところで「官」の無謬性(おかみは間違わないものという考え方)信仰みたいなものがあったでしょう。
ミスなんてよくあるものというところから、仕事を構築しなければいけないのですが。
コンピュータ化そのものに内部の抵抗があったという話も聞きます。

そんな経験があるので、私がやる定年前のライフプランセミナーでは、こういうことがあるんだから、その意味でも必ず自分で社会保険事務所に行って確認してくださいねと話してきました。

会社勤めの人の厚生年金は、上の例のように、会社側に記録があったりしますが、国民年金のほうは、本人側にしか裏づけ証拠が期待できないので、これから色々見つかってくると大変なことになりそうです。

制度としての信頼性がどんどん失われていくことが心配です。
役所はそれを維持しようと苦情受付窓口をふやしていますが、それが不備事例をふやすことにつながり、信頼性を減衰させるほうにはたらくという結果になってしまいますから。


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by 50TEMPEST | 2007-06-15 08:15 | 見て聞いて考えた

むかーし、あったんだどー 33 謄写版

前回和文タイプで謄写版の原紙を作ったことを書きました。

謄写版の原紙は、薄い和紙にロウを引いたものです。活字を打ちつけると、そこのロウがとれるので、これを輪転機にかけたとき、インキが染みて、文字が印刷されるというわけです。
社内の通達文書などは、これで何百枚も印刷しました。

謄写版の仕組そのものは、かなり昔からあるものだと思います。
学校の試験やプリントは、市販のものを除いて、先生方が謄写版で作っていました。
俗に「ガリ版」というやつです。

実は私も、けっこうやりました。中学時代、生徒会の執行部をやったときが最初です。
生徒会室にはガリ版のセットが置いてありました。印刷は輪転機でなく、ローラーにインキをつけて原紙に転がし、一枚一枚印刷しました。

原紙を手書きで作るときは、ヤスリを敷いて、原紙を鉄筆でひっかくように書いていきます。
なかなかコツのあるものでした。

学校でも会社でも長く活躍していた謄写版ですが、ワープロの普及、コピーの低価格化、軽印刷サービスの普及とともに消えていきました。
放送界の台本類が最後の活躍の舞台と聞きました。今はどうなのでしょう。

情報をいきわたらすためのツールとして考えると、コピー機のない時代は、数部以上必要となったら、もう謄写版しか手はありませんでした。枚数が膨大だとか、美しいものが必要だとかでない限り、すべてが謄写版の守備範囲です。「印刷」という言葉は広い意味でした。

コピー機が登場してからは、すぐとれる便利さがありましたが、とても高かったので、数部のニーズに限ってコピーの守備範囲でした。部数が多いときは、毎日御用聞きにきてくれる、軽印刷屋さんに頼みました。「印刷」と「コピー」の領域が分けられたわけです。

その後、パソコンの「プリント」という領域ができました。多少の部数なら、そのまま打ち出すようになりました。

そして今は、パソコンのネットワークで、できるだけ印刷せず画面で見なさいという時代ですね。情報をいきわたらすためのツールは、けっこう変わってきたようです。

今、情報をいきわたらすのは、手間もかからず、アッという間です。
その分、とりかえしがきかないので、流す人の肩にのる責任は大きくなりましたね。


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by 50TEMPEST | 2007-06-13 12:15 | むかーし、あったんだどー