ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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5つの影響力の源泉 その3

リーダーが発揮すべき影響力の源泉について、L&M社の小笹社長のモデルがあります。
私の経験もふりかえりながら考えてみます。

メンバーを動かす5つの影響力の源泉
①専門性
②人間性
③返報性
④一貫性
⑤厳格性

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③返報性

人間には好意の返報性といわれるものがあります。
自分によくしてもらうと、自分もよくしてあげたくなるのです。
そのあたりは、群れの動物として暮らしてきたDNAレベルの話かもしれません。

心からお返ししたくなる場合もありますが、もう少し割り切った感じで、恩義に報いるという感じもあるでしょうね。
義理人情は流行らないかもしれませんが。

人間性のところで述べたことと少し重なってきますが、自分がリーダーにチャンスをもらったと感じたら、人はその期待に応えようとするものです。

ハーズバーグの動機づけ・衛生理論によると、人の不満要素と満足要素は違います。
人が満足を持つのは、達成感、達成に対する評価、責任の増大、昇進、成長の可能性、仕事そのもののおもしろさ、などです。

返報性の切り口からリーダーが影響力を行使しようとするなら、とにかく好意として働きかけること。

ただし、年から年中、「あなたのため」を押し付けられると、人は息苦しくなりますので注意が必要です。
良かれとしてあげることは、時として「上から目線」になり、受ける側は従う立場を求められるからです。

いつまでも手取り足取りではなく、まかせた上で、温かい目線で見守るということも必要ですね。

返報性にもとづくリーダーの関わり方は、自我状態としてはNP:ナーチュリングペアレントでしょうか。
思考・感情・行動のうち、働きかける部分としては感情ですね。


5つの影響力の源泉 その1
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by 50TEMPEST | 2009-12-28 11:35 | マネジメントのアイデア

5つの影響力の源泉 その2

リーダーが発揮すべき影響力の源泉について、L&M社の小笹社長のモデルがあります。
私の経験もふりかえりながら考えてみます。

メンバーを動かす5つの影響力の源泉
①専門性
②人間性
③返報性
④一貫性
⑤厳格性

 ---------------
②人間性

人間的に魅力を感じさせる相手に、人は従います。

この切り口では、小笹氏は、
・身体的魅力
・態度の類似性
・自分へのポジティブな評価
・空間的近接
を挙げています。

簡単に言えば、
・カッコいい人
・考え方や、することが似た人
・自分を認めてくれる人
・身近な人
でしょうか。

この中では、自分へのポジティブな評価が大事だと思います。
これは交流分析で言えば、プラスストロークですね。

人は、他人からの反応を通して、自分の存在を確認します。
自分を認めてくれるひと、つまり自分に生きていていいと言ってくれる相手の言うことは、聞きたくなります。

したがって、リーダーとしては、フォロワーに対して、できるだけ肯定的な角度からの関わりを積み重ねる必要があるということになります。
もちろん、いつもほめていられるフォロワーばかりではありませんが、否定的なことを伝える場合には、どこを見てどう言うかが問われます。

もっとも、ちょっとした言葉の端々や態度から、そのリーダーが自分をどう見ているか、人は見切ってしまうものですが。

身体的魅力について、リーダーは光っていてほしいものです。
自分は背中で引っ張るのだと決めている人は、他人の模範になるくらい光っていてほしい。
それは、独りよがりではなく、他人からはどう見えるか、少しは意識する必要があるでしょう。

空間的近接を挙げているのは、小笹氏の見識だと思います。
とりあえず、何もウリのないリーダーは、始終顔を合わせて時間をともにすることから始めるという手があるわけですね。

人間性にもとづくリーダーの関わり方は、自我状態としてはNP:ナーチュリングペアレントとFC:フリーチャイルトでしょうか。
思考・感情・行動のうち、働きかける部分としては感情ですね。


5つの影響力の源泉 その1
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by 50TEMPEST | 2009-12-27 11:26 | マネジメントのアイデア

5つの影響力の源泉 その1

リーダーが発揮すべき影響力の源泉について、L&M社の小笹社長のモデルがあります。
私の経験もふりかえりながら考えてみます。

メンバーを動かす5つの影響力の源泉
①専門性
②人間性
③返報性
④一貫性
⑤厳格性

学生時代、支配の正当性(マックス・ウェーバー)なんてことを勉強したのを思い出します。
つまり、人が従うには、何か裏づけが必要なのです。

カリスマ的支配・伝統的支配・合法的支配というモデルでした。
ビジネスシーンに置き換えて、簡単に言えば、個性の強い創業者が社長になるのはカリスマ的支配、その子供が後を継ぐのが伝統的支配、ルールにのっとって選ばれた人がなるのが合法的支配、というわけですね。

 ---------------
①専門性

リーダーが、その仕事や領域に高い能力や豊富な経験を持っていれば、メンバーに影響力を発揮できます。

組織が安定的な時代は、普通この形で昇格や登用がなされます。
組織の中でやっていくとき、最初の段階としては、これがあると楽です。

ちょっとしたアドバイスひとつにしても、さすがと思わせることが言えれば、人は聞いてくれます。
私も、初めて人事の課長になったときは、数年前に関係会社で給与計算、社会保険手続きなどをやったという、わずかな経験が拠り所になりました。

ただし、常にそんな形でリーダーになるとは限りません。
その場合は、自分の資源として持っている知識や経験を、直接ではなく、転用するという、少し発想の転換が必要になりますね。
また、専門性以外の要素を拠り所にすることにもなります。

自分が登用されたのは専門性がすぐれているからだと思いこみ、その仕事をより正確にかつ大量にこなすことを自分のミッションにしてしまう人があります。
たとえば、優秀な営業マンが課長になって、しゃかりきに営業活動にはしるといったこと。

これは大きな間違いです。
リーダーをまかされるということは、そのまでの経験を活かして、次のステージに進めということなのですから。

専門性にもとづくリーダーの関わり方は、自我状態としてはA:アダルトでしょうか。
思考・感情・行動のうち、働きかける部分としては思考ですね。
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by 50TEMPEST | 2009-12-26 11:27 | マネジメントのアイデア

SN氏の場合…交流分析的仮説

●SN氏の生い立ち
SN氏は歌手・タレント・女優です。
2歳の時に両親が離婚し、その2年後に実母と死別、親戚の叔母の家に育てられました。
小学6年生の3学期に実父が再婚し、帰郷。
父親はその筋の人といわれていますが、彼女が18歳のとき、事故死しました。

中学3年生のとき、タレントのコンテストで見出され上京。はプロダクション社長の自宅で下宿生活を送りました。
アイドルとして人気を集め、特に「○○ピー語」と呼ばれる不思議な言葉が売りになりました。
その後、サーファーと結婚、一児を設けました。

産休を経て芸能界に復帰、タレントとして安定的な地位を保っていましたが、夫とともに覚醒剤を常用していたことがわかり逮捕されました。
好感度の高いタレントだったこと、発覚を恐れて逃亡したことなどから、事件の扱いはエスカレートし、大事件になってしまいました。

●SN氏の人生脚本

禁止令: 存在するな 子供であるな
ドライバー: 他人を喜ばせろ

彼女を見るとき、理知的な容貌やまじめなイメージに対する、行動とのギャップがあります。
つまり若いころは「○○ピー語」という奇妙な言葉であり、大人としては覚醒剤への傾斜です。 

「○○ピー語」を話しているとき、とてもおもしろい言葉でありながら、心から天真爛漫に言っているとは感じられませんでした。つまりFCがはじけた感じではありません。
当然のことながら、これはプロダクションの売り出し戦術でした。
彼女は、見事にそれを演じたのでしょう。

そう考えてくると、彼女の実像と虚像の二面性が浮かんできます。
実像としての彼女は、ある頃まで周囲に言われるままに生きてきたのです。
AC優位の自我状態です。Aは低いでしょう。
幼いころ、生きていくために身につけたスタイルです。

テレビに映る虚像は、「○○ピー語」を操るかわいいアイドルであり、きれいに整えた成長した女性としてのSNでした。

おそらく、感じる心をなくしていて、操り人形をその場その場にふさわしく演じるという生き方を続けてきたのでしょう。
そして、人間性を取り戻したい欲求が、有名スポーツ店のボンボンである夫との結婚であり、薬なのです。

子供時代に「捨てられた」経験が、そんな生き方の脚本を身につけさせたと考えられます。
今また芸能界に捨てられた彼女が、これからどんな生き方を選ぶか。

これまで、彼女につきまとって、自我状態CPやAの役割を代わりに果たしていた人たちが、あいかわらずいるのでしょう。
介護の世界に入りたいというのは、本当に彼女の心の声なのか、それとも周りによるイメージ戦略なのか。
その答はまだ出ません。

                  *****
参考:
12の禁止令
1.存在するな
2.男(女)であるな
3.子供であるな
4.成長するな
5.成功するな
6.何々するな
7.重要であるな
8.属するな
9.近づくな
10.健康であるな
11.考えるな
12.感じるな

5つのドライバー(駆りたてるもの)
1.完全であれ
2.強くあれ
3.一生懸命やれ
4.他人を喜ばせろ
5.急げ

※これは交流分析(TA)の応用を考えるためのフィクションストーリーです。
仲間たちとのディスカッションから要点を拾って構成しました。
酒〇井法子氏を評価分析するものではありません。
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by 50TEMPEST | 2009-12-25 12:07 | 日々の交流分析

安全な場

マネジャーの究極の役割は、安全な場を作ることではないかと思います。

もちろん、会社から預かった資源、特に人を使って結果を出すことが一義的な目的ではありますが、そのために何が必要かと言えば、部下が気持ちよく働き、能力を発揮してくれることです。

マネジャーが思うままに、部下を単なる物言わぬ手駒として動かすやり方もあるでしょう。
しかし、それではマネジャーに、強力かつ正確な、見通す力と率いるリーダーシップが必要です。

今日の、グローバル化、スピード化、情報化のなかで、そんなことは現実的ではありません。
もしそんなことのできる人がいたとしても、そして、その人が燃え尽きずに役割を果たせたとしても、後に続く人は生まれないでしょう。

現場のひとりひとりに力を発揮させることのほうが、長い目で見たとき、役に立つはずと思います。
その裏付けとなるのが、安心感です。

ここにいていいのだと思えば、人は物も言うようになるでしょう。
やってみよう、と考えるようになるでしょう。

そんな組織が生まれた時、そのポテンシャルは、膨大になります。
その上で、内発的なエネルギーをうまくコントロールすることが、マネジメントの要諦になるのだと思います。
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by 50TEMPEST | 2009-12-22 14:44 | 見て聞いて考えた

世界で最も描かれた女

すごい人生を知りました。
フランスの歌手、シュジー・ソリドール(1900~1983)です。

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世界で最も描かれた女~シュジー・ソリドール』 BS-JAPAN 2009.12.19

【番組コピー】------------------------------
~南フランス、地中海に面したカーニュ・シュル・メール、美術館となっている古城に、50枚の肖像画が展示されている部屋がある。

描かれているのはたった1人の女性シュジー・ソリドール。
描いたのは藤田、ヴァンドンゲン、レンピカ、ローランサン、キスリング・・・、二十世紀を代表するそうそうたる画家の名前が並ぶ。

最初の肖像画が描かれたのは1923年、彼女が23歳の時。
資産家の愛人が“見せびらかす”ために画家に依頼した。愛人のイヴォンヌ・プレモン・ダレスは社交界でも有名な同性愛者だった。
“変わったことが普通だった”という狂乱のパリでさえ噂になるほど、ふたりはこれ見よがしに関係を誇示した。

後年の雑誌に掲載された本人の告白や伝記作家の推理、生前の彼女を知る人々を訪ねながら、シュジー・ソリドールの数奇な物語は明かされていく。

1900年、シュジー・ソリドールは二十世紀の始まりと共に生まれた。
ブルターニュの荒々しい海、海賊の名門の私生児、貧困、彫刻のような端正な顔立ちと並外れた美しい肢体、男性のような低い声・・・、強烈なコンプレックスと相対するプライドは、「人に認められたい」という強い願望となる。
その願望は、パリに上京後、肖像画というカタチでかなえられる。

肖像画は次第に、イヴォンヌの依頼がなくても描かれるようになった。
シュジーの遊び仲間で、レジオン・ド・ヌール勲章を受けて2年目の藤田嗣治は、金箔を背景に描いた。
狂乱の時代が終わる20年代末、シュジーは男性との愛をきっかけにイヴォンヌと決別し、新しい人生に踏み出す。

自分のナイトクラブを開き、本格的にシャンソン歌手として活動を始めた。
店の壁には肖像画が飾られ、シュジーは自分の絵に囲まれながら独特の重厚なアルトで歌い、人気を集めた。(以下、略)

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たまった結果とはいえ、226枚も肖像画を描かせるという感覚。
それを自分の店の壁という壁いっぱいに掛けているのですよ。

父親から認められず、母のみが親だったという生い立ちと考え合わせると、人生脚本を感じますね。
普通の意味での「人に認められたい」というレベルとは桁が違います。

「存在してはいけない」という禁止令を受けていたはずです。
彼女の場合、それを乗り越えるために、並大抵のことをしていたのではダメだったと思われます。

最初の肖像画はどんなきっかけだったかは知りませんが、それで充たされるものを感じたのでしょう。
自分の肖像画を見ることで、自分という存在が形をなします。

他人が自分を描くということは、ここに自分がいる証です。
また、自分でもそれを見ることができ、絵は残りますから、自分が生きたという証にもなるわけです。

そんな形で、自分を確認し続けたかったのでしょう。
そして、無意識に、そこに駆り立てられたのでしょう。
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by 50TEMPEST | 2009-12-20 13:02 | 日々の交流分析

修善寺物語、見てきました

吉右衛門の面作り、夜叉王。
12月の国立劇場です。

思うような面ができないことを頼家に責められて言う、
「左にノミを持ち、右に槌を持てば、たやすく面はなるとおぼしめすか。…」。
有名なセリフです。

しかし、意外に低い調子で言われました。
台詞がまだ入っていないのか、体調が悪いのか、と思うぐらい。
彼の工夫なのでしょう。

少し考えてみました。
このセリフ、言い方によって、ずいぶんニュアンスが変わりそうです。
そんな風に考えるようになったのは、自分が朗読をするようになったからですね。

強く、凛と言葉を張れば、「芸術の難しさを知りなさい」という感じになるでしょう。
相手を責め返すようなニュアンスも出る。

強くても、詠嘆するように言えば、「自分の苦心をわかってくださいよ」という感じになるでしょう。
「でも、わかってもらえないんだよなあ」というニュアンスも。

今回のように、自分の内側に言うようにすれば、「自分の苦心はわかってもらえないでしょうね」という感じになります。
「うまくできない。そんなはずはないのです。でも…」という苦悩が伝わります。

ここがあるので、幕切れ近くのセリフが効いてきました。
「われ拙なきにあらず鈍きにあらず、源氏の将軍頼家卿がかく相成るべき御運とは、今という今始めて悟った」

前に、色々なことが自ずと作品に現れるのだと、自分の口から言っていたことで、
「そうか、なるほど」となるわけです。

観客側からは、歌舞伎的な意味での爽快感は少ないのですが、結末の、劇としての重みは大きくなりました。


また、死んで行く娘桂に、顔を写させろというくだり。
やりようによっては人間味のない感じになるでしょうが、
「父として、お前の死を見届けるぞ。記憶と記録にとどめるぞ」というニュアンスにとれました。

前後を含めて、セリフの腹がしっかりできていたということだと思いました。
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by 50TEMPEST | 2009-12-16 12:16 | 歌舞伎,オペラ

むかーし、あったんだどー 85 ハエとりリボン

ハエとりリボンなんて思いだしたのは、テレビで唐十郎さんが昔の話をしていたからです。
小学校の夏休みの宿題で、ハエを5000匹取ってくるというのがあったのだそうです。

で、彼がどうしたか。
魚屋さんからハエとりリボンをもらってきて、そこから牛乳瓶に移したというのです。
なんともはや…。


最近でもどこかで見たような気がするのですが、思い出せません。
まだどこかで作られているのでしょうか。

はじめは小さな筒です。
そこから端を引き出していくと、ベタベタしたものが塗布された長いリボンが出てきます。

それをハエよけしたいところに吊っておきます。
リボンにさわったり、とまったハエは動けなくなるのです。

さまざまな食品のお店、特に魚屋さんには吊ってありました。
家庭では、台所とか食卓の上ですね。

リボンにたくさんハエがついたら、リボンごと捨てます。
そのころには、リボンは真っ黒。見て気持のよいものではありません。
それにベトベトはかなり強力なので、服や手につこうものなら大変です。


ハエよけしたい対象物、そのものから直接に取り除く効果はないわけですね。
それに、ハエに学習能力はありませんから、まあ果てしのない話です。

後に、似たようなものでゴキブリホイホイができました。
こちらのほうは、その家に住み着いたゴキブリが有限である限り、まあ続けるうちには根絶できます。

ハエとりリボンのほうは、当時のことで、ハエはどこからでも飛んでくるわけですから、いくら吊ったところでイタチごっこなのです。
しかし、リボンにたくさんくっ付いているだけに、それだけ防いだという感覚がわいたのでしょうね。
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by 50TEMPEST | 2009-12-15 14:28 | むかーし、あったんだどー

むかーし、あったんだどー 84 ハエたたき

棒状の物の先に、ハエをたたくための平たくて四角い部分がついている道具です。

昔あったものは、針金を曲げて作ってあり、ハエたたき部分は金網でした。
その後全部プラスチック製になりました。

要するに、どこかに停まっているいるハエをたたくのです。
日本中、ハエは多かったですから。

そういえば、私の子供のころ、ハエたたきがうちにはありませんでした。
隣の雑貨屋さんにはありました。

たまに留守番を頼まれることがあって、お隣にはテレビがあったので、よろこんで行きました。

夏のある日、テレビを見ながら、初めてハエをたたきました。
おもしろくなって、パンパンやりました。

窓はあけっぱなしです。
ハエはいくらだって入ってきます。

今思えば、隣の小母さんは帰ってきてびっくりしたでしょう。
たたいたやつを拾うなんて知恵はありません。
家中、ハエの死骸だらけでしたからね。
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by 50TEMPEST | 2009-12-12 18:39 | むかーし、あったんだどー

パソコン・人間能力・生産性・ストレス

かつて、生産性といえば「量」をどれだけこなすかでした。
職場にワープロだのパソコンだのを入れようとするとき、その妥当性を言うのにも、作成量や時間削減数を言わなければなりませんでした。
質のような、定性的なことを言っても通らなかったのです。

今、そんなことをいう会社はないと思います。
手作業時代とは「質」的に違う仕事ができていると、誰でも知っているはずです。
つまり、今の生産性の考え方は「質量」でイメージするべきなのでしょう。

ただし、その到達した生産性のレベルが、種としての人間の扱える幅を超えてしまっているのではないかと、思うことがあります。
人間のほうが、まだ適応できていないというべきかもしれません。

パソコンを使うことで、扱える量、作り出せる質、可能になった判断レベル。
私の若い頃とは、くらべものになりません。

パソコンの力でいろいろできるようになったことに、人は酔い、おぼれてきたようです。
しかし実は、気づかないまま、仕事の質量をこなすことから来る反作用としてのストレスを受けているでしょう。

パソコンの画面の奥に広がる深い迷宮。
そこで起こることは、先輩上司の目からは見えないので、サポートは得られません。
量だけでなく、質も問われ、それを実質ひとりで管理するわけです。

エンターキーを打った後に、どんなことが待ち受けているか。
東京証券取引所を止めてしまう事態さえ起こりうるのです。

その一瞬の見えない重さ。
我々はあまり感じていませんが、そこにもすごいストレスがあるはずです。

以前、メンタル的に弱ってエンターキーを押せなくなった人を私は知っています。
当時は、なんでそんなことができないんだと思ったものですが…。

社会は、もう戻れはしません。
問題は、人間のレベルで何をしていくことが必要かです。
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by 50TEMPEST | 2009-12-08 10:43 | 見て聞いて考えた