ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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人の徳と歩きについて

NHKの『街道てくてく旅』を、おもしろく見ています。
元プロスポーツ選手が、昔の街道を歩き通すという番組です。

最近では、四国八十八か所歩きを四元奈生美さん(彼女はまだ卓球の現役)、山陽道を原田早穂さん(シンクロナイズドスイミング)、熊野古道を森上亜希子さん(元テニス)。

何年もシリーズが続いて、番組が認知されるようになったということもありますが、各地での人々の歓迎ぶりが暖かく、こちらも気持ちが温まります。
そのあたり、NHKらしい番組とも言えます。

とりわけ、お婆ちゃんが途中で待ち構えていて、握手を求めたり、一服していけという様子には、単なるミーハーとは違うような雰囲気が感じられます。

大げさですが、徳を積んだ僧が通りかかるのにふれるとでも言いましょうか。
各回見ているときは、さほどではないのですが、総集編で通して見ると、よけいにそう感じます。

歩くことは、徳を積むことにつながるのかもしれません。
古来、僧の修行のひとつは行脚です。

そういえば、放浪画家、山下清さんの例もありますね。

また、私が子供のころ、及川裸観さんという健康運動家がありました。
「全身を顔にせよ」というのが彼の主張で、いつも上半身は裸、半ズボン姿で、「薄着は健康のもと」と書かれたのぼりを持って、日本全国を歩いて行脚していました。
笑いは健康によいのだと、何かといえば「ワッハッハー」とよく笑います。
テレビのゲストにもよく出てきましたし、一度は実際にすれ違ったことがあります。

彼らも、歩きながら人々とふれあい、一宿一飯を得ていったのでしょう。
都会的な感覚から見れば「変な人」でしょうが、旅を続けるうちに、ある種の徳というものが、確かに積まれていったのだと思います。

少し前まで人並み以上に努力を積んでいた元スポーツマンが、今度は普通でない距離を歩きながら、たくさんの人々とふれあっていく「行脚」。
そう考えると、番組の旅人たちが、回を追うごとに、顔つきがよくなっていくように思えてきます。
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by 50TEMPEST | 2010-12-29 11:27 | 見て聞いて考えた

100万回生きたねこ

先日、『100万回生きたねこ』を朗読しました。

ある会合のクリスマス会で、毎年朗読の機会をいただいているのです。
あるときから「泣けるもの」というリクエストがありまして、以来そのコンセプトでネタ選びをしています。
今年は、佐野洋子さんが亡くなったこともあり、これにしました。

初めてこの本を読んだのは、ずいぶん前、この本が話題になったときです。
本屋の立ち読みでしたので、ボロボロこみ上げてきて、あせったものでした。
今回、泣かずに読めるか、ひとつの挑戦でもありました。


いっしょに学んでいる女性の友人とかけあいの形をとりました。
朗読劇といった趣です。

さて、読み終えての反応は・・・。
第一声に、「深い」とか、「人生」とかいう言葉が飛び交いました。
「生き切って」というような言葉も聞かれました。

あとは、私が猫に見えたとか・・・。
私が、登場する猫の一人称の感じで読んだので、こちらの演出意図が届いたということでしょうか。


実は、朗読の師匠、相方、3人で作りこんでいくうち、読むほどに、ストーリーが自分の生きてきた道に重なってきました。
聴いてくださった皆さんも、同じように、人生をふりかえるきっかけになったのかもしれません。

結果として、泣かずに読めるようになりました。
最初の頃は、ただ伴侶を失う猫の悲しみに共鳴してウルウルしていたのだと思います。
最近は、「満ち足りた死」、「浄化」といったことを主題に見て共感するようになりました。

ラスト、猫が死んでいきます。
天上から射す一筋の光の中に、穏やかに横たわる猫の姿をイメージして読みました。
まっ白い灰になって燃え尽きることができること、それは生きる者として幸せなことなのだと思います。

朗読することで深く味わえた作品が、またひとつ増えました。
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by 50TEMPEST | 2010-12-24 07:53 | 朗読

人が行動にとりかかるのは

ある精神科のドクターから仕入れたお話。

行動療法的に言うと、人が行動にとりかかるのは、以下のようなことが満たされるときです。
 ・具体的に何をどうしたらよいかが明確にわかること
 ・その行動が自分にとって大事と感じること
 ・それを実行することで、よい結果を予測できること
 ・それを実行するのに、お金や時間などのコストが大きくないこと

そして、その行動が起きたとしても、続くかどうかは別です。
行動が続くためには、その行動の後によい結果がともなうことが必要です。
つまり、タバコをやめたら調子がよいとか、誰かから褒められたとかです。

またその期待する行動は、できるだけ具体的であることも必要です。


講師としては、人間様に対して動物実験の結果をあてはめるように感じないでもありませんが、結局そういうことだろうな、とも思います。

研修が自主参加でなくとも、その研修テーマが他人事ではなく、自分にも役立つことなのだと考えてもらうことから始め、
 ・何をどうしたらよいか、研修のメッセージを明確に伝えること
 ・その行動が、少なくともビジネス人として大事なのだと伝えること
 ・実行すればよいことがあると予測させること
 ・さほど犠牲を払わなくともできるのだと感じさせること
に意を用いる必要があるわけですね。

そして、
 ・具体的な行動として宣言してもらうこと
 ・単発の場合は、その気づきと決意に対してストロークを与えること
 ・数回にわたる場合は、続けていることに、仲間などからストロークを与えること
ということになりますね。
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by 50TEMPEST | 2010-12-12 14:51 | 見て聞いて考えた

スキルを教えるということ

コンサルタントや講師の方とお知り合いになると、何を教えてらっしゃるのですか、という話になります。
そんな話の流れで、「もうスキルの時代ではない」ということをおっしゃる方がよくあるのです。

スキルでなければ何なのか、いろいろお考えはあるでしょう。
「講師が伝えるべきものは今やマインドだ」とおっしゃりたいのかもしれません。

また、そうおっしゃる根拠は、クライアントさんの声なのか、その方の哲学なのか。
そのあたりから先に話を深めないまま、通り過ぎることが多いのですが・・・。


私は、スキルでいいじゃないか、と思います。
何かができるようになるということは、それが何であれ、スキル化したと言えるのです。

だから、たとえば「気持ちの持ち方」を教えて、受講者さん本人がセルフコントロールできるようになったとしたら、内容はマインドであったとしても、それは「スキル」を教えたことになる。
講師が受講者さんに行動変容を期待するなら、結局スキルを教えるということになるのだと。


マインドから変わらなければ十分ではない、という意見もあるでしょう。
しかし一方で、マインドは簡単には変わりにくいもの。

心理操作でもすれば別ですが、講師がマインド面の落とし込みまで配慮したとしても、本人がガラリと本当に変わるものなのか。
私自身がそうだったのですが、マインドなど変えられたくはない。
では、しぶとい受講者がマインドを変えなかったとして、その研修は失敗なのか。

表面の技だけ教えればよいと言っているわけではありません。
しかし、一歩踏み出せるようにしてあげることも大事なこと。
踏み出して、歩いているうちに、マインドができてくることだってよくあります。


スキル、マインド、どちらも定義の問題のような気もしますが、「もうスキルの時代ではない」なんて、わかったような言い方をされると、それ以上話を聞く気にならないもので・・・。
今度、機会があれば、少し食い下がってみましょうか。
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by 50TEMPEST | 2010-12-10 12:01 | 見て聞いて考えた

龍馬伝終わりました

NHKの大河ドラマ『龍馬伝』、ついに終わりましたねえ。

結局、ほとんどの回を見てしまいました。
これは、『翔ぶが如く』、『元禄繚乱』以来じゃないかな。

龍馬という人がどんな人だったか、歴史上何をした人だったか、わかりやすく描かれていたと思います。
単なるヒーローというのではなく。

政治の混乱の中で、勢力争いはできても、誰も新しいコンセプトは提示できなかった時代だったと思います。
大政奉還や、次の体制イメージなど、ひとつひとつのアイデアは誰かが言いだしたことであっても、プランという形に提示したのが、坂本龍馬だったのだということです。

岩崎弥太郎と組み合わせ、彼が否定し、乗り越えようとしつつも、魅かれ続けた相手としたのも、おもしろかった。

俳優さんたちも、皆さん大熱演。
ちょっとした役にも、名のある人を盛大に使っていましたよね。

近江屋のところでは、何で星野真理なの?という感じでしたし、市川亀治郎なんか、刺客として1回だけですものね。
友情出演大会という態をなしてました。

何といっても、リアルさの追求がすばらしかった。
着物のだらしなさ加減。マゲのいろいろ加減。家のきたなさ加減。
普通の時代劇はきれいすぎるのです。

長回しのせいであろう、様式にはまらず実感のこもったやりとり。
こんな力のこもったセリフの応酬は、そこらの映画など真っ青になって引っこむほどだったと思います。

とにかく、歴代大河ドラマの中で、断トツで金メダルといってよいと思いますです。
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by 50TEMPEST | 2010-12-07 18:39 | 見て聞いて考えた

むかーし、あったんだどー 99 網棚

列車の網棚です。

もちろん今でもあります。
新幹線にだってあります。

ただ、あれは「網棚」とは言いますが、ちっとも網ではないのです。

昔は、ほんとうに網でしたよ。

壁から、要所に金属製の腕木が出ていて、腕木から腕木へ、網が張ってありました。
緑色の紐で編んでありました。

繊維の網ですから、中間はたるみます。
古くなると、そこに重いものでも乗せると、切れることもあっただろうと思います。

戦争中などは、これに人が乗ったこともあるそうです。

その後、ステンレスの金網だった時代もあると思います。
たるまず、切れなくなりました。
これでもまだ網棚です。

最近の電車は、最初から一体の棚を取り付けています。
棚ではありますが、網棚ではなくなったのですね。

私は、本を持ち歩くことが多いので、鞄をよく「網棚」に載せます。

一度、鞄を網棚に載せたまま、腰掛けて眠り込み、目的の駅に着いたら、鞄がなくなっていたことがありました。

ついでに思い出しましたが、座ってはいなかったものの、少しアルコールが回っていて、鞄をそのままにあわてて降りてしまったこともあります。

気づいて探してもらったら、次の駅が終点だったのに、見つかりませんでした。
翌日、その駅のトイレで見つかりました。

本が何冊か入って、ずっしりとしていたので、何者か金目のものでもあるかと、持ち込んで調べたのでしょうね。
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by 50TEMPEST | 2010-12-06 17:12 | むかーし、あったんだどー

熊手のご利益

関東では、熊手は酉の市で買います。
関西では、十日戎で買います。

大阪に転勤していたとき、支社長以下、幹部が必ずお参りに行き、買ってきた熊手は支社長席のそばに飾ったものでした。

そんな経験もあり、フリーになってからは、熊手が気になっていました。
それでも、新春だとその気になりやすいのですが、関東では師走なので、うっかりすると忘れます。

今年は、ちゃんと二の酉に、四谷の須賀神社に行って、小さいながら熊手を買ってきました。
実は、永年、四谷を勤務先にしていても、酉の市には一度も行ったことはありませんでした。

なかなか賑やかなものです。
で、帰り道、携帯にはいったメールを見ると、以前やった研修のリピートの打診。

これはまさにご利益というべきでしょう。
来年も、たくさん福をかき寄せたいものであります。
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by 50TEMPEST | 2010-12-05 16:42 | 見て聞いて考えた