ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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自己肯定スタンスの新人研修モデルプログラム

◆新人研修モデルプログラム 2日間

1.オリエンテーション 社会人の基礎の基礎 …どこからスタートするのか
  ・チームビルディング・・・秘密のサポーター、など
  ・この研修で得たいもの
  ・自己紹介・・・印象に残るプレゼン
  ・挨拶の意味と、し方・・・相手の心に届く挨拶
  ・目標を持って生きる・・・将来イメージとキャリア構築とは
  ・ビジネスに不可欠のものとは・・・相手、期限、コスト

2.会社を知って自分の役割を考えよう …誰から何をどう学べばよいのか
  ・社会人とは・・・会社と学校、社会人と学生
  ・会社の常識・・・会社の組織と階層、ビジネス社会の構造、利益の構造とコストダウン、
              給与と税、社会保険、労働契約と社員の責務、など
  ・経験からの学び方・・・PDCA、失敗から学ぶには

3.人間関係作りの基本を身につけよう …どうしたら相手とよい関係を築けるのか
  ・名刺交換
  ・印象を管理する
  ・コミュニケーションとチームワーク・・・サイレントワーク「理想の家」

4.ビジネスのコミュニケーションを身につけよう …どうしたら力を借りられるのか
  ・ビジネス文書の要点
  ・言葉使いと敬語の基礎・・・敬語ゲーム、など
  ・電話のかけ方・・・ロールプレイ(不在取次、アポイントの調整)
  ・報告・連絡・相談・・・ロールプレイ

5.ビジネスマナーを身につけよう …どうしたらよい印象を持ってもらえるのか
  ・マナーの考え方・・・席次・順番の考え方、など
  ・マナーの基本行動・・・客先訪問

6.自律する社会人になろう …自分は何を持っているのか
  ・健康の意味とは
  ・時間の価値とは
  ・立ちはだかる壁とは

7.全体まとめとふりかえり

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何度も書いていることですが、新人研修は担当者の熱意のあまり、
新人は物を知らない⇒教え込む というスタンスになりがちです。

しかし、私は違うのではないか、と思っています。

近年の新人諸君は、知識量についてはすごいのです。
私の時代などとはくらべものになりません。

問題は、知識の量を増やす方向で、何でも対応してしまおうとすることです。
実務には絶対の正解がありません。
うまくいかない経験をすると、そこで行き詰まってしまうのです。

もちろん「知らない」し、教える必要もあります。
しかし、近年の新人諸君については、それよりも自己肯定感を養う必要があります。

知らないことに対しては、私は次のようなことを伝えています。
・今自分たちはどこに立っているのか
・歩きだすのに必要な資源は持っているのだということ
・それを使っていくには、どう整理しておけばよいのか
・知らないことに対しては、どこから得ればよいのか

つまり、魚の釣り方を教えることを意識していると言えるでしょう。

進め方としては、基本的に体験学習のスタイルをとります。
・いったん自分たちでやってみる
・わからないことを見つける
・知識と、基本になっている考え方を教える
・再度やってみる

今年関わった諸君の、活躍を祈ります。
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by 50TEMPEST | 2011-04-30 11:56 | 仕事の記録

OK牧場(OK-Corral)・・・命名の仮説

交流分析の特徴のひとつとして、心理学的な概念が、カジュアルな言葉を当てて名づけられています。

「OK牧場(OK-Corral)」もそのひとつです。
対人的な立ち位置をどうとるかを見るモノサシとして、「I'm OK」「You're OK」の2軸によるマトリクスを使うのですが、そのマトリクスを「OK-Corral」というのです。

corral がどんなものか、日本ではピンとこないこともあり、交流分析を学んでいる人の中には、何か大層な意味がこもっているかのように考えるむきもあります。
しかし私は、これはガッツ石松さんと大して違わないノリで名づけられたのではないか、と思っているのです。


この概念をまとめたフランクリン・アーンストは、映画の「OK牧場」が頭にあり、交流分析の言葉である「OK」からの連想で、そのタイトルをつけたに違いないと思います。

映画のほうは、保安官ワイアット・アープとその兄弟、友人のドク・ホリデイがクラントン一家と決闘した話を描いています。
1881年10月26日、アリゾナ州トゥームストーンのO.K.コラル近くの路上で起こった実話です。

皆さまご記憶のように、昔は西部劇が盛んでしたし、有名なエピソードとして、何度も映画化やテレビ化されています。
有名なものだけでも以下のふたつ。私もビデオで見ました。

A 1946 ジョン・フォード監督『荒野の決闘 (荒野の決闘/いとしのクレメンタイン)』 My Darling Clementine
主演 ヘンリー・フォンダ、ビクター・マチュア
主題曲は、「オーマイダーリン、オーマイダーリン、…」という表題曲です。
私も歌ったことがありますから、それほど流行したのでしょう。

B 1957 ジョン・スタージェス監督『OK牧場の決斗』 Gunfight at the O.K. Corral
主演 バート・ランカスター、カーク・ダグラス
主題曲は、「オーケー、コラール、…」と始まる、ミッキー・レインが歌うウェスタンらしい曲です。

ガッツ石松さんの例のように、日本人さえ、OKと言えば「牧場」とつながるほど、人口に膾炙した言葉ですよね。
いわんや、アメリカ人の頭には、OKとくればコラルとつながるはずです。

映画で「OK牧場」としたのは、コラルを訳す時、適切な言葉がなかったのだと思います。
後に、交流分析のほうの「OK-Corral」を訳そうとなった時、同じ言葉の訳語として、映画のほうの「OK牧場」がもう知られていたので、こちらもそうしたのでしょう。
仮に、映画のことを知らなかったとしても、命名に関するこの仮説が正しいとすれば、結果オーライだったわけです。

さて、ではコラルがどんなものか。
つまりは、あの映画でドンパチやるのがコラルというわけですね。
映画を見てみるのが、てっとり早い。

本当は、牧場とは、少しニュアンスが違います。
牧場という言葉で私たちが連想するのは、あちらこちらに牛がのんびり草を食んでいたりする広ーい場所です。
アメリカだって、牛や馬を育てている「牧場」はranchです。

辞書では、Corralは「柵囲い」とあります。
西部劇によく出てくる、町をはずれたところにある、馬を囲っている場所でしょう。

木で柵が作ってあります。小屋もあります。
男たちが皆で、「それっ」とばかりに悪者を追いかけようというシーンでは、たくさんの馬を引き出してきます。
想像するに、今なら郊外巨大マーケット付属の駐車場、たとえばアウトレットの一角の立体駐車場みたいな感覚かなあ。

町に来て長い時間いる場合は、馬や馬車をそこに預かってもらう。
水や草をあてがってくれたりしたのでしょう。
ちょっとした馬の売買なども、そこであったらしい。
愛称なのか、商号なのか、「OK-Corral」と名前がついていたのでしょう。

もしかしたら、「高田の馬場」なんてニュアンスに近いかな、とも思います。

というわけで、アーンスト先生は、「I'm OK - not OK」「You're OK - not OK」の2軸で分析することを思いついたとき、映画の連想があり、できたグリッド(マトリクス)の形もちょうど柵囲いのようだというので、洒落っ気を持って、「OK-Corral」と名付けたのだと思います。
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by 50TEMPEST | 2011-04-29 15:32 | 日々の交流分析

むかーし、あったんだどー 105 デスクペン

デスクペンというものをご存じの方は少ないかもしれませんね。

仕事などの机で使う万年筆です。
持ち運びをしなくて、標準デザインである分、安価でした。

カートリッジ方式ができて、つけペンの進化型として生まれたのでしょう。
形はそっくりつけペンの形を踏襲して、持つ部分から手元にかけて、細くなっています。
先に、乾燥防止のキャップがつきます。


つまり、その昔、会社の筆記具の主役はつけペンだったのです。
鉛筆のような軸に、金属のペン先を差し込んだもの。

昔、父親の会社をのぞいたとき、つけペンを時々インキ瓶に入れては記帳していました。
吸い取り紙のついた道具も、ときどき使っていました。

私が会社にはいったのは昭和51年(1975年)で、そんな筆記具が変わっていく節目だったように思います。
さすがにつけペンはありませんでしたが、事務系だったので、ボールペン、シャープペンシルに加えて、デスクペンも支給されました。

文書の下書きはシャープ、清書はデスクペン、伝票はボールペンといったイメージだったのでしょう。
思えば、つけペンと鉛筆だったのが、つけペンがデスクペンに改良され、鉛筆がシャープに改良され、そこにボールペンが進出してきたという感じ。

課長はデスクペンで達筆に書いていました。
私の世代は、支給はされたものの、デスクペンは使わず、もっぱらボールペンとシャープでしたね。

ボールペンも、まだまだ品質が悪く、軸に見えているのに出なくなったり、ボタ落ちしたりして、けっこう手が汚れました。
いいボールペンが出ると、自腹で買って使ってみたりしたものです。

でも、完全にビジネスの筆記具は、ボールペンにとってかわられました。
会社でも、じきにデスクペンの支給をやめてしまいました。

そこからさらに時がたち、今はパソコンが当たり前。
ボールペンさえ、支給されるかどうか。


ところで、デスクペンが生き残ってきた世界が、実はあります。
通信添削というやつです。

結婚して、カミさんが「赤ペン先生」になったとき、赤黒2本のデスクペンが支給されてきました。
以来何年にもわたり、カミさんはデスクペンをすり減らしながら、わが家の家計を助けてくれました。

デスクペンによる「赤ペン先生」の仕事は、つい近年まで続き、今は次第にパソコンに移行しつつあります。

他社の添削はどうでしょうか。
大会社でなければ、まだまだ当分は、デスクペンの生きる余地があるかもしれません。
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by 50TEMPEST | 2011-04-22 10:34 | むかーし、あったんだどー

想定の線引き

原子力発電所を作るのには、何重ものバックアップを構築し、部品等の品質管理も厳重にしていたわけです。
それでも事故は起こってしまった。

津波の高さや、代替電源の途絶。
「想定を超えた」事態が起こりえた。

それにはふたつありそうです。
まず、想定はしていたが、その線を超えた事柄。
もうひとつ、本当に想定もしていなかった事柄。

絶対起こらないようにするべきだったのだ、などと言っている政治家がいます。
それは何も言っていないに等しい。

実際に物を作るとなれば、想定はしなければならない。
考えうるあれもこれもと、果てしなく対策をふやすことは不可能です。

「起こらない」ために物を作るなどありえない。
鎧をどんどん増やせば、今度は動くこと自体ができなくなります。
そうまでしなければならないなら、そもそもやらなければよいのです。

原子力発電所は、時代の要請だったのだと思います。
・石油を特定国に握られている供給安定性リスク
・火力発電所で「燃やす」ことからの大気汚染リスク
・水力発電所ではダム適地の減少、住民を追い出すマイナスイメージとコスト
さらに最近では地球温暖化リスク、などなど。

国が成長するために、エネルギーを要し、それをどうやって得るか。
厳重なシステムを作り、地元にさまざまな交付金をもたらし、それでも見合うだけ、原子力は相対的にコスト面のメリットが大きかったのです。

そちらに舵を切ったのは政治の判断です。
「作る」と決まれば、その方向で想定は行われるわけです。
想定の線引きにおいて、結果的に甘いところができてしまった面もあるかもしれない。

当時の専門家たちが謝るとしたら、その点です。
代替電源の装置が建屋に守られていた炉は、助かったのですから。
人間が手を打ちきれないことばかりでは、なかったはず。

しかし実際には、ある線が引かれ、それを超える事態が起きた。
結果責任はあるにせよ、今さら後付け理屈でとやこう言ってもしかたがない。
超えたことから生まれてしまった結果に対処すること、将来目線で線をどうするか決めること、だと思います。

まして、想定もしていなかったことが発生したというなら、それはしかたがない。
結果を甘受し、リカバリーに専念せざるを得ないのです、誰も思いつかなかったのですから。
そこをどう扱い、人々の目をどう前に向けさせるかは、政治の見識でしょう。

さて今後、原子力発電をどうするか。
それはあらためて政治の判断でなければならない。

使い続けるなら、想定の線引きをしなおし、既存の設備に手を入れることが必要。
専門家の英知を結集しなければなりません。

まずいのは、天災と設備と運用と対処ミスを、ごっちゃにした議論が行われてしまうこと。

問題は、国民が将来のイメージを思い浮かべたとき、エネルギーとして何を選択するかなのです。

昔は、近い将来豊かな生活が得られるという、先の明るさ感を、国中が持っていました。
政治家も役人も、それを実現しようと、熱い思いを持っていたことでしょう。
さて、今はどうなのか。
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by 50TEMPEST | 2011-04-20 10:53 | 東日本大震災

これから求められる支援

オペラ界の事情に詳しい方から聞いた話です。
クラシック音楽のアーチストが、自分はこの事態に対して何もできないと嘆いているそうです。

ズビン・メータが来日してNHK交響楽団を振ったチャリティコンサート、「ベートーベンの第九交響曲」を、テレビで見ました。
もちろん、こんな形もありです。

でも大丈夫です。
これからです。


カウンセラーたちから聞いた話が参考になります。

心理的支援というものが世に知られるようになり、何か大きな事件があると、「カウンセリングが必要だ」と言われるようになりました。
今回も、決まりごとのようにそんな発言をする識者や報道記事が現れました。

しかし、必要には違いないが、そんな支援が必要になるのは、もう少し落ち着いてから。
混乱のさ中に、誰もカウンセリングどころではないのです。
まずは、生存欲求を確保することなのです。


音楽も、人々を癒してくれるすばらしい力があります。
求められるタイミングが、必ず来ます。

これからです。
あせる必要はありません。
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by 50TEMPEST | 2011-04-19 10:47 | 東日本大震災

自粛の時期はもう済んだ

これまで、何かがあって「自粛」とは言っても、けっこう尻抜け。
喉元すぎれば・・・という面もありましたね。
今回の震災では、相当違いがあると感じます。

まず出来事が未曾有の範囲とレベルだったし、その後も後遺の問題が続いています。
そこで、「何かしてあげたい」という思いを、たくさんの人が持っているのでしょう。

それが、「自粛」機運を強めているのだと思います。
しかし、いつまでもそれでよいのか。


観光地は軒並みお客さんが減って、ホテル・旅館などは生き残りに体力勝負になっています。
また、人の確保も問題です。
サービススキルを体に持ったスタッフに去られてしまっては、今後お客さんが戻ってきた時に対応できません。

神田祭や三社祭も、神事を除いて中止だそうです。
被災地に配慮してということだそうで、軽い判断ではなかっただろうと思う半面、私などは部外者なので、そこには少々疑問も感じます。
浮かれる気持ちになれないというのは、わかりますが。

東北の酒屋さんがネットにメッセージを載せていましたね。
彼のおっしゃるように、東北ブランドの酒を飲むようにした方が支援になるというのは、確かにその通りだと思いました。


日々の経済活動を普通にすることのほうが、よほど支援になるというのは、今回学んだことです。
酒の話のように直接的なことでなくても、大きい視野に立つと、カネというものは回り回って経済を動かしているわけですから、経済の血流であるカネの動きを止めてしまうと、不況になってしまいます。

そうなると、復興のための原資もひねり出せない。
倒産などが増えれば、そのほうの問題の手当ても必要になってくる。
負の連鎖です。

今日、第一次産業、第二次産業だけで世の中が成り立っているわけではありません。
第三次産業がしぼんでしまうと、国内の経済規模は格段に小さくなってしまうでしょう。
さらに、人がモノを買わないと、第二次産業もしぼむのは明らかです。


何よりも、日々の生活が安定すること、が大事です。
働き、楽しみ、平凡であっても、それをいつものように繰り返すことで、心も安定します。
ちょっとした贅沢ができるくらいに、前より良くなろうとする一般の人々の努力が、これまで社会レベルでの成長を生んできたのです。


自粛の時期はもう済んだのです。
そんな場合ではないなどと自粛していても、何の助けにもならない。
関心を持つことと、影響を及ぼせることとは違うのです。

品薄の物を買い占めるなどは論外として、被災しなかった人は、以前のように日々をすごすことです。
そうして経済の歯車を回すことのほうが、望む結果に近くなるのです。
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by 50TEMPEST | 2011-04-17 11:56 | 東日本大震災

話のモノサシ

ある方たちと、震災のことを話していて、気づいたことがあります。
話のモノサシということです。
その方は、海外に詳しく、向こうに知人の多い人です。

外国の人が、ずいぶん日本から引き上げてしまいました。
また観光など、来られる方も激減しています。
その原因として、原発の危険ということがあります。

我々は、東京は平静に戻ったし、福島とは離れているのだから、そんなに心配しなくていいのに、と思います。
しかし、外国の方たちは、福島も東京も一緒で、危険を感じているわけです。

それはなぜか。
アメリカ人も、中国人も、概して彼らの地図の感覚が広いのだと思います。

彼らのモノサシで見ると、日本など、全体として小さな国です。
自国を見るモノサシをあてると、福島と東京など、くっついているも同然なのですね。
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by 50TEMPEST | 2011-04-16 14:35 | 東日本大震災

原発関連報道で

最近、朝日新聞を少し見直しました。

福島第一原発のトラブルについて、落ち着いた調子で、いつもかなりの量をさいて、ていねいな記事にしていることです。

また、各炉の状況が違うので、ややこしいのですが、整理した図解といつも抱き合わせにしています。
理解のためのフレームとして、適切だと思います。

前職の会社が原発の工事もやっていた関係で、多少の知識もあり、関心を持って見てきました。
同時に、女性たちなど一般人はまったく知らないのだな、とあらためて思いました。

基本的にマスコミが大騒ぎすれば、人々はそれに輪をかけて大騒ぎするわけです。
非常に複雑なシステムであり、しかも問題が同時並行で次々と起こりましたから、無理もありませんが。


朝日新聞の記事は、社会の木鐸を自任しているせいか、概して、「上から目線」です。
政治をはじめ、「問題」を起こす者に対して批判が大好きです。

私は若いころからの読者ですが、大人になって日経新聞と読みくらべるようになってみると、反応が違うのに驚くことがあります。
日経の、どちらかというと大局的で穏やかな視点に対して、朝日の扱いには、「そんなに紙面をさいて大騒ぎするほどのことかいな」と感じることが、近年しばしば。

論調に、かつての大新聞の貫録が感じられないのは、私が年をとったせいかもしませんが。
もうひとつには、会社の広報担当時代、記者の態度がもっとも横柄なのは朝日だったという経験から、ちょっと見方にバイアスがかかっているかもしれませんがね。


日本の電気は、何のかのと言っても、原発で起こしている分が1/4あり、数か所がダウンしただけで、国民生活や経済全体に及ぼす影響は、現状のとおり。

必要悪といってもよいでしょう。
仮にやめるにしても、代替エネルギーが高効率で使えるようになるまでは、何とかコントロールして使ってゆかなければならない。

とすれば、落ち着いた理解こそが不可欠。
マスコミの役割は、有形無形に大きいのです。
近頃の朝日新聞の原発報道は、確認的情報の提供という意味で、存在を示していると思う次第。
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by 50TEMPEST | 2011-04-14 11:08 | 東日本大震災

人生とは幸せの食べ放題

(略)
本当の幸せは、きっと食べ放題なんだ。
いくらでも、好きなものが、心ゆくまで味わえる。
みんなで、いくらでも分かちあうことができる。
問題は、むしろ自分の持っているお皿なのかもしれない。
自分のお皿が小さければ、
あふれるほどの幸せもどんどんこぼれていってしまう。
自分のお皿が欠けていれば、気づかぬうちに一度手にした幸せが失われてしまう。
自分のお皿が汚れていれば、
その上に載ったキラキラの幸せもあっという間に汚れてしまう。
だから。
もしも本当に幸せを手に入れたいのなら、
なによりもまず、自分の器を確かめる。
人生とは、自分だけが持つその器を、
より大きく、強く、そして美しくするためにあるのかもしれない。

     ・・・ 須子はるか 「自転車ランプの法則」より

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そう、自分にこそ鍵があるのですね。
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by 50TEMPEST | 2011-04-10 14:51 | 見て聞いて考えた

単1電池の払底から考えた

今回の震災に続く停電騒ぎで、単1と単2の電池が店頭からなくなって、今もほとんど見かけない状態です。
なぜなくなったのでしょう。
ラジオ用はまず単3でしょうから、おそらく懐中電灯のために買い込まれたのだろうと思います。

もともと生産量は、ずいぶん少ないのだそうですね。
確かに、我が家の身の回りを見ても、わずかしか使われていません。

ガス台に単1、古い置時計に単2。
あとは単3と単4ばかりですね。

思ったことは、「懐中電灯=単1」という先入観が、多くの人にあったのだろうかということです。
店の方も、仕入れたまま売れずにあった単1用の懐中電灯を、抱き合わせで売ったのかも。


我が家には、部屋の数とカバンの数を足した分くらい懐中電灯があります(つまり部屋の隅にひとつずつ置き、日常使うカバンの中にも入れてあるので)が、20年くらい前のものを除いては、すべて単3用です。
それらの調達先は、ほぼ100円ショップです。

単3か単1かで、明るさは変わりません。
変わるのは、灯っている時間の長さです。

ちなみに、私の経験では、新しいアルカリ電池の単3を灯し続けて、約1時間でした。
器具によって、違いはあるでしょう。


ここから言えることは?
・懐中電灯は単3で十分であること
・生活用の照明には、ロウソクのようなものが必要であること
・常時使える状態にしておくことこそ大事であること


懐中電灯は、そもそも灯し続けて生活する用途のものではありません。
動くために時々つけるというものですから、そんなに長く灯っていなくてもよいのです。
だから本当は、単3用懐中電灯で十分だし、軽くて使いやすくもある。
灯し続けることも想定して用意するなら、頭をはずして自立させるようになったアウトドア用の懐中電灯がいいでしょうね。

灯りっぱなしで使うものは、何と言ってもロウソクでしょう。
懐中電灯だけでなく、ロウソクもほしいところです。

仏壇がない家は、ロウソクの買い置きもないでしょうが、仏壇用はすぐなくなってしまうので、どうせ用意するならこれもアウトドア用のロウソクがいい。
ちなみに、父が亡くなった時、お通夜用の長時間灯るロウソクなるものに出合いまして、これ欲しいなあと思ったものです。

ロウソクを使うには、蜀台が必要です。
なければ、皿にロウを垂らしてから立てる。
ダイコンを切って、それに刺すという手もあります。
近頃はナマの火に慣れていない人が多いので、アウトドア用のランプのようなものがあるとベストです。

ライター、マッチなどの点火具もいりますね。
タバコを吸わない家も多くなったので、案外、こんなところでもつまづくかもしれませんね。

マッチをくれる店も少なくなりましたが、もらったら、大事にとっておく必要があります。
ライターは故障があるのでこわい。
今回我が家でも、非常用品のライターで点かない物がひとつありました。

何よりも、泥縄で買いに行かなくてもすむように、最小限は用意しておくこと。
電池も、何のタイプであれ、時々買い替えるようにすること。

昔の電池は酸性で、よく破裂したものです。
アルカリ電池になって、少なくはなったかもしれませんが、やはり腐食して液漏れします。

入れっぱなしで安心していると、液漏れして、いざという時役立たないだけでなく、懐中電灯やラジオをダメにしてしまうことがあるので、要注意です。
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by 50TEMPEST | 2011-04-09 11:55 | 東日本大震災