ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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ラケット感情

交流分析では、不思議な言葉が登場します。
「ラケット感情」なんて、その代表ですね。
説明するのは、なかなか厄介なのですが、すばらしい説明に出会いました。

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◆『コミュニケーションの泉』より引用

交流分析では、「にせの感情」「代用感情」のことをラケット感情と呼びます。

人間が持つ本当の感情には、喜び・悲しみ・怒りなどがありますが、こられの本物の感情は、ストレートに相手に伝わるため、結果としてはOK-OKの関係を作ることができるのですね。

じゃ、なぜ人は本物の感情を制限してしまうことが多いのか・・・?

実は、ラケット感情であるニセの感情の方が、人から受け入れられるという経験をすることによって、不快な感情であるにも関わらず、何度も繰り返しそのニセの感情を味わううちに馴染み深いものになってしまうからなのです。

子供の頃、親との関係の中で自分の思い通りに行かないとき、たとえば、ほしいおもちゃを買ってもらえない時など、駄々をこねるなんていうことは、どなたも経験があることだと思います。
私は、それで買ってもらったことは、記憶の中ではないような気がしますが・・。

その時に買ってもらえない悲しみを、ストレートに表現すると、
「いつまで泣いているの」
「お兄ちゃんは、そんなこと言ったことなかった」
「もう二度と一緒に買い物には行かないわよ」
などと言われ、「悲しい」という感情すら受け入れてもらえない、承認がもらえない状態にオロオロします。
そこで、親に受け入れてもらうために、いろいろな感情を試してみることによって親の承認を得ようとします。

「わがままをいう私が悪かったんだ・・・」罪悪感
「もう、こんなこと言わないから・・・」後悔
「だれにも私の気持ちなんてわかってもらえない・・・・」寂しさ

その結果、罪悪感をもったり、後悔したりすれば親の承認が得られると思ったら、そのニセの感情を使うくせがついてしまうのですね。

それは、物心ついた頃からではなく、言葉を話せない乳飲み子の頃から繰り返し行われています。

だから厄介なのです。

子供の頃は、親の承認がなければ生きられないと思うことは、当然でしょう。
でも今、私たちはその必要がなくなっているのに、繰り返しラケット感情を使って誰かの承認を得ようとしています。

ストレス状態になると、この感情が心を支配します。

(引用終了) ---------------------

感情とは何かという話が、前提に必要でしょう。
少し補足します。

まず、情動というものがあって、次に感情があります。
情動(emotion)は文字通り「情の動き」です。感情(feeling)は「情を感じること」です。

情動の本質は身体的生理的反応です。誰でも、同じような反応がおこります。
端的に言えば、快か不快かです。

感情は情動刺激と身体反応を認知・判断(情報処理)し、適応的行動を選ぶ大脳皮質的で起こるものです。
つまり、認知のスクリーンを通る結果、人により起こる感情は変わるのです。

人間の発達につれて、感情は分類され、喜び、悲しみ、苦しみ、怒り、などと名前が付きます。
それによって、生物としての人間にとって、望ましいことに向かう、危険をさける、明日の生きるエネルギーを得るといった、次の行動を選ぶうえで役立つからです。
つまり、感情は、もともと行動につながる性質を持つものなのですね。

そして、人間はもともとそうした本来の感情が備わっています。
ですから、小さな子供は、何かストレスに出会ったとき、プログラムされて持っている感情を表現します。
しかし、それが期待する反応を得られなかったとしたらどうでしょう。

「まずい!」 親の関わりを失っては、命の危機です。

必死に、他の感情をあれこれ表現してみます。
そして、そのうちのひとつが当たった。つまり、それでストロークが得られた。
「よし、これだこれだ」。新しいプログラムが作られます。

以後、ストレスに出会った時ごとに試し、こっちの感情を表現する優先度が高まっていきます。
本物の感情(今ここでの気づきに任せた時に、本来の自然な子供Cが感じる感情)でない、「にせの感情」を使うことが幼児決断となり、脚本に組み込まれます。

「にせの感情」は、必ずしも不快なものとは限りませんし、また命の瀬戸際で得られたものですから、なかなか手放せません。
いつも意識せず、それを表現することで、環境を操作しようとします。

それがスタイルになるのです。
いざというときに役だった大事な「イジイジ君」「ムカムカ君」です。

一度身につくと、いつもそれを感じるように、感じるように行動します。
それを感じることが生きている証のようになるわけです。
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by 50TEMPEST | 2011-06-30 17:03 | 日々の交流分析

母子が視線を共有する意味

ある日、出会った光景です。
若いお母さんと、小さな男の子(幼稚園ぐらい?)が、座っている私の前に立ちました。


窓を見ていた男の子、外を指さして
「あー!」  

ママは、吊革につかまったまま、
「はい、電車ね」 

男の子は、
「とっきう!」
(見た目はけっこう大きいのですが、まだ幼いのか、口がまだ回っていません)

「はい、そうね」
「とっきう!、とっきう!」
「はい」

男の子は、何度も何度もお母さんの顔を見上げて、言います。

でもお母さんは、カラ返事だけで、それを受け止めてくれません。
走り去った電車は、当然、目には入ったわけですが・・・。


こんな感じになったらいいのにな、と思いました。

「あー!」  
「えぇ、何があった?」
「とっきう!」
「そうか、特急だね!」
「うん」
「特急、どうした?」
「ピューって」
「ピューって行ったのかぁ。特急、速いねえ。
「うん、速いねえ」
「いつか、特急乗ろうね」
「うん」
「いつ乗ろうか?」
「いつ乗ろうか?」
「〇〇のおばあちゃんのところに行く時乗れるよ」
「うん」


子供が見つけたものを、お母さんが見てくれるという感覚、大事にしたいですね。
このお母さんは、貴重な機会を失っていると思いました。

親にとって取るに足らないことでも、子供にとっては大きな発見なのです。
彼はわくわくしているのです。

それをお母さんがともに見てくれて、共有してくれる。
自信につながります。

また次の新しい発見をしようとするでしょう。
そんな繰り返しの中で、世の中に積極的に関わろうとする姿勢が生まれてくるのだと思います。


逆に受け止めてもらえないことが繰り返されると、彼はお母さんの顔色をうかがうようになるだろうと思います。
何を言えばお母さんは振り向いてくれるか、半ば無意識に色々試すことでしょう。
その生き方が、彼のひとつのスタイルになりそうな気がします。


また、言葉を覚えるという面でも、意味があります。
お母さんが、正しく繰り返してあげることで、子供は正しい発音を覚えます。
「とっきう」ではなく、「とっきゅう」なのだと、耳から覚えることでしょう。


さらに思いをはせると、大人になって、仕事の場面でも影響がありそうです。

自分の問題意識に対して、上司がともに考えてくれていると感じられること。
これ、仕事をする上でとても大事なのです。

自分を支える誰かが見てくれているという感覚が育たないまま、彼が就職すると、失敗に敏感になるかもしれません。
また、上司の立場になっても、行動のスタイルにないために、望ましい関わり方ができないという結果になります。


三つ子の魂、百までと言います。
こんな、ちょっとしたコミュニケーションが、ずっと大きな影響をもたらす可能性があるのです。

 
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by 50TEMPEST | 2011-06-29 20:09 | コミュニケーションのツボ

会社は太鼓

この春に定期採用で入社された方は、そろそろ本採用ですね。
やっていけそうな感触は得られてきましたか?


 会社というものは、太鼓のようなもの

  大きくたたけば、大きく鳴る
   小さくたたけば、小さく鳴る

    会社が大きければ大きいほどそう

     しかし、大きく鳴らすには、こちらに体力と腕力が必要だ

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先日、和太鼓を聴く経験をしました。
太鼓が大きいと、音も大きく鳴る理屈ではありますが、たたき手の方に力がなければ、なかなか鳴るものではありません。

会社というと、「勤める」という言葉が思い浮かびます。
勤めようと思うと、既存の枠の中に合わせるという感覚が出てきます。

会社とは、その力を使わせてもらって、自分一人ではできない「大きなこと」を、やらせてもらうところと考えてはどうでしょう。

若いうちは、そのための力を貯めるのです。

私自身、そんな感じを持てるようになったのは、だいぶたってからですが、それ以降は仕事を楽しめるようになりました。
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by 50TEMPEST | 2011-06-28 10:48 | どこかで知った名言・至言

介護業界での研修歴

介護業界で研修の場をいただくことが増えました。
父が生前介護施設にお世話になったことがあり、何かお役に立てるといいな、と思っていました。
「願えば叶う」とは、よく言ったものです。

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2011
 日本化薬メディカルケア研修センター様(公開セミナー)
   ・若手のためのリーダーシップ
   ・管理者のためのチームビルディング
 株式会社孫の手・ぐんま様 
   ・セルフ・ブラッシュアップ(キャリア棚卸研修)
   ・チームビルディング
 川崎市社会福祉協議会様 ケアマネージャーのためのファシリテーション
 全国農業協同組合中央会様 管理者のコミュニケーションスキル
 寿英会グループ様 管理者のコミュニケーションスキル
 台東区社会福祉事業団様 ストレスコントロール
 日野市社会福祉協議会様 ストレスマネジメント
 三鷹リハケアセンター様 ストレスマネジメント
 中野区様 ストレスマネジメント
 大和会・和光苑様 ストレスマネジメント
 寿優和会・浅川苑様 ストレスマネジメント

2010
 川崎市社会福祉協議会様 ケアマネジャーのためのファシリテーション
 日本生協連様 管理者のためのコミュニケーションスキル 2回シリーズ
 埼玉医療生協様 管理者のためのコミュニケーションスキル
 株式会社孫の手・ぐんま様 
   ・全社対象管理者マインド
   ・管理者のためのコミュニケーション
   ・セルフ・モチベーションアップ
 練馬介護人材育成・研修センター様 若手のためのコミュニケーション
 生活クラブ様 管理者のためのマネジメント
 ソシオ株式会社様 ストレスマネジメント
 フロンティア豊島・養浩荘様 OJTリーダーの仕事
 日本化薬メディカルケア研修センター様(公開セミナー)
   ・管理者のためのメンタルヘルス(ラインケア)
   ・管理者の心構え
   ・管理者のためのチーム・ビルディング
   ・若手のためのセルフ・ブラッシュアップ(キャリア棚卸研修)
   ・若手のための能力・自己開発(キャリアプラン研修)
   ・若手のためのセルフ・モチベーションアップ

2009
 東京都北区様 管理者のためのコミュニケーションスキル
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by 50TEMPEST | 2011-06-27 08:00 | 仕事の記録

★「伝わる」文書を書く力研修

書くにしろ、話すにしろ、言葉の面での教養のようなものが、若い人になくなってきましたね。
まとまったものを読まないこと、書かないことが原因だろうとは思いますが、そこを嘆いてみてもはじまりません。

とはいえ、ビジネススキルとしては、いわゆる名文や凝った文が書ける必要は、まったくありません。
それはむしろ邪魔です。少し違う次元の話だと思います。

私も、若い頃からずいぶん文書は書いてきました。
そして、ある時期から、秘訣をつかんだ気がしています。

文書作成というと、文例集をながめながら、書き続けて身につけるスキルのように考えられがちです。
しかし、コミュニケーションとしての意味からアプローチしていけば、もっと簡単に「よい文書」が書けるようになります。

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オープニング
1.なぜよい文書を書けなくてはならないか
 ・そもそもコミュニケーションとは
 ・文字コミュニケーションの限界
 ・ビジネス文書とはどんなものか

2.ビジネス文書でおさえるべき原則
 ・目指すべき「よい文書」とは
 ・「よい文書」の極意とは
 ・「よい文書」を書くには

3.ビジネス文書をどう書くか~書きながら考えよう
 ・伝言メモ
 ・提案書
 ・議事録
 ・報告書
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by 50TEMPEST | 2011-06-26 16:58 | 仕事の記録

ビジネス文書遍歴

いわゆるビジネス文書というものを、ずいぶん書いてきました。

会社に入って新人時代は総務部でしたので、社内向け通達文をよく書きました。
前の控えを取り出して、原稿を書き、上司のチェックを受けました。
そんなアナログの時代です。しかし、このやり方が身につくのです。

会社名義で出すレターも時々作りました。
おかげで、文書というものの形式を覚えられたと思います。
慣れてくると型をふまえて考えるので、スイスイ作れました。

法務的な仕事の時期には、株主総会議事録など形式の決まった文書、事業報告書など目線の違う文書を作りました。

パンフレットを作る経験も何回か。
コピーライターの書いてきたものを、ガシガシ書きなおして、料金を値切ったことがあります。
思えば、我ながら嫌なやつですね。

しかし、自分にとっては、いい経験に。
その経験は、広報で役立ちました。
企業広告のコピーや、調子に乗って、ラジオCMの原稿まで書いたりしました。

そのころ、社内報を出すという話になり、その記者兼編集者もやりました。
書くことについては、社内でこわい物知らずという感じでした。


当時は、社内通達をはじめ、できるだけ簡潔に、それでいて情報は必要十分に、と考えていました。
しかし、異動で支社勤務になり、東京から流れてくる文書が十分な意味を伝えていないことに、愕然としました。

削ぎ落し過ぎると、まずいのです。
本社にいるだけで、周辺情報は何となくわかったのですが、そうしたものが地方では伝わらないのだ、と思いました。


その後、人事になって、制度や規定にかかわることが多くなると、書く文書ににもロジカルな法律的センスが求められます。
もともと法科出身ですから、そのあたりに違和感がなかったのは幸いでした。


人生後半はデジタル時代。
やりとりはすっかりメールになりました。
普通の会社員が、「拝啓、ますます・・・」というレターを書くなんてなくなりましたね。

ビジネス文書とは少し違いますが、ブログを書き始めてもう8年です。
書くことに、楽しみながら取り組んできたな、とあらためて思います。
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by 50TEMPEST | 2011-06-21 12:20 | 仕事の記録

経営者の「アヒルの水かき」

会社にはいって2,3年の、ほんとうにペーペーの頃、何度か社長のお使いをしたことがあります。
ある日秘書課長に呼ばれ、これを持ってどこどこに届けてきてほしい、社有車が用意してあるから、という具合です。

行先は、日本で指折りの大会社の社長さんのお宅でした。
時には、芸事の家元のお宅、またおさらい会の楽屋などのこともありました。

当時あった役員用の車に乗せてもらえました。
運転手さんが場所をよく知っていて、いちいち教えなくても済み、荷物もあることだし、昼はあいているから、というだけのことですが。

まさか後席には乗れません。
助手席です。

社長さんのお宅、それは戸建だったり、マンションだったりですが、うかがうと、
「ごめんください、~の使いでまいりました」

あらかじめ電話してくれていますから、すぐ玄関が開きます。
式台のあるお宅では、私のような者にでも奥様がちゃんと膝をついて応対してくれます。

教わった向上を述べます。
たとえば、観光土産の手提げ袋を出して、
「先日、~が~に参りまして、ほんのお土産でございます」

「いつもお気づかいくださいまして、ありがとうございます。~さんにどうぞよろしくお伝えください」
「かしこまりました、では失礼いたします。ごめんください」

家を出てしまえば、またペーペーですから、あの大社長はこんなところにお住まいなのか、などとあらためて周りを見まわしました。
あの頃、どこかのテレビCMで、ゴリラが「俺、社長の代理」と言うのがあり、そんなことを思い出したりもしたものです。

使い走りとはいえ、自分がそんなことをさせてもらえて、晴れがましい気持ちになりました。
一方では、社長はこんなことをしているのだ、そうした布石があるから大きな仕事が取れるのだ、とトップ同士の世界、経営の奥を見た気がしました。

今は、何でも入札のドライな世の中ですから、トップ同士こんな付き合いがあるのかは知りません。
しかし、私にとってこの経験は、仕事への向かい方に少なからず影響を与えたと思います。


ルーティンになるほど、仕事からは感動が得られなくなります。
部下に、非日常を味わう機会を与えることは、よい刺激になります。

また仕事の結果が及ぶ相手(直接見えなくても)をイメージすることで、仕事に血が通いますし、やりがいも生れます。特に人事などのスタッフ部門はそうです。
「人事の仕事は、相手が 1/社員数 だと思ってはいけない。相手にとっては1/1なのだ」と、部下にはよく言いました。


◆ここから学んだツボ
・トップは「アヒルの水かき」をしているもの
・特定の「誰か」の役に立つ仕事は楽しい
・トップのお宅にはそれにふさわしい醸し出すものが
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by 50TEMPEST | 2011-06-17 07:54 | 見て聞いて考えた

歩行ラリーを体験

歩行ラリーを体験してきました。
ヒューマンズコンサルティング株式会社の熊原社長にお誘いいただいたのです。

2日にわたって開催されたセミナーのうち、大半は外を歩いている時間です。
ずいぶん歩いたり走ったりしているのですが、さほど疲れ果てた感じはしません。

楽しかったからですが、座学ではない分、むしろ疲れないとも言えそうです。
やってみた方でないとわかりにくい感覚でしょうが。


メインは、所定のコースを、コマ地図と呼ばれるルート図に従い、指定された標準時間通りに歩くというゲーム(ラリー)です。
チェックポイントを通過した時間と、標準時間との誤差で勝敗がつきます。
これを初日に1回やり、徹底したふりかえり(何が大事かの探求)をしてから、翌日もう1回やりました。


最初は道に迷いまくります。
1時間程度のところを、3時間もかかります。

反省して、要点をさぐり作戦をたてます。
今度は大丈夫と思うのに、また迷う。
もちろん、そのように組んであるわけですが。

結局、ほんとうには要点をつかんでいないのです。
だから、思いこみや「つもり」「はず」に、足をすくわれてしまうのです。

あせりがあせりを呼びます。
どう打開するか、落ち着きが求められます。

広い視野、タイムリーな決断が必要です。
日頃やってしまっている自分の姿勢や態度が、その混乱の中ですっかり見えてきます。


研修ですから、日常の仕事面への落とし込みもします。
総じて言えば、体験学習のサイクルを、大がかりにまわす研修です。

「人は体験から一番学ぶ」というのが、私の哲学です。
その点で、新人は新人なりに、ベテランはベテランなりに、学ぶことができ、また、焦点を絞ることも、広くすることもできる点で、とても優れたプログラムだと思いました。

歩行ラリーそのものは歴史的に定評があり、長く行われてきたものです。
実施主体ごとに、ラリーのやり方は多少違うようですが、私の知る限り、ヒューマンズコンサルティングさんのスタイルは、ほんとうによく工夫されていると感じました。
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by 50TEMPEST | 2011-06-16 15:08 | 仕事の記録

山下清展で考えたこと

千葉県立美術館で山下清展を見てきました。
手でちぎったとは思えない細密な絵には感動。

昔の素材なので、紙の酸性化、褪色、カビ、はがれなど、かなり問題をかかえていて、修復の努力がなされていることも紹介されていました。

驚く点は・・・。
・風景の奥行き感
 大きい景色は大きいなりに、小さい景色は小さいなりに、遠近を正確に切り取って再現している
・細密な表現
 大きな風景の中の人ひとりでも、正確なバランスで描きこんでいる
・再現力
 頭の中にある写真のような映像を、貼り絵では迷わずに貼り込み、
 デッサンでは直にフェルトペンで書きこんでいる
・日記帳の「自分」
 放浪中、鉛筆で書かれた絵には、自分自身が後ろ姿で登場している
 ちょうど別の存在が、その有様を眺めているように


人間の目は、これだけのものを見ているのだな、とあらためて思います。

「見た」というだけなら、見たものは、彼以外の人間でも同じはずです。
その人なりの表現になるのは、入ってきた情報が、脳のところで取捨選択されるのでしょう。

もちろん、表現する技術の有無や、あえて表現しようとする意欲の程度もあります。
しかし、それが理想的にあったとしても、脳は無精するでしょう。

彼の場合は、見て心が動いた景色を、写真のように切り取って記憶し、さらに再現する。
これだけの情報量を、正確にそのまま表現できることは、ほんとうに驚異的です。


何に感動するかの感性のよさや、生まれた作品の「美しさ」は言うまでもありません。
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by 50TEMPEST | 2011-06-12 12:39 | 見て聞いて考えた

フェイスブックについての講演を聴きました

マーケティングプランナー松宮義仁氏の講演「フェイスブック゛て会社・職場・ビジネスを元気にする」を聴いてきました。

Facebookやってはいるのですが、どう使えばいいのか、よくわからないなあ、というのが本音でした。

おかげで、だいぶわかりました。
なるほど、そんな仕組みになってるのか!

問題は、それをどう使ってビジネスに役立てるかなので、それは追々。

こんなことは、本を読んでも時間の割にわからないことが多いもの。
先を走ってる人の話を聴くのが早いですね、あらためて思います。
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by 50TEMPEST | 2011-06-11 19:44 | 見て聞いて考えた