ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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私のキャリア12 稼ぐ感覚を知る その2

管理部門が子会社化され、稼ぐことを求められることになりました。
勝手のわからないことばかりでしたが、ここから何を学ぶかが勝負だと思っていました。


アウトソーシング会社として管理部門(人事、総務、経理、後にシステム部門も合流)を別会社化し、子会社側は専門能力を活かして、本体だけでなく他の会社にもサービスを提供することで稼ぐというビジネスモデルでした。
同時に、本体にとっては人件費を変動費化し、その他の経費も経済論理にさらすことで圧縮しようというねらいもありました。

会社の立ち上げから担当しました。
会社とはいっても、管理部門の人間たちですから、どうすれば「稼げる」のか、はじめは本当にわかりませんでした。

その後、他部門や、外部から「稼ぐ」感覚を持った人が加わりました。
私の目には、彼らの発想はとても新鮮に映りました。


その会社には、本体の「一般職」という補助的業務を担当していた社員(現実的にほぼすべて女性)も転籍し、本体は「一般職」を廃止するという改革も行われ、これも、人事として私が担当しました。
人を切らずにできるリストラとして、苦心の施策だったと思います。

しかしながら、リストラであることには違いないわけです。
それまで会社は、「経営は盤石」、会社に身をゆだねて、日々まじめにやってさえいればよいのだと言っていただけに、「こういうことは起こるのだな」という感慨がありました。

やはり、自分の仕事人生は自分で築き、自分で守っていかなければいけないのです。
交流分析を学んだり、セミナー通いでたくさんの外部の人と付き合い始めたのは、その頃からです。


私は、上司に冗談で「過激派」と言われたほど、変革をしかけてきた人間です。
制度改定や問題解決に喜びを感じてやってきました。

とはいえ、管理部門、特に人事は、立場が上がるほど、調整的な仕事が増えます。
本体から離れた視点からふりかえると、何と遅い仕事ぶりだったか、と思えました。

そんな考えが高じてきて、自分の新しい立ち位置を開拓すべきタイミングになったとき、新しい事業の柱を作ることにチャレンジしようと思ったわけです。

自分のやりたいことと、会社が求めることとは、必ずしも一致しません。
しかしそんなとき、双方の方向性のベクトルが、裏表なら論外ですが、そこそこ似たものならば、そのベクトルの和(平行四辺形の対角線です)の形で、ウィンウィンの方向が見いだせると考えました。


新事業に挑戦する気になった背景や動機をふりかえってきました。
それができたのは、恵まれた立場だったと思います。

部門が子会社化されることで、それまで普通のまじめな人事屋だった自分の意識が変わったのです。
しかし、それまでに積み上げてきていたものが無駄になったわけではありません。

人事屋として、また管理職として、スキルなりマインドなり、それまでのものがあったから、自己肯定感を持って臨めたと思います。
では、そのあたりを、さらにふりかえってみましょう。
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by 50tempest | 2014-02-28 09:42 | 自己紹介

私のキャリア11 稼ぐ感覚を知る その1

管理部門育ちの自分が、研修事業を社内ベンチャーとして立ち上げようと、なぜ考えるに至ったのか。

たどると、その数年前に、管理部門が子会社化されたことがきっかけです。
おかげで、考え方がだいぶ変わったように思います。

まず、自分の給料を自分で稼ぐという、当然のことに目覚めたこと。
ずっと管理部門育ちでしたから、頭ではわかっていても、事業会社になることではじめて、その大変さ、またそのためにはどうすることが必要なのかがわかりました。

次に、武器としてスキル、経験を積む必要を再認識したこと。
財務は万全だから安心して身を任せていなさいと、会社側は言い続けてきていましたが、首を切られたわけではないとはいえ、どんなことも起こりうるのだ、自分の身は自分で守る必要があるのだと、あらためて思いました。

もうひとつ、チャレンジすることの面白さを感じたこと。
会社を回すために、経営的な視点からあれこれと試みることが増え、何かやって結果を生むという刺激的な感覚に慣れていきました。


苦闘しながらも、ふと気づくと、子会社側は少しずつでも意識が変わり、変化を求められなかった本体側の意識は昔のままでした。
まして、外部の人たちの感覚を知ると、育った世界の時計の回り方が少し遅いように感じました。

多くのサラリーマンは、ある年齢になると、自分のサラリーマンとしてのゴールのイメージを持つと思います。
私もひとりの人事屋として、多少へそ曲がりで改革派とはいえ、大枠ではまじめなサラリーマンでしたから、最後は人事部長ぐらいにはなれるかな、などと思っていました。

それが、子会社化によって大きく変わりました。
思い浮かべた形にはなりませんでしたが、逆に世の中を知ることができたし、たくさん学ぶことができました。

むしろ、幸せだったと思っています。
何を学んだのか、次で、少しくわしくみていきます。
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by 50tempest | 2014-02-24 09:40 | 自己紹介

私のキャリア10 新事業に挑戦

講師としての独立について、書いてきました。
では、その前はどうだったのか。

その前の2年間は、レモン・ビジネス・アカデミーという事業の責任者をしていました。
これは、企業研修・セミナーをビジネスマンに提供する事業です。

会社自体はアウトソーシング、人材派遣という事業をしていました。
その中で、社内ベンチャーとして新事業を提案したのです。

それまで自分が担当していた親会社の人事業務については、ある程度人も育ち、人件費の高い自分が担当し続けるのは適当でないという流れにありました。
自分の組織への貢献として何をするかを考えなければいけませんでした。

そこで、研修の事業を立ち上げられないかと考えました。
それまでもグループ会社の研修などをしていましたし、自分自身セミナーに出るのも好き、また、あちこちの研修会社の体験セミナーなどものぞいていたので、これなら大きな投資もいらないし、うまくいけば、何人かは食べていけると思いました。

こんな発想は、藤原和博さんに刺激されたものです。
彼が、会社の資源を自分のために活用する生き方として、会社の方向性と自分の方向性のベクトルの和という考えを書かれていて、なるほどと思ったのです。

ビジネスモデルとしては、研修講師くさい既存の方よりは、個人向けにセミナーをやっている講師さんで、よいコンテンツをお持ちの方がたくさんいらっしゃるので、そういう方を企業につなごうと考えました。

また、会社に広い会議室スペースがあったので、ここで夜のセミナーと研修の体験セミナーを開きました。
存在を認知してもらいつつ、講師さんとのご縁を作りました。

この時期にお知り合いになった方たちには、今人気の方たちがたくさんおられます。
水野浩史、渡瀬 謙、心屋仁之助、倉島麻帆、福島 章、木戸一敏、矢矧晴一郎、開米瑞裕、今井 孝、三宅潤一、長尾 彰、下田令雄成、朝倉千恵子などなどの各氏(書き切れません)。
感謝の一言です。

ビジネス自体は、イメージ通りには進みませんでした。
素人同然で、手さぐりしつつですから、当然といえば当然かもしれません。

しかし、何事もやってみなければわからないもの。
やってみたことで、得るものはたくさんありました。

こうした経験が、後にどれだけ役にたったかしれません。
また、私自身も経営ばかりでなく、講師として登壇したり、商談を進めたり、夜はネットに告知を書き込んだりと、1人4役ぐらいの仕事をしましたので、濃密な2年間でした。

また、榊原重朗先生は、彼が体験セミナーの参加者として来られたときからのご縁です。
この後、ご縁がどんどん深まり、今も「師」の1人であります。

ビジネスとしては2年やって、多少の感触が得られたように思えましたが、社内事情もあり、一応ケリをつけることになったわけです。
では、私がどうしてこんな「無謀」なことをやりたいと思うようになったか、さらにさかのぼりましょう。
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by 50tempest | 2014-02-17 09:37 | 自己紹介

私のキャリア9 適職選びのフレーム

キャリアカウンセリングでは、仕事選びのフレームとして、興味、能力、関心の3つで考えることをします。

私自身も、その面から考えました。


◆興味…仕事にどの程度興味を感じるか、どんな興味を感じるか

会社勤めを続けて、起きてくるだろうことに、興味を感じることがあまりできませんでした。
ひととおりのことは経験した感がありました。

立場が上になるほど、調整的な仕事が多くなりますし、当時の雰囲気では、消極的な方向での調整が中心とも見込まれました。
組織やヒト・モノ・カネを動かすこと自体が好きという人もありますが、私はそうではありませんでした。

独立については、講師になる上で、教えること、育てること、話すこと、演じること、そしてそのことに自分の体を使うことは、とても楽しく感じられました。
そのために自分自身が学ぶことも楽しいことでした。


◆能力…必要となる力を持っているか、それは競争力があるか

勤めを続けるなら、ある意味慣れた仕事です。

独立ついては、それまで見てきた多くの講師さんを思い起こすと、自分自身がそれまで色々と身につけてきたもので何とかなると思われました。
特に、自分がやってきたワークショップ形式で受講者から引き出しながら進めるスタイルは、一応のレベルだろうと思いました。

もちろん、このあたりは、独立後に未熟さを思い知らされるのですが、多少根拠は薄くても楽観的に考えなければ始まりません。
講師になりたくて、あれもこれもと学び続けているものの、結局飛べていない方に出会ったことがあります。


◆関心…その仕事に意義を感じるか、自分がする上でどんな意義を見出せるか

会社に勤め続けるなら、リベラルな幹部として、会社をよりよくすることはできたでしょう。
ただ、当時の会社の状況を考えると、55歳の私があるポストを占めるより、もっと若い人に積極的に経験を積ませるほうが得策だと思えました。

独立については、自分が学び、経験したことをお伝えするのは、世の中にもお役に立つはずと思いました。
人の生き方としても、教えてもらう立場から、それをお返しする立場になるのは意味があると思えました。
私が会社に入った当時、定年が55歳でしたから、その意味でも、立場を変える節目としては適切だと考えたわけです。
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by 50tempest | 2014-02-10 06:41 | 自己紹介

私のキャリア8 転機での選択

会社の役割上の転機をきっかけに独立したと書きました。

おとなしくしていれば、ある程度計算できる人生が続き、新しい道に踏み出せば、道の人生となります。
当然、踏み出すことで失うものもあるわけです。

いろいろ天秤にかけて考えることになります。
あれもこれもと載せてみても、先々読めないことはたくさんあります。

何を天秤にかければいいのか。
そのあたりが、キャリアカウンセラーの勉強をしたおかげで、少し冷静に考えることができました。


A それまでの会社生活を続けて得られるもの
 ・月収、年収
 ・退職金(増える分)
 ・年金
 ・生活レベル(と若干の誇り)
 ・信用(特に経済的な)
 ・経済的な安定

B 独立で得られるもの
 ・自分ならではの仕事の意義
 ・ダイレクトな感触
 ・日々の刺激
 ・自由(特に時間的な)
 ・組織人としての負荷(特にストレス)の減

そのうえで、私はBを選んで飛ぶことができたわけです。


AとBとが、単純な裏返しの関係にあるわけではありませんが、いくつかは、それに近い感じがありそうですね。

会社生活には、経済的安定や身分的安定があるわけですが、その見返りとして、時間の不自由さやストレスがあります。
独立して「自由業」になれば、まさに時間は自由になるものの、自由にばかりしていては食べていかれません。

しかし、人生とは「与えられた時間」だとするならば、もともと自由な時間をどれだけお金に換えるか、また別のことに充てるかの問題です。
独立して、安定的収入が失われたとしても、ゼロになるわけではないし、失う分に見合う何かが得られるはずだと考えました。

考えを拡げるなら、勤め続けても、会社がなくなってしまうとか、解雇されてしまうとかの可能性もあるわけです。
また、独立後に始めた何かが当たって、ウハウハお金が入ってくる可能性だってなくはありません。

ただ、そんなことまで考えに入れてしまっては、何も決められなくなるのです。

結果として、私は今、時間的にさほど忙しくしているわけではなく、自由な時間として得られた分は、ネタ作り、先への仕込み、妻との共有、母との共有、好きなものを楽しむといったことに、自分で決めて使えていて、とても幸せを感じているというわけです。
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by 50tempest | 2014-02-07 06:38 | 自己紹介

私のキャリア7 講師の喜び

学ぶことは、ほんとうに楽しいです。
学ぶことは、生物として生きる上で役にたつことですから、それは本来楽しいはずなのです。
神様は、そのように作られたはずです。

半面、 人は変わりたくありません。
今ある状態は、少なくとも生存が確保された状態です。
変わることは危険を招くことかもしれませんから。

また、その人の環境や境地から、自分だけでは、必要なことに気づかないことは多くあります。
そもそも何が必要かさえ、人はわからないものです。

そんなパラドックスを超えるきっかけを提供するのが、講師だと思います。

その人が学ぶ喜びに気づけたとき。
その人が悩みを突き抜けるきっかけが得られたとき。
それこそ、講師冥利に尽きる瞬間ですね。

講師自身も、お役に立てる喜び、新しい気づきを、受講者さんから得ています。
乞食と役者は三日やったらやめられない、などと言いますが、講師もそうかもしれません。

これからも、体のきく限り、頑張り続けたいと思っています。
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by 50tempest | 2014-02-03 06:37 | 自己紹介