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ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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だんしがしんだ

立川談志が死んでしまった。

志ん朝、円楽、談志と、一時代を作った人たちがいなくなってしまったと感じます。

新しい古典を作ったと言っていいでしょう。
私は、あまり好きではなかったけれど。

芝浜など、あまりにリアリズムで、楽に聴けなかったものですから。
でも、ひとつの演出形態であることは大いに認めます。

「現代落語論」も、高校時代すでに落語研究会だった私は、さっそく読みました。
これも、今言われるほどすごい本だとは思わなかったけれど、落語家が、芸談ではないこんな本を書くという才気には驚きました。

今のように、芸人が若い人のあこがれの職業であり、クイズで博識ぶりを競う時代ではありません。
「噺家はバカですから」と、誰もが卑下しまくっていた時代にですよ。


古典化が進んで、寄席で誰がやっても、テープで覚えたんじゃないの?と思うことがよくありました。
戦後の名人たちがすばらしかったせいです。

でも、そのままやったのでは下手なだけ。
昔の匂いもなくて、快くないのです。

談志は絶対そんなことはなかった。
彼が、師匠小さんはじめ、教わったとおりにやるなどありえません。
絶対、彼自身のものになっていました。

そんな姿勢、談志イズムが志之輔を生み、さらに今活躍している、喬太郎など、ユニークな演出をする若手落語家たちにつながっていると思います。

そうだ!これを「ダンシズム」と呼びましょう。
合掌。
# by 50TEMPEST | 2011-12-05 20:33 | 見て聞いて考えた

真剣にやると知恵が出る

真剣にやると知恵が出る

 中途半端にやると愚痴が出る

  いい加減にやると言い訳が出る

   やる気がないとため息が出る

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まったくですねえ。

普段、真剣でないというわけではありませんよ。

でも、ビジネス的に美味しくないお話でも、しんどいお話でも、気が入ると、ひらめきますよね。
# by 50TEMPEST | 2011-12-03 08:14 | どこかで知った名言・至言

顔が変わる

知人で、顔の研究をして博士号を採った人がいます。

赤ちゃんは、お母さんの顔を見て、その表情を真似ます。

また、私たちが誰かと出会い話しかけるとき、相手がニコニコしていれば、こちらもニコニコして話しかけるでしょう。
仏頂面をしている人には、またそれなりの顔で話しかけるでしょう。

顔の表情は筋肉でコントロールされるわけですから、どんな表情で暮らすかで、筋肉の使い方が変わり、その違いはどんどん広がります。
顔は性格や職業を反映し、誰もが、それらしい顔になっていくというわけです。


さてそう考えてくると、どの鉄道沿線に住んでいるかにより、顔つきが違うという私の仮説もうなづけることになりります。

T電鉄とT鉄道では、明らかに顔が違います。

前者のほうは、ずっと先に開け、当時小金持ちだったサラリーマンたちが土地を買ったようです。
当時のサラリーマンは、知的な人たちが多かったのかもしれません。

そして、ある類似性を持った人たちが近くに住み、刺激し合うことによって、さらに類似性は濃くなったのでしょう。
後者の方だって、たいした違いはないのですが、その沿線を買った人たちの時代には、もうサラリーマンはエリートではなかったのです。
数代の時間を経て、その違いは濃縮されたに違いありません。


ある路線ひとつを取り上げても、ある駅から東京寄りかそうでないかで、顔つきの変わる分岐点が明らかにあります。
もちろん、よい悪いの問題ではありませんよ。

東京に近いほど、各地の血が混じり、また人同士の刺激が多いのでしょう。
いわゆる都会的な、ある面では美しい、ある面ではアクの薄い顔が多くなるように感じます。


さてさて、昨今のように、外国の人が増えたりしたら、日本人の顔はどうなっていくのでしょうね。
# by 50TEMPEST | 2011-12-02 07:18 | 見て聞いて考えた

一、十、百、千、万の健康法

◎一、十、百、千、万の健康法

一読 ・・・・一日一回は本を読み、己を磨く

十笑 ・・・・一日十回大笑いしストレスの発散

百吸 ・・・・一日百回深呼吸し身体の活性化

千字 ・・・・一日千字を書く、手は第二の脳

万歩 ・・・・一日一万歩く、脚は第二の心臓

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一のところが、一日一善だったり、一日一回自分をほめるだったり、少しバリエーションはあるようです。

しかし、そんなものは、自分の好きなものにすればよろしい。

自分がこれと思ったら、それを続けることですね。

私の場合、千字のところはキーボードありでいいですよね?

とすると、万歩のところがやばいです。
# by 50TEMPEST | 2011-12-01 14:44 | どこかで知った名言・至言

個人・組織・社会とキャリアデザイン

ひさしぶりに、日本ファシリテーション協会(FAJ)の例会に出ました。
法政大学キャリアデザイン学部とのコラボです。

「あなたの組織、キャリア開発なんかに取り組んで大丈夫?---個人のキャリアデザインが組織を変える?」というワークショップで、こんなことを考えました。

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これからあるべき社会視点のキャリアデザインとは・・・

企業の価値は、キャリア観に微妙に投影されているでしょう。
成長を当然のことと考えたり、スキルをふやしていくべきだ、とかいうことです。

しかし、今日、社会の価値は変わろうとしています。
日本においては、特にそうです。

地球という船から、ギリギリまで資源を絞って、たくさんの人間が生きています。
そのひずみがポンとあからさまになったのが、今回の原発事故と言えなくもない。

これからの社会は、否応なしに、分ちあいの社会です。
有限を前提に、引き算の発想が必要です。

さて、そうなると、企業組織だって、価値を変えざるをえない。
生産性を追求し、売上げだ、利益だと言っていたのが、ひっくりかえるかもしれない。

そんなに皆が皆、ガンガンもうけようとしなくてもよい。
そこそこのもうけで、それを分け合うという安定した企業もよいのではないか。

そこではワークライフバランスや多様性が価値として求められます。

たとえば、高齢者も、いつまでも働きなさいではなくて、さっさと退職するのです。
そして、その人件費は、若い人に回される。

上が抜け、下に入る。
組織の中で仕事がバトンタッチがされていく、循環システムができます。

年寄りはいつまでも働かず、ライフのほうを楽しむのです。
若い人が定期的にはいってくるからこそ、組織は活性化するのです。

少しでもよい人間をという近視眼で、若い人を長々と採用選考で縛り続けるのはいけません。

そんな企業社会では、たくさんしゃかりきに働きたい人はそのように、そうでない人はまた、それなりに働けるのです。
育児中の女性だって、子育てという楽しみを感じながら仕事ができます。

得ようとして得た何かよりも、その得ようとする過程を味わいます。
いわば、コンテンツより、プロセスを重んじるのです。

生き方の次元では、充実感が尊ばれます。

たとえば、自己効力感や、自己決定感こそが大事。
今どこにいて、何をしているのかがわかれば人は安心し、社会に対して関わりを保つ限り、充実して生きられます。

いくら稼いだかなど、二の次。
そうです。人は、人生の時間をどう充実して生きるかが問題なのですから。

そんな、価値の転換した社会が、必要です。

できるはず。
だって、あれほど四の五の言っていたサマータイムや時短が、電気が足りないとなったとたんに、たちまちできたではありませんか。
# by 50TEMPEST | 2011-11-28 00:08 | ファシリテーション