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ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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想定の線引き

原子力発電所を作るのには、何重ものバックアップを構築し、部品等の品質管理も厳重にしていたわけです。
それでも事故は起こってしまった。

津波の高さや、代替電源の途絶。
「想定を超えた」事態が起こりえた。

それにはふたつありそうです。
まず、想定はしていたが、その線を超えた事柄。
もうひとつ、本当に想定もしていなかった事柄。

絶対起こらないようにするべきだったのだ、などと言っている政治家がいます。
それは何も言っていないに等しい。

実際に物を作るとなれば、想定はしなければならない。
考えうるあれもこれもと、果てしなく対策をふやすことは不可能です。

「起こらない」ために物を作るなどありえない。
鎧をどんどん増やせば、今度は動くこと自体ができなくなります。
そうまでしなければならないなら、そもそもやらなければよいのです。

原子力発電所は、時代の要請だったのだと思います。
・石油を特定国に握られている供給安定性リスク
・火力発電所で「燃やす」ことからの大気汚染リスク
・水力発電所ではダム適地の減少、住民を追い出すマイナスイメージとコスト
さらに最近では地球温暖化リスク、などなど。

国が成長するために、エネルギーを要し、それをどうやって得るか。
厳重なシステムを作り、地元にさまざまな交付金をもたらし、それでも見合うだけ、原子力は相対的にコスト面のメリットが大きかったのです。

そちらに舵を切ったのは政治の判断です。
「作る」と決まれば、その方向で想定は行われるわけです。
想定の線引きにおいて、結果的に甘いところができてしまった面もあるかもしれない。

当時の専門家たちが謝るとしたら、その点です。
代替電源の装置が建屋に守られていた炉は、助かったのですから。
人間が手を打ちきれないことばかりでは、なかったはず。

しかし実際には、ある線が引かれ、それを超える事態が起きた。
結果責任はあるにせよ、今さら後付け理屈でとやこう言ってもしかたがない。
超えたことから生まれてしまった結果に対処すること、将来目線で線をどうするか決めること、だと思います。

まして、想定もしていなかったことが発生したというなら、それはしかたがない。
結果を甘受し、リカバリーに専念せざるを得ないのです、誰も思いつかなかったのですから。
そこをどう扱い、人々の目をどう前に向けさせるかは、政治の見識でしょう。

さて今後、原子力発電をどうするか。
それはあらためて政治の判断でなければならない。

使い続けるなら、想定の線引きをしなおし、既存の設備に手を入れることが必要。
専門家の英知を結集しなければなりません。

まずいのは、天災と設備と運用と対処ミスを、ごっちゃにした議論が行われてしまうこと。

問題は、国民が将来のイメージを思い浮かべたとき、エネルギーとして何を選択するかなのです。

昔は、近い将来豊かな生活が得られるという、先の明るさ感を、国中が持っていました。
政治家も役人も、それを実現しようと、熱い思いを持っていたことでしょう。
さて、今はどうなのか。
by 50TEMPEST | 2011-04-20 10:53 | 東日本大震災