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ドン・パスクァーレ  風の丘ホールパンフ解説

オーナーの急病のため、ピンチヒッターでパンフレットを作りました。
風の丘ホール
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■ドニゼッティの時代
ドニゼッティは19世紀前半に活躍したオペラ作曲家です。日本では徳川末期です。ドニゼッティから少し遅れて新選組が活躍し始める、そんな頃と思ってください。この頃からオベラが、今日の一般的な形になり、かなり私たちの耳になじんだものになってきます。

さて、オペラの歴史をながめると、19世紀前半には2つの大きな現象があります。
第1はカストラート(男性去勢歌手)の影響です。
バロック時代、18世紀オペラの最大の特徴はカストラートの存在でした。彼らはボーイソプラノの繊細さを成人男性のボリュームで表現できたので、その歌唱力を背景に超絶的なテクニックが発達しました。アリアでは音楽的な必然性よりは「どれだけ美しく歌うか」がひたすら追求されました(こうした美しい歌唱をベル・カント(美しい歌)と言います)。
19世紀にはいってカストラートが表舞台から消えても、その流れは残ったのです。前の時代からくらべれば、ずっと台本重視になってはいますが、やはりまだ、旋律線を美しく歌うことそのものが重視されました。男性の男声歌手、女性の女声歌手の技巧も発達しました。
カストラートの頃は個人の持つ名人芸にまかされていた歌い方が、この時代は楽譜に技巧がかなり書き込まれるようになり、楽譜どおり歌うことが要求されました。そこで、この時代を代表するロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティの作品を「ベル・カント・オペラ」と総称しています。

第2はオペラの民衆化です。
ヨーロッパでは、革命の時代を経て王様や貴族たちが力を失い、経済力を持った民衆が時代を動かすようになりました。日本で歌舞伎が民衆の娯楽として栄えたように、イタリアではオペラが民衆の興行となりました。そして、オペラは民衆の好みを反映させたものになっていきます。つまり大衆に「うける」ことを求められたわけです。その結果、様式性は次第にうすれ、劇としての感動が追及されるようになっていきました。神や英雄の物語であるオペラ・セリアと喜劇であるオペラ・ブッファも、その区分が次第に失われていきます。
こうした延長線で、前に述べた技巧的な歌唱も、ドラマとしての必然性を失わないように入れこむ工夫がなされました。こうして生まれたのが「狂乱の場」です。ソプラノが普通でない歌い方で超絶的な技を聞かせるのも、それはヒロインが苦難の果てに精神に異常をきたした時や、いまわの際なのだから納得できるというわけです。

ベル・カント時代の後を継いで、イタリアにヴェルディとプッチーニ、ドイツにワグナーという巨星があらわれます。そうして、19世紀を通してオペラが最大の花を咲かせていったのです。

■ドニゼッティの作品
ドニゼッティ(1797~1847)は多作でした。生涯に70余曲のオペラを作りました。
ちなみに、同時代のロッシーニ(1792~1868)は「セヴィリアの理髪師」ほか39曲を書いてオペラ作りをやめてしまいましたし、ベッリーニ(1801~1835)は「ノルマ」など10曲で早世してしまいました。というわけで、ドニゼッティは両手で書いているのだろうと揶揄されました。
今回上演される「ドン・パスクワーレ」は、最後のオペラ・ブッファの傑作と言われています。
50年後にヴェルディの「ファルスタッフ」が登場するまで、イタリアオペラの3大喜劇と言えば「セヴィリアの理髪師」、「愛の妙薬」と、この作品でした。
 【主な作品】 アンナ・ボレーナ  愛の妙薬  ランメルモールのルチア  連隊の娘  
          マリア・ストゥアルダ  ロベルト・デヴェルー  ルクレツィア・ボルジア
              
次回はヴェリズモ・オペラです。プッチーニの頃から(19世紀末期~20世紀)、オペラは演劇性、写実性が求められるようになります。そして、昔々の話ではなく、リアルな「今」の話のオペラが作られていきます。それがヴェリズモ(現代的な)オペラ。歌舞伎で言えば「生世話(きぜわ)」でしょうか。上演予定のマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、映画「ゴッド・ファザー」に劇中劇として登場しましたよ。次回もお楽しみに!
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by 50TEMPEST | 2004-11-06 15:10 | 歌舞伎,オペラ