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人事考課をやめるとしたら 時代と社会の変化

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。


人事考課はやめてしまえる、やめてしまったほうがよいと思います。

ただし、人間の働きぶりをみるという、本当の意味での人事考課までやめてしまえと言うわけではありません。
それは別の形でやるほうがよいと思います。


人事考課制度が機能した時代もあるのです。
そのあたりと今とを、比較してみましょう。

そもそも、いわゆる人事考課は、団塊の世代を処遇するのに生まれたのでしょう。

第二次大戦後、社会が安定するにつれ、たくさんの子供が生まれ、その人たちが社会に出てきました。
それに合わせて、経済も発展し、企業も成長しましたから、たくさんの人を採るようになりました。

昭和40年代の後半は、100人以上採用し続ける会社は珍しくなかったのです。
そんなにたくさんの人が一度に入り、やる仕事はというと、徒弟的に簡単な仕事から身につけていくのです。

差のつけようなどありません。
人数それ自体多いのですから。
仮に、A部署内でなんとか評価にメリハリをつけようとしたとしても、B部署とどう違うかとなれば、説明はできません。


経済発展とともに物価は上がる。
企業収益も上がるから、賃上げ要求が激しくなる。

50年代の半ばまで、春闘という年中行事がありました。
今もかろうじてその言葉は残っていますが、昔はもっともっと過激でした。

そんな中で、賃金水準を安定させ、人件費の変動を把握するために、戦略的に生まれてきたのが、職能資格制度です。
(給与制度の変化と功罪については、稿をあらためて書きます)

現実的に、能力本位のメリハリがつけられないとなれば、ブラックボックスの早見表でやるのが便利です。
ある年齢までは機械的にそれでやっておいて、よほど目立った人間、目立った功績だけひろっていっても、ちゃんと会社は回ります。

社会は右肩上がり。
先の明るい感じがありました。

会社は安心だからまかせなさい。
定年まで忠誠を誓えば、悪いようにはしないよ、と会社は言いました。

確かに、まじめに勤めあげれば、課長ぐらいにはなって、家も持て、子供も育てられる。
スタートが、日本中貧乏な時代なのですから、それだけだって喜びなのです。

そして、国中をあげての上昇志向が、有効需要を生み出していたのです。


さて、経済がグローバル化しました。
バブル崩壊、失われた十年、と続くなか、いわゆるリストラというものが日常化しました。

定年までまかせなさいと言っていたものが、その約束は守れないということになったのです。
自分の人生は自分で切り開きなさい、に転換したわけです。


それは実に大きな転換です。
それでいて、前の時代の論理に合わせてつくられた制度の根幹は、いまだに変わり切っていません。
前のほうが、日本人のメンタリティに合っていたのかもしれません。

たとえば、会社の中で生き残り、場合によっては他の道を切り拓く、それは自分の責任だと、有形無形に言いながら、提供される社内研修は、昔の論理のままだったりします。


今や、企業としては、何を飯の種にしていくか、それをどうやって実現していくか、真剣に考えなくてはいけなません。
極端な少子化という事情も加わり、さらに話は複雑になっています。

とはいえ、入ってくる人間が少ないなら、本来あるべき姿である、人間を見るということが可能になったはずです。
少なくとも、大量採用を背景とした人事考課制度は、もう必要がなくなったのです。
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by 50TEMPEST | 2011-09-10 19:21 | 人事と給与