年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。
人事考課はやめてしまえる、やめてしまったほうがよいと思います。
なぜそう言えるか、背景として給与の考え方の変化を考えています。
さて、それほどすばらしい職能資格制度でも、副作用はあったのです。
給与水準を安定的に約束するという性格が、コスト面では固定費として現れます。
もともと安定を提供することによって、いわば暴走を抑えるというのが制度の使命だったわけですし、年功序列を改善して、いくらか合理性を与えようというものだったのですから、根っこの年功的性格は持っています。
不況になると、その年功的性格こそがやり玉にあがりました。
成果対応こそが必要だというので、安定的に上がるようになっていたテーブルが、定期昇給レベルではあまり上がらないように修正されました。
しかしながら、不況下での見直しですから、全体としての人件費を抑えようという力が働きました。
テープルを抑えることで生みだされる原資が、そのまま成果に見合う給与として振り向けられたわけではなく、またその成果の査定方法自体も厳しいものになりました。
結果として何が起こったかというと、中高年の給与水準が下げられたこと、若年者の給与がなかなか上がらなくなったこと、です。
ハーズバーグの動機づけ衛生理論が示す通り、給与は衛生要因であり、つまり低くなるとモチベーションが下がるほうに働くのです。
日本社会が慢性的な低迷感に支配されるようになりました。
それは、経済的なマクロな低迷感だけでなく、働く人のモチベーションダウンもあると思います。
人事考課制度が、給与制度とリンクしていることを述べてきました。
ですから、人事考課をいじるなら、給与制度もいじる必要があります。
これまで、テープルにはめこむことが人事考課であったわけです。
これから必要なのは、そうではなく、人をきちんと見ることだと思います。