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人事考課をやめるとしたら 評価の神話を考える  

年中行事としての人事考課をやめてしまったらどうなるか、シリーズで考えています。

人事考課はもう役目を終えたと述べてきました。

今回は、人事考課をささえていた神話について、考えましょう。
わかった気になっていたが、よく考えると「?」だった考え方です。


◎考課の評語は正規分布
AとかBとかいう評語は、つける数は部門内で正規分布にするのが普通です。
これは、ハイパフォーマーとローパフォーマーは同じ数いるという前提にたっています。

そうでしょうか。
統計のような大きな数で言えることが、会社の人数程度で、まして部門内で言えるのか。

百歩譲って、保持能力という面では言えたとしても、発揮能力や成果という点では、部門の間での違いはあるはずですよね。
もう単なる約束ごとでしかないのです。

さらに、こんなことも。
正規分布でつけることにする一方で、昇格させるためには2年間の評価がAであることなどというルールを作ったとします。

するとどういうことが起こるか。
もう昇格させても先がない中高年には、がんばっていたとしても、Cでがまんしてもらって、そろそろ昇格させたい人にAをつけるなどという操作が行われるのです。

基準をつくって公正にしようという人事サイドの思惑とは違って、現場は裏をかくのが得意です。
それは、必ずしも悪いことではなくて、ある意味ではその必要があるからです。

本音を言えば、全社で正規分布をとるのが大変なので(現実にはそうならないから)、部門内で正規分布にするのです。
あえて部門間の違いなどを反映しようとすると、ポイント制をとることになりますが、置き換えるぶん、当人にとっての感触は、また遠くなってしまいます。

結局は、原資を配分するための基準にしなければならないので、やっていることです。
だったら、最初から金額で考えたっていいというのが私の考えです。


◎部長の二次効果
課は課長が一次考課をし、部長が二次効果をするというのが普通です。
部長は、各課の甘辛を見て公平な観点から修正する。

そうでしょうか。
反対に、よく見えなくなるのではないですか?

忙しい部長が、ほんとうに全部員を見ているでしょうか。
でも部長に修正されると、実際のところ、課長は本人にそのことを説明できません。

よく見ている課長にまかせてはいかがでしょう。
もちろん課長は、日頃の観察や配分案を、部長に説明して、承認を得る。

部長が手を出したければ、部長枠の賞与原資を、これと思う人に配分するようにすればよいと思います。


◎多角的な評価要素
評価要素はいろいろな角度から設定されます。
これにより多様な能力を把握することかできます。

そうでしょうか。
評価要素をふやすほど、結果にメリハリがなくなりますよ。

結果的には、あっちの分野でよい点数をとった人と、こっちの分野でよい点数をとった人が、同じ評価になってしまうのです。

個々の評価要素での得点など、あまり見る機会はありません。
そこまでデータ化されていないことも多いでしょうし、されていたとしても、そこから検索して人材をさがすことなど、ほとんどなされないでしょう。

また言葉で定義した要素は、現場のできごとをあてはめようとすると、どうとでもとれることが多いのです。
たとえば、ある要素に高い点がついていたとしても、本来想定した意味でついているかどうか…。

考課表を精密に設計しようとしても、しょせんは限界があるのです。
上司のアナログな視野でも、結果にたいした違いはないし、むしろメリハリはつけやすいはずです。

まずは課長が部下をよく見る仕組みを作ります。
課長は、その観察をふまえて配分案を考える。

自分の配分案を部長に納得させようとすれば、真剣に見るはず。
その議論の中で、優秀な部下の名前は部長の記憶にも残ります。

その結果、その部下はその後もよく観察され、時にチャンスもまわり…、目立っていくでしょう。

このほうが、よほど制度として機能するはずです。
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by 50TEMPEST | 2011-09-22 07:12 | 人事と給与