ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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思い出・・・学校の石炭ストーブ

私が通っていた頃、北海道の学校では冬になると石炭ストーブがつきました。がっちりした鋳物のストーブです。今の暖房はどうなのでしょう。

暖房が始まると、石炭当番という役目ができます。当番は2人ペアで石炭をもらいに行きます。石油缶(ポリタンでなく、1斗缶というやつ)の上部を取って太い針金の持ち手をつけたものに、石炭を一杯入れて教室に運びます。
1日1杯が原則でしたが、寒い日は途中でなくなってしまうこともありました。そのときはまたもらいに行きます。これを「特配」と言っていました。
石油缶一杯の石炭は重くて、針金が手に食い込みます。中学の頃、自分で角材を切って、運搬用の棒を作ったことがあります。2人で棒の両端を持てば食い込まないというわけです。ゲバ棒という言葉はまだない、平和な頃のことです。

調子に乗って石炭をくべると、ストーブや煙突が真っ赤になります。ほどほどに燃やしていくには少しコツがいるかもしれません。
私の頃は子供の数が多かったので、ストーブの近くまで机がありました。ストーブのすぐ後の席は、熱すぎてかないません。私はめったにその席になったことはありませんでしたが、高校時代に一度だけあって、ある試験の日、前の休み時間にいたずらでクラスメートにたくさんくべられてしまって、参りました。

休み時間はストーブを囲んで、井戸端会議ならぬストーブ端会議になります。
高校時代のある午後、数人で雑談していると、教室にはいってきたA君が「三島由紀夫が死んだぞ」と言いました。
「自衛隊におしかけて切腹したんだとよ」・・・。
とっさに反応できませんでした。あの頃は、三島由紀夫は文学史に出てくる人というのが実感で、彼がどんな活動をしていたのかまったく知りませんでした。ただ、自衛隊とか切腹とか、尋常でない重さは感じました。
今回調べたら、あれは昭和45年の11月。高校2年の時でした。
あの時のストーブのまわりの情景は、その空間を支配したふしぎな雰囲気とともに、今でもありありと思い出すことができます。

柏野小学校の石炭ストーブ
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by 50TEMPEST | 2005-01-14 08:00 | 見て聞いて考えた