「時」は、常に流れているものです。
地球の星としての運行からくる一定の周期はあるにしろ、それと「時」は同じものではありません。年、月、日、時間、分、秒・・・・人間が、星の周期を使って「時」を区切ったのだと考えられます。
人間は、「時」に線を引くことによって、「時」を構造化することが好きです。
線を引くことで、いろいろな事が考えられ、見えるようになります。
キリストの誕生に線を引いて、紀元(BC,AD)という考えを作りました。国によって、その線引きが色々だったりします。日本では、ある天皇の時代に線を引いて元号を使うということです。
昔をふりかえるとき、それは「今」に線を引いて、その前を際立たせているのです。
目標を立てることは、将来のある時点に線を引くという作業のように思えます。
さて、新社会人にとって、4月1日はひとつの線。
その前と後に、どんな意味づけができるのか。
また、線はしょせん人が都合で引いたもの。
永遠に流れている「時」のほうを思うことも有益でしょう。
幸多かれと祈ります。