前の記事で、同じ物を見ているのに、どこに焦点を当てるかによって、ずいぶん見方、感じ方が変わるものだと書きました。
近頃こんなことを考えます。
ある出来事に出あったとき、それに対処するために、人間は、五感でものすごい量の情報を取り込みます。
しかし、それをまるごと処理するには、脳がとてつもないエネルギーを要します。
毎度そんなことをしていられませんから、脳は、それまでに蓄積した「枠組み」を通して取捨選択し、まあこんなところだろうという情報だけを意識に上げてくるのです。
とすると、考えなければならないことがふたつ。
ひとつめは、その「枠組み」が「まとも」かどうかです。
建設的な経験を積むほど、その枠組みは、選択したり決定したりに役立つことになります。
逆に、日頃消極的にしている人の枠組みは、いつまでも「使えない」わけです。
当人は真剣に考えたつもりでも、情報量と方向性が頼りない。
経験を積みながら考えるか、そうでないかで、脳の働きの差は、どんどん開いていく。
「下司の考え休むに似たり」という言葉は、こんなことを言うのでしょう。
でも、見ていないわけではないのです。
コーチやカウンセラーが、新しい視点を提供すると、気づいたりするのですからね。
ふたつめは、人間の脳はすごい力を持っているのだということ。
必死に考えるなら、多くの情報を処理できるのです。
ここ一番という時に限るかもしれませんが、やればできる。
「血の小便が出るほど」なんて言うのは、これでしょうか。
そう考えてくると、初めての役割に立つかどうかという時、やってもいないことをあれこれ考えてもはじまらないのかもしれません。
妥当な結論を出せる枠組みを持っているか、誰だって怪しいのです。
それよりは、自分の脳の性能を信じて、引き受けることです。
そこから経験を積んでいけば、脳の性能はさらに上がっていくわけですね。