会社を辞めてフリーになろうと考えた直接のきっかけは、勤務先での人事異動の内示です。
諸事情から、2年間主宰していたレモン・ビジネスアカデミーを閉じることになりました。
しかし、社内ベンチャーとして自分で企画提案し、「人を育てる仕事」に魅力と意義を感じてきた私は、他の仕事には興味が持てませんでした。
ただ、相手が社内であっても、それはOKでした。
そこで、ラインをはずれて社内の人材育成とメンタルヘルスの専任担当となるのはどうかと、トップに提案しました。
そんな提案の背景には、リクルート社で藤原和博さんの例がありました。
彼のように、専属ではなく契約社員的な身分で、机はもらうが、他社の仕事もしてよいという、ゆるい関係を実現できたならすばらしいと考えたのです。
しかし、いきなりそんなことを言いだしても、人繰り上許されるはずもありません。
引き続きそれなりの給料をいただいて、おとなしく働き続けるか、やりたい仕事に思い切って飛ぶか、という大きな選択肢だけが残されました。
飛ぶ決断は、数日でつきました。
間もなく55歳の誕生日でした。
やるべき仕事とやりたい仕事。
それまでは、やるべき仕事に重点を置いた人生でした。
体力があるうちに、やりたい仕事にチャレンジしようと思ったのです。
そう考えるについては、いろいろ不思議な符合がありました。
郷里で入院中だった父が、その数か月前に死去しました。
母はまだまだ元気でした。
娘は、すでに就職し、自分で未来を切り拓いていました。
家のローンはすでに返済ずみでした。
諸条件が整い、私の前に道をなしていくように思えたのです。
また、何をてんびんにかけるか、整理して考えることができたのは、しばらく前にキャリアカウンセラーの勉強をしていたおかげでもありました。
では、なぜ講師だったのか。
次に続きます。