管理部門が子会社化され、稼ぐことを求められることになりました。
勝手のわからないことばかりでしたが、ここから何を学ぶかが勝負だと思っていました。
アウトソーシング会社として管理部門(人事、総務、経理、後にシステム部門も合流)を別会社化し、子会社側は専門能力を活かして、本体だけでなく他の会社にもサービスを提供することで稼ぐというビジネスモデルでした。
同時に、本体にとっては人件費を変動費化し、その他の経費も経済論理にさらすことで圧縮しようというねらいもありました。
会社の立ち上げから担当しました。
会社とはいっても、管理部門の人間たちですから、どうすれば「稼げる」のか、はじめは本当にわかりませんでした。
その後、他部門や、外部から「稼ぐ」感覚を持った人が加わりました。
私の目には、彼らの発想はとても新鮮に映りました。
その会社には、本体の「一般職」という補助的業務を担当していた社員(現実的にほぼすべて女性)も転籍し、本体は「一般職」を廃止するという改革も行われ、これも、人事として私が担当しました。
人を切らずにできるリストラとして、苦心の施策だったと思います。
しかしながら、リストラであることには違いないわけです。
それまで会社は、「経営は盤石」、会社に身をゆだねて、日々まじめにやってさえいればよいのだと言っていただけに、「こういうことは起こるのだな」という感慨がありました。
やはり、自分の仕事人生は自分で築き、自分で守っていかなければいけないのです。
交流分析を学んだり、セミナー通いでたくさんの外部の人と付き合い始めたのは、その頃からです。
私は、上司に冗談で「過激派」と言われたほど、変革をしかけてきた人間です。
制度改定や問題解決に喜びを感じてやってきました。
とはいえ、管理部門、特に人事は、立場が上がるほど、調整的な仕事が増えます。
本体から離れた視点からふりかえると、何と遅い仕事ぶりだったか、と思えました。
そんな考えが高じてきて、自分の新しい立ち位置を開拓すべきタイミングになったとき、新しい事業の柱を作ることにチャレンジしようと思ったわけです。
自分のやりたいことと、会社が求めることとは、必ずしも一致しません。
しかしそんなとき、双方の方向性のベクトルが、裏表なら論外ですが、そこそこ似たものならば、そのベクトルの和(平行四辺形の対角線です)の形で、ウィンウィンの方向が見いだせると考えました。
新事業に挑戦する気になった背景や動機をふりかえってきました。
それができたのは、恵まれた立場だったと思います。
部門が子会社化されることで、それまで普通のまじめな人事屋だった自分の意識が変わったのです。
しかし、それまでに積み上げてきていたものが無駄になったわけではありません。
人事屋として、また管理職として、スキルなりマインドなり、それまでのものがあったから、自己肯定感を持って臨めたと思います。
では、そのあたりを、さらにふりかえってみましょう。