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ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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自責と他責

何かうまくいかないことがあったとき、自分以外の何かのせいにしたい気持ちが起こります。そして他人や、親や、会社や、社会や、運命を責めます。
そのことに頑なな人ほど、声高に言う人ほど、心が弱いのだと思います。言い分を聞いていて、自分以外のものを責めることによって自分を守ろうとしていると感じます。

心の弱さは、自分について自分自身の持っているイメージに関わるのだと思います。
自分自身のイメージが力にあふれたものであれば、自分で責任を引き受けられます。他を責めなくても、自分の中に納まりがつきます。

世の中すべてがうまくいくわけではありません。この世は自分のオーダーメイドではないのだから。
もしうまくいかないことがあっても、自分の存在そのものは侵されるわけではない。その一点の割り切りは大事です。うまくやれても、やれなくても、それも自分。自分は生きていていいのです。だから、うまくいかなかったからといって、誰も責めなくてもいい。まずそれがスタートラインです。

物事には、自分がコントロールできる要素と、できない要素があります。結局のところ、コントロールできる要素についてベストを尽くすしかないのです。できない要素は、とりあえず「X」とおいて、その処理を続けていくしかない。心が弱いと、この未完了の感じはつらいだろうと思います。

自分に自信がないと、問題も整理できなくなります。
コントロール「できる」と「できない」の境界線が、「できない」ほうに偏ってしまいます。知恵を出せば「できる」のに、「できない」と思い込むわけです。
「できない」ほうに気をとられて、「できる」ことにベストを尽くせていなかったりもします。

しかし自分で責任を引き受けようと、引き受けまいと、結果は自分にふりかかってきます。そうであれば、自分でできるだけのことをしたほうが結果はいいはずだし、そのほうが納得できるでしょう。

「自責の態度は自分を成長させる」。管理者研修などでよく言われることです。ただ、心理に関わることですから、他責的な自動思考パターンが習い性になっていると、お題目だけではなかなか難しい。第一、自分がそうであると、たいていは気づいていません。

自分自身のイメージは、育ち方や色々な要素に関連してできています。そう簡単には変わるものではない。と言って、まったく変わらないわけでもありません。
少なくとも、責任を引き受けることをし続けないと心の体力はつかないとは言えそうですね。
行動すれば、そこでの発想は変わります。自分に何ができるのだろう、自分に問題があるなら何だろう、と自分に引き寄せて考えること、そしてひとつひとつ小さな、意識的な行動を積み重ねることで、わいてくる発想が他責的でなくなってくるかもしれないと思います。
by 50TEMPEST | 2005-06-09 07:48 | コーチング,カウンセリング