■前立腺がん 手術日記
前立腺がんで前立腺の全摘をしました。
自分自身の心覚えという意味もありますが、似たような境遇にあり、これから方針決めなどという方にも何か参考になることもあるかと思い、記録しておきます。
【手術編 その1】
2019年2月15日 金曜
術前検査。
採尿、採血、レントゲンをこなす。
採血によるPSA値は、この時コンマの値になっていたと後で聞く。
3月6日 水曜
タクシーでA病院へ。
入院の手続きをする。6階個室601である。
大まかな流れの説明を受ける。
こうして、こうなっていくという流れの表を見て、非常にシステム的なものを感じた。
普通の人がこの手順をふんで、一定の時間がたてば、治っていくということなのだろう。
夕方までにシャワーを使う。
看護師さんが、へそのゴマの掃除をしてくれる。後で別の看護師さんがチェックに来た。それだけ大事なことなのだろう。
思い出したのは、嘘か本当か、盲腸の手術ではあらかじめ下の毛を剃るのだと聞いたことがある。生検の時も今回も、そんなことはしなかった。
仕事のできそうな手術室看護師からも段取りの説明あり。
一応普通には眠った。
3月7日 木曜
朝から絶食。
朝、先生がのぞいてくれて、今いつものチームが集まってくれている、昼にしっかり休憩をとってからかかるので、安心していてくれとの話あり。
手術は13時30分から。所在なく午前を過ごす。浣腸などあり。
妻と娘が到着。
気持ちは落ち着いているつもりだが、妻から後に聞いたところでは、顔色が青ざめていたらしい。
時間になり、手術衣に着替えていったんハイケア室(ナースセンター隣室)へ。
さらに手術室へ。
名前、生年月日、手術の部位を言わされる。
ストレッチャーから隣の狭い手術台に移る。
麻酔科医の女医が声をかけてきて、まず背中に麻酔(硬膜外麻酔)開始。
その後マスクを当てられ、その先は覚えてない。
名前を呼ばれて気づいた。
「今、3時すぎです、早く済みましたよ」「59分でした」と言われたが、頭が回転しない。
腹を開けて、閉じるのに1時間と聞いていたから、正味の摘出手術に1時間かかっていないという、手際のよさを言ったのだろう(後で思うに)。
一般的には3時間とか、かかるらしい。先生の腕自慢。
ハイケア室へ戻る。
その時、妻たちは取ったものを見せられたようだ。
きれいに取れたから、写メをとるよう、さかんに勧められたとのこと。
後でその写真を見せてもらうと、10センチ強ぐらいの赤いもので、どこががんだかはわからない。
足につけた空気マッサージ機(血栓予防)がずっともんでくれるのが、気持ちいい
自分でも呼吸の安定を保って、マインドフルネスや数息観を試みる。痛みはない。
昔、父の腎臓がん手術の後、一晩ついたのを思い出した。親父は痛み止めをあまりしてもらえなかったか、痛い、痛いと言っていたなぁと。30年も前の話。
断続的にはそこそこ眠った
3月8日 金曜 術後1日
酸素のせいか、唇が渇いてかなわない。
朝、先生から氷をなめていいとお許しが出た。
身体を拭いてもらい、レントゲンを2枚。
肺炎を起こしていないか、などを見るらしい。
昼から食事(流動食)が出た。
食べたほうがいいのだろうと思って、できるだけ食べた。
手術衣から着替えて、車椅子で自室に戻る。
腹筋を使うなと言われているので、動きがソロリソロリになる。
腹の傷は、へその下、丹田あたりをタテに10センチほど。
寝起きや、咳の時に痛い。
夜から胃が不調。重く張った感じで、気分が悪い。
時々、ウィッとけいれんのような状態になるのが、腹の傷にも響く。
夜の食事は、ほんの一口だけ。
夜中、胃の気分の悪さで眠れず。
吐き気が出ることもあると聞いていたのだが、これも吐き気のうちかもと考えて、吐き気止めを点滴に入れてもらった。
3月9日 土曜 術後2日
朝からも、終日胃の不調が続いた。
思えば、きのうがんばりすぎたのだろう。
胃薬を出してもらう。
食事は無理にがまんして食べようとせず、口から食べることを体に思い出させればいい、一口でも食えたらよしと考えた。残った分ではなく、食べた方の分を見るように頭を切り替えた。
A食、B食、ふたつから翌々日のメニューを選べるようになっている。
午前中に聞きに来てくれるのだが、それ自体がうっとうしい。
「おまかせします」で済ませた。
痛み止めも入れてもらった。
自分は、切ったのだからこんなものだろうと思って、痛いとは言わなかったのだが、看護師さんからは、私は我慢する人という見方をされていたらしい。
胃の調子は、夜にはいくらかましになったが、調子が悪いと眠るにも難儀。
パイプ枕のパイプが痛くて、ほとんど眠れず。
よく朝、my枕を持ってきてほしいと妻にメール。
病院が近いので便利。
時間つぶしに、ラジオ、MP3プレイヤーなど持ってきてあるので、順に試す。
本はまだ読む気にならない。
何もしていないと、夜などはあれこれと考える。アイデアも浮かぶ。
「せん妄」が出るかもしれないと聞かされていた。つまり、あらぬことを言い出したりすることがあるらしい。
結果的に、それはなし。ずっと気は確かだった。
しゃべりがうまく口が回らない、声もよく出ない。
無意識にあちこちが緊張しているのだろう。
看護師さんと話していて、スポーツは何を見るかという話から、なんとその方もラグビー好きで、競技場まで見に行くぐらいの人とわかった。
ちょっと盛り上がって、元気が出た。
3月10日 日曜 術後3日
この日からけっこう食べられるようになった。
一皿全部とか、全体の半分とか、気分のままに、うまくないものは遠慮なく残す。
先生が、「少しずつでも自分で食べられればいいです。このぐらいの手術だと、今まではICUに3日いるのが相場ですから」と言ってくれたのが、頭の整理になっている。
つまり、けっこうなレベルの手術であり、思うようにいかないことがあっても、もう自室に戻って動いてる自分はましなほうなのだと考えられる。
食べられると、気分も明るくなる。
体力が回復するにつれ、「食べられるが、おいしくはない」という程度のメニューでも食べられるようになる。
食べるとか、眠るとかいうことにも、それなりの体力はいるものだと感じた。
腹のキズは痛い。動かなければいいのだが、寝起きはどうしても動くので痛む。
食事にしても痛みにしても、人より特別に回復が早くなるわけもないし、といって、人並みでない理由もない。
手術直後は、なぜか顎関節がスムーズでなかった。声も満足に出なかったが、この日あたりから、コミュニケーションが楽に。
軽い下剤(塩化マグネシウム)の投薬開始。
3月11日 月曜 術後4日
枕を替えたおかげで、前夜は長く眠れた。
食事は、苦もなく食べられるようになった。
ご飯は少なめにしてもらった。朝から丼みたいなご飯が出るのだが、それを見るだけで食欲が失せる。皆こんなに食べるのか?
毎日来てくれる妻にメールし、何か飯のお供になるものとヨーグルト、それからおやつにカステラか何かとリクエスト。
海苔か佃煮をイメージしていたのだが、こちらの気を読んで、好物の葉唐辛子の佃煮を持ってきてくれる。
この日で点滴を止めることになって、シャワーも解禁。針は残して点滴を外した。
頭を洗い、さっぱりした。
腹の痛みは一皮ずつ楽に。
3月12日 火曜 術後5日
前夜は、通して4~5時間眠れた。
今日の目標は便通開始。
朝から2度ほど、トイレに通う。
ベッドから立って、まわりを見回す余裕があった。
前立腺を摘出する時、直腸などともつながっているのをはがす。その後を縫いつなげてあり、固い便を出そうと力むと、そこがちぎれてしまうから、力んではいけないとの先生からの指示。
息を止めて力まないこと。多少は力まざるを得ないが、口をあけてするとよいと看護師からのアドバイス。
昼、やっと便通あり。
結局、:差し込み便器は使わずに済んだ。
寝るまでに3回排便あり。排便の動きに連動して、血尿がでる。
仕事関係の電話やメールがはいる。今回のことは伝えてないので少々うっとうしいが、ありがたいこと。
トイレに立つ時、腹の痛みはたいしたことなくなってきた。
ベッドの電動のおかげ。自力ではまだしんどいが。
太ももが細くなったような気がする。
たかだか数日動かずにいるだけで、ひどいものだ。
3月13日 水曜 術後6日
6時半の検温まで数時間は通して眠った。
こんな考えが浮かんだ。
煎じつめると、動物は上から入れて下から出す管であるのだが、付随する細かいパーツが付き、オートマチックに調整する機能も付いた。
人間は、口(上)からの入れ方を選択する脳の機能まで獲得した。
それが、出口あたりの小さいパーツのひとつでも取ったとなると、けっこうおおごとになる。
そのパーツが果たしている役割を周辺がカバーするようになるのだが、それにはやはり、それなりの時間がかる。
それだけではない。
手術で取り除くために麻酔するわけだが、半分死んだ状態にするわけだから、身体全体がもとのようにオートマチックに動く状態にまで目覚めさせるのは、簡単ではないということだろう。
入院で日数がかかるのは、案外その部分なのかもしれない。
切ったところがくっついていくとか、働きが戻るとかに要する、平均的な長さというものは、おのずと決まってくるのだろう。
妻と、仕事に戻ってからの尿取りパッドについて話した。
試しにアマゾンでいくつか注文してみる。
膀胱カテーテルから造影剤の食塩水を入れて撮影した。
前立腺を取り、膀胱と尿道を中抜きにつないだ部分がくっついているかのチェック。
問題ないとのことで、早ければ明日、カテーテルが抜ける。
このように、ひとつ手順を踏んで確認しつつ、回復のステップを一段上げていくプログラムなのだろう。まことにロジカルである。