Aさんはいわゆる努力家です。何事にも一生懸命取り組みます。受験勉強もコツコツ、仕事もコツコツ、たいていのことは成就してきました。ただ、ビジネスではとても独創的な能力を持った仲間と仕事をすることがあります。仕事を抱え込んで時間をかける彼にくらべ、その仲間はスパーンとツボに手を打ちます。彼はうらやましさや反感を感じ、自分は何をしているんだろうと考えることがあります。
Bさんの口癖は、「やってみます」「努力します」です。何の課題を与えられた時も、第一声がそれです。現実にはできないのに、とりあえずそう言ってしまうのです。やりたくない、できない、の意味でそう言っていることも、よくあります。「本音はやりたくないのです。でもやらなければ、とも思うのです。だからやるよう努力はします」というわけです。
きっと「一生懸命やれ」というドライバーを持っている人たちなのでしょう。
親がまじめな人で、とにかく努力は尊い、努力次第で何とでもなると育てられると、それがその人の生き方になる場合があります。
もちろん何事にも努力は必要です。問題は、自分でそう判断して自分をそこに持っていくのか、自動的な反応として「とにかく努力せねばならぬ」「とにかく一生懸命やらねばならぬ」と反応するのか、ということです。
後者がドライバー反応であるわけですが、本来、目標があってこその努力です。本人のほうは努力そのものに意義を感じているわけです。
結果が出ないのにひたすら努力するといったケースが出てきます。努力には限界がありません。そのギャップをうまくコントロールできないと、自らストレスのもとを作ることになりかねません。また、上司などから努力の部分を評価してもらえないと、とても落ち込むことになります。
政治家やお役人が「鋭意努力します」というのは、「やらない」ことだという、政治家語のようなものが問題になったことがありますね。
これは多分、しっかり計算した上で、ストレスを避けるようにそんな表現を選んでいます。限りなく「アダルト(成人の心)」な営みです。
人の生き方を決めるもの ドライバーって?その1
※自分の整理と説明のネタ用に書いています。記事に出てくるケースはフィクションです。
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