5歳まで育った長屋には共同の井戸がありました。
滑車がついていて、綱を引き上げながら水を汲み上げる釣瓶式のものです。
井戸のまわりはコンクリートの流し場のようになっていて、ちゃんと屋根がついていました。
小さかったので、井戸にはあまり近寄るなと言われていました。
家には水がめがあって、父はときどき大きな水汲み用のバケツをふたつ、天秤でかついで、運んでいたように思います。
昭和30年代の初めの頃ですが、当時でもそんな井戸は珍しかったはずです。
札幌の叔母の家にも井戸がありましたが、それはレバーを上下してくみ上げる鋳物のポンプ式でした。私にはこちらのほうが珍しかった。
後になって聞いたところでは、あの井戸の水はたいそう良くて、お茶をやる人がわざわざ汲みに来ていたのだそうです。函館でも私が住んでいたあたりは、島と島との間に地形的に砂が堆積してできた土地のはずで、どこから来た水なのかは見当がつきません。
さて、落語の「妾馬(めかうま)」のなかに、長屋総出で井戸換えをする場面が出てきます。また、「肥瓶(こえがめ)」には水がめが出てきます。
学生時代、落語研究会でこうしたネタをやるとき、幼い時の経験が役立ちました。
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