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ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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のだのだのだとも、そうなのだ

最近、この「なのだソング」を人前で2度ほど朗読しました。 ⇒そうなのだ


人前で読むのは照れますが、

この詩を聴いてもらうことにぴったりの機会があったのです。


この詩は、もともとミュージカルの中の歌です。

11匹のネコが、それまでの停滞した生活に区切りをつけ、旅立とうという時の歌です。


都度、聴き手の皆さんにちょっとお手伝いしてもらいながら読みました。

読み手は未熟でも、皆さん、それぞれに何かを受け取ってくださったようです。

あらためて、この詩が持つ力を感じました。



   *******************

先日、当ブログのお立ち寄りが9000を超えました。
皆様ありがとうございます。


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by 50TEMPEST | 2006-06-30 08:26 | 朗読

イジイジ気分君

人というものは、何かうまくいかないとき、それを誰か(何か)他のもののせいにし、自分のほうは悲劇の主人公にして、その気分にひたりがちです。
中には、年中そんな気分でいる人さえいます。
そういう人は、そのイジイジ、ウジウジした感じが好きなのです。

そんなことはない?
だって好きでないなら、いつもいつもそんな気分でいるわけはありませんよね。
一歩譲っても、好きではないまでも、馴染み深い、その意味で居心地のよい気分なのですね。

きっと赤ちゃんの頃からのお馴染みなのです。
赤ちゃんのとき、おっぱいが欲しくてお母さんを呼んだり、お尻が汚れてお母さんを呼んだりした。でもお母さんはなかなか来てくれなかった。
自分の欲求に応えてくれないお母さん(その他、自分以外のもの)は、「よくない」のだ。

もっと呼んだ。まだ来てくれない。
お母さんに来てもらえない私は、「よくない」のだ。
かわいそうな私、イジイジ・・・。
泣き疲れてイジイジしていると、やっとお母さんが来てくれる。
そうか、イジイジしていると、私の欲求は満たされるのだな・・・・。

そんなことの繰り返しの中で、自分のスタイルができたのですね。
だから、いつも横に「イジイジ気分」君がいるのでしょう。

でも、大人の頭で考えたとき、うまくいかないことの責任を他に押し付けてイジイジしているのと、その責任を自分でひきうけて別の方法を試すのとでは、どっちがうまくいく可能性が高いでしょうね。
どっちにしても自分の人生ですから。


5つの短い章からなる自叙伝



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by 50TEMPEST | 2006-06-29 07:34 | 日々の交流分析

5つの短い章からなる自叙伝

 5つの短い章からなる自叙伝    ポーシャ・ネルソン作


私は通りを歩く。
歩道に深い穴がある。
私はおっこちる,
私はどうしたらいいのかわからない,-----どうしようもない、
これは私の間違いじゃない。
出方がわかるまでものすごく時間がかかる。

II
私は同じ通りを歩く。
歩道に深い穴がある。
私はそれを見ないふりをして,
またまたおっこちる、
また同じ場所にいるのが信じられない。
でも、これは私の間違いじゃない。
やはり出るのにずいぶん時間がかかる。

Ill
私は同じ通りを歩く。
歩道に深い穴がある。
それがあるのが見える。
それでも私はおっこちる、-------これは私の習癖(くせ)だ、
私の目は開いている。
自分がどこにいるのかわかる。
これは私のしたことだ。
すぐにそこから出る。

lV
私は同じ通りを歩く。
歩道に深い穴がある。
私はそれを避けて通る。


私は別の通りを歩く。

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  Autobiography in Five Short Chapters*
                   By: Portia Nelson

1. I walk, down the street.
 There is a deep hole in the sidewalk.
  I fall in.
 I am lost... I am hopeless.
         It isn't my fault.
 It takes forever to find a way out.


2. I walk down the same street.
 There is a deep hole in the sidewalk.
 I pretend I don't see it.
 I fall in again.
 I can't believe I am in the same place.
          But it isn't my fault.


3. I walk down the same street.
 There is a deep hole in the sidewalk.
 I see it is there.
 I still fall in; its a habit.
         My eyes are open
         I know where I am.
 It is my fault.
 I get out immediately.


4. I walk down the same street.
 There is a deep hole in the sidewalk.

 I walk around it.


5. I walk down another street.


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by 50TEMPEST | 2006-06-28 08:16 | 日々の交流分析

「ミッション・インポッシブルⅢ(M:i:Ⅲ)」を見ました

先行上映で「ミッション・インポッシブルⅢ」を見てきました。
アクション映画になっちゃったな、という感じでした。まあそれは、私くらいの年代だと「スパイ大作戦」のイメージを引きずるせいですが。アクション映画として見に行く人には、けっこう楽しめると思います。

それこそ休む間もないアクションです。トム・クルーズが走る走る、飛ぶ飛ぶ。
クリアな映像を、ワイド画面で、あの速さで見せられると、オジさんはちょっと疲れました。

「ミッション・インポッシブル」って、本来アクションのほとんどない、ドミノを積んでいって、それが見事に倒れていくのを楽しむ話だったと思うのですがね。
そんな構成って、「オーシャンと11人の仲間」「スティング」などなど、アメリカ映画・ドラマのひとつの系譜として考えられると思います。

この映画では、そうした面影はなくはないものの、基本的にはアクション中心。派手なアクションが目立つ分、プロットはまことに雑。何でそういうことになるのか、よくわからないうちに、悪者がやられて、めでたしめでたしになりました。
細部へのこだわりがなくなると、「ミッション・インポッシブル」である意味がないと思うのですが、今日、それはもういらないのでしょうね。
トム・クルーズは、まだまだハンサム。それと、マギーQがセクシーでした。

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by 50TEMPEST | 2006-06-26 07:44 | 見て聞いて考えた

氷山思考28 古典芸能を見る

まず上がとがった二等辺三角形を描いてください。その、上から1/4ぐらいのところに、底辺と平行に(つまり横に)波線を描いてください。三角形が水面上と水面下に区切られたことになりますね。

先日、国立劇場の歌舞伎のポスターを見ました。出し物には少し魅かれましたが、行こうという気にはなりませんでした。
水面上に見えているものを出し物(演目)とします。水面下に隠れているものは、出演者(その技量、個性、スター性などなど)と、そこから想像される面白さ、になります。

歌舞伎は本質的に、プロットよりディテールの芸能です。観客は筋を見に行くのではなく、役者の芸を見に行きます。
私も、歌舞伎座に行くときは、その役者がその出し物をどう見せるかに興味があるのであって、その逆ではありません。
国立劇場に行くときは、まだ見たことがない出し物を見ておこうということはあります。それにしても役者に期待できないと・・・。

古典芸能は限られた演目を繰り返しやるわけですから、その意味でも水面下の要素の比重が大きくなりますね。

歌舞伎では演出という明確な概念はないので、演技の工夫の蓄積がそれに当たります。批評の対象は主に役者の芸です。
一方、オペラでは、同じような古典芸能でありながら、批評の対象は主に演出であるのが、おもしろい違いです。その上で、歌手がどう歌ったかが問われるような気がします。


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by 50TEMPEST | 2006-06-23 17:59 | 氷山思考

人の生き方を決めるもの 属するな…禁止令8

Aさんは、昔から続く家柄、いわゆる名家の正統な継承者です。現代のことですから、決して裕福ではありませんし、住んでいる家も普通です。しかし、長男のAさんに対して、親は幼い頃から「お前は特別なのだ」と扱い、幼いAさんが近所の子どもたちと友達になって遊ぶのに対していい顔をしませんでした。
Aさんは成長後、公式なもの、非公式なもの、色々な組織のメンバーになりましたが、どこにいても何となくなじめません。他のメンバーからも「どことなく付き合いの悪い奴」として見られます。

               *            *

Aさんは「属するな」の禁止令を持っているのです。
親が、特別であることを言い続けることによって、子どもは無意識に特別になろうとします。身分などが上の場合に限らず、下の場合でも、たとえば親が常に引け目を感じて暮らしているような場合も、子どもはこの禁止令を持つかもしれません。

また、幼いうちから、親が「この子は内気なんです」とか「きむずかしい子なんです」といった特別感を言い立てていると、子どもはその期待(メッセージ)にこたえて、グループの中でも「特別な子」になり、なごめなくなってしまうようなこともあるでしょう。

この禁止令を持っていると、組織の中で何かをしようとするとき、うまくいかなかったり、ストレスを感じたりします。個としての自立ができていないと、つらいことになります。
最悪の場合、もしまったく集団に属せないとしたら、人間は自己の存在を確認することができませんから、通常の生き方もできなくなります。

ただ、こうした特別感は必ずしも悪いことばかりではないと思います。自己に対する何かの使命感や上昇エネルギーにつながる面もありますから。

少子化を背景に、昔よりは子どもが手をかけて育てられるようになっていると思います。それが微妙な特別感につながると、子どもは「属するな」も持ちやすいかもしれません。
昨今の、コミュニケーション下手、閉じこもり傾向の若い人を見ると、そんな気がします。

さて、サッカーの○田ヒデ選手は、いつも孤高の雰囲気をたたえています。もしかすると、彼も少し…。

人の生き方を決めるもの 禁止令って?1

※自分の整理と説明のネタ用に書いています。記事に出てくるケースはフィクションです。

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by 50TEMPEST | 2006-06-22 12:57 | 日々の交流分析

「巴里の生活」と高級娼婦と「椿姫」

日本オペレッタ協会公演「ラ・ヴィー・パリジェンヌ=巴里の生活」を見ました。

 「ラ・ヴィー・パリジェンヌ=巴里の生活」 オッフェンバック作曲
  2006年6月10日 北区赤羽会館
  近藤政伸、蒲原史子、田代誠、小山陽二郎、佐々木弐奈、
  坂本秀明、針生美智子、里中トヨコ、島田啓介、木月京子、
  田代万里生、西尾祥恵、若菜一義、甲斐京子

出来やら何やらむずかしいことを考える必要はないでしょう。ウィーンで花開く「オペレッタ」の先がけとなる作品のひとつ。爛熟の時代の、当時のパリの風俗を面白おかしく切り取った通俗歌芝居です。浅草オペラってこんな感じだったのかしらなどと思いつつ、肩がこらずに楽しみました。初めて聞く若い女性歌手たちが、歌も芝居もしっかりこなしていたのにも感動しました。

さて、作品が作られた時代を考えたとき、おもしろいことに気づきました。
いわゆる高級娼婦と、金持ちたちが出てきます。19世紀半ば、共和制から第二帝政の時代、近代化したパリは本当に羽振りがよかったのですね。金を湯水のように使う層と、娼婦性を持った女性とは、この時代のシンボルと言えるようです。

考えてみれば、オペラの「椿姫」も「ラ・ボエーム」もこの時代が舞台です。特に「椿姫」は同じ頃に作られていますが、同時代の風俗を描いている点、高級娼婦が主要な役である点で、「巴里の生活」と共通しています。
「椿姫」のヴィオレッタも「巴里の生活」のメテッラも、成り上がり貴族などを客層として、いわば看板をあげているクルティザンヌという人たちでしょう(ちなみに「ラ・ボエーム」のミミはそこまでいかない、お針子をしながら援助交際OKのグリセットと呼ばれた人たち)。

そういえば近代の絵画にも、高級娼婦はたくさん出てきます。景気のいい街には芸術家も集まりますからね。時代の尖端をいく悪の華は、当然彼らの芸術的インスピレーションの対象となったでしょう。
ひとつの強烈な時代風俗が、さまざまな芸術にモデルを提供したといえますね。

「椿姫」は、カトリックの強いイタリアで作られたので「ラ・トラヴィアータ=道をはずした女」というタイトルになりましたが、当時の感覚としては、彼女たちはある種スターなのです。1回いくらで仕事をするのではなく、恋人役をすることでお金持ちのパトロンからお小遣いをいただく、美貌と教養を兼ね備えた人です(私だって会ったわけではありませんが…。現代では○姉妹をイメージすると早いという説がありますが…)。
ヴェルディも、あくまでも夢物語の登場人物ではなく、現実の時代の花形として、その職業的宿命とそれにともなう悲劇を描いたのでしょうね。

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千葉でちょっと気軽にオペラVOL.21=
 【椿姫】ラ・トラヴィアータ -道を踏み外した女-  ヴェルディ作 
    ハイライト原語上演(解説・字幕付き)

    ヴィオレッタ 江口二美(二期会会員)
    アルフレード 小山陽二郎(藤原歌劇団団員)
    ※急病により 2日 望月光貴  6,8日 大間知 覚 に交替
    ジェルモン  鹿又 透(二期会会員)  アンニーナ   吉村 恵
     ピアニスト 松原裕子           演出・字幕   久恒秀典

    2006年 7月2日(日)完売  6日(木)  8日(土)  全3回公演

    開場:13時30分
    開演:14時
    場所:はなみがわ風の丘HALL (JR新検見川から徒歩9分またはバス一つ目)
    鑑賞チケット:4000円(一般全席自由)
            1000円(小中高校生・席数限定・エリア限定)

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by 50TEMPEST | 2006-06-19 07:59 | 歌舞伎,オペラ

私の強みは好奇心と経験のシナジー

自分の成功体験を棚卸する機会がありました。

10代
 ・生徒会長に選ばれた
 ・落語研究会(同好会)を立ち上げた
 ・制服自由化を推進した
20代
 ・大学で落語研究会のレベルアップをはかった
 ・「できあがっていない」会社に入った
 ・遠距離恋愛を保って結婚した
 ・娘が生まれた
 ・家を買った
30代
 ・会社の研究所建設の企画から竣工イベントまでを担当した
 ・管理職になった
 ・それまでなかった「広報」の担当になった
 ・CMを作った
40代
 ・定期異動第1号になった
 ・海外駐在員処遇制度を作った
 ・アウトソーシング会社を立ち上げた
 ・交流分析を学び、自分や「人」を見るフレームを得た
 ・プロ講師になった
 ・カウンセリング、コーチングを学んだ
50代
 ・ブログを始め、考える習慣を得た また、情報発信の場を得た
 ・朗読を学び始め、身体での表現力が増した

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全体をながめて、次のようなことに気づきました。

・多数派的な成功を求めない。
・道のないところの扉を、敢えて押してみることを好む。
・そして、リスクを負いつつ、それを形にすることに喜びを感じている。
・そんな経験から学び、自信にしている。
・そんな経験の中から、人との深い結びつきを得ている。
・好奇心に刺激されながら、可能性を求めている。
・そうしたさまざまなことがシナジー効果を生んでいる。

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by 50TEMPEST | 2006-06-17 15:25 | コーチング,カウンセリング

人の生き方を決めるもの 重要であるな…禁止令7

Aさんの父親は、かつて人助けで保証人を引き受けたことから財産をなくしてしまいました。母親は事あるごとにそれを責め、父親自身もすっかり自信をなくして過去の自分を悔やんで暮らしてきました。
Aさんは、まじめなサラリーマンになりました。所属部門では、仕事のことは何でも知っているベテランで通っています。管理職昇格の話が何度もありましたが、彼は固辞してきました。リーダーになることは、うれしくもなんともないのです。それどころか、うまくいかなくて困っていることばかりが想像され、恐ろしくなってしまうのです。

Bさんの両親は子ども嫌いでした。育児放棄とまではいきませんでしたが、幼いBさんが何かを欲しがっても、それはほとんど与えられないか、与えられても嫌々。親の機嫌が悪いとペナルティつきのこともありました。
Bさんは、自発的に何かをやろうとしたり、あえて責任を負うようなことはせずに、なりゆきにまかせてそっと生きるスタイルを身につけました。

              *              *

人の前に立って責任ある役割を担うことは、ある人にとってすばらしい充実感を感じることです。しかし、別のある人にとっては、とても恐ろしいことです。
「重要であるな」の禁止令を持っている人は、注目を浴びたり、責任を持ったりするすることを避けてしまいます。それは色々天秤にかけて判断するというのではなく、無条件でそうした生き方をするのです。

たとえば親から「出る杭は打たれるのだ」「責任なんか引き受けたら、ろくなことはないぞ」という無言のメッセージを受け取ってしまった子どもが、この禁止令を持ちます。こうした人は、成長してチャンスがめぐってきても、自らそのチャンスをダメにすることさえあります。

あるいは、そこまででなくても「人生は分を守って暮らしていくことこそ幸せなのだ」という生き方の親は少なくないでしょう。そこからも、この禁止令を持ち、一歩を踏み出せない人が生まれそうです。

Bさんの例はこの禁止令の変形版で「欲しいものを求めるな」です。自分の価値や重要性を自ら否定することで、子どもは生存を確保しようとしたのです。とても悲しいことです。

人前で話そうとすると頭が真っ白に、口はカラカラになるような人も、ごく軽いとはいえ、この禁止令なのかもしれませんね。自分は向いてない、できないと決めつける人がよくいますから。

こうしてみると、「重要であるな」の禁止令を持っている人は、案外多いような気がします。
いずれも、大なり小なり自分が持っている可能性を閉じてしまっているわけです。そのことに自分では気づいておらず、それが幸せだと思っています。
確かに、自分がよければそれはそれでよいのですが、親の影響で間接的に狭められた人生だと知ったら、果たしてどうでしょうか…。


人の生き方を決めるもの 禁止令って?1

※自分の整理と説明のネタ用に書いています。記事に出てくるケースはフィクションです。

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by 50TEMPEST | 2006-06-15 08:00 | 日々の交流分析

人の生き方を決めるもの ~するな・・・禁止令6

Aさんは、指示されたことについては完璧に仕事のできる人です。しかし、自分で考えて行動する局面ではいつも迷ってしまいます。何とかしなくてはと思い、あれやこれやと手を出しかけるのですが、結局いつも結果につながることは何もできないままです。また彼は、自分の中にある衝動を行動の形で表現することに、とても窮屈です。
Aさんの母親はとても心配性で、一人っ子のAさんを大事に大事に育てたのです。

              *              *

幼い子どもは好奇心にかられて何かをしようとします。知らない間にトコトコ道に歩き出す。煮え立ったヤカンに手を出す。刃物にさわる。・・・・。
お母さんは思わず叫びます。「ダメッ、そんなことしちゃ!」。真剣なお母さんの顔、こわばった身体から強いメッセージが出ます。そういうやりとりを通して、子どもはしていいこと、悪いことの区別を学びます。またやってみることで自信もつけていくのです。
しかし、「ダメッ」のメッセージはとても強いので、お母さんの心配性の度が過ぎると、子どもは「ああ、興味にまかせて何かしようとすると親が悲しむのだな」と感じ、「~するな」の禁止令を身に付けることがあります。

核家族の若いお母さんが感じているストレスはとても大きいのだそうです。経験のないことに加えて、姑さんを筆頭とする夫の家族の視線(実際に何か言われようと、言われまいと)、他の赤ちゃんと比較、わが子の不機嫌や病気、などなど。
お母さんによっては、子どもに冒険をさせない方にばかり意識が向いてしまいます。「ダメ!」を繰り返すことになります。

2世代同居であったとしても、たとえば、おじいちゃん、おばあちゃんがお婿さんに対して必要以上に気を使うような場合は、たくさんの人が「~してはいけない」というメッセージを伝えることがあり得ます。

子育ては、本能ではなく経験で伝える技術なのだと、発達心理学の先生にうかがったことがあります。核家族化で子育て技術が継承されないこと、負荷を分担してくれる人がいないことから、昔以上にお母さんのストレスは大きいでしょう。それが出産の減少を促進するのだと思います。そしてまた、子どもが減れば、その子を大事に育てなければという意識につながる。「~するな」の禁止令を持つ人はきっと増えていくのでしょう。
お母さんの不安やストレスを減らすために、前の世代の子育て経験を、健全に生かす仕組みが必要なようです。

経験者が、「大丈夫だよ」と、ひとこと言ってあげること。
赤ちゃんの育つ力を信じてあげること。
そして、夫が妻(お母さん)を支えてあげること。
まず、そんなところが大事だと思います。


人の生き方を決めるもの 禁止令って?1

※自分の整理と説明のネタ用に書いています。記事に出てくるケースはフィクションです。

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by 50TEMPEST | 2006-06-11 10:47 | 日々の交流分析