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ゆめ芝居 それがしの申しますことひと通り・・・

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むかーし、あったんだどー 11 日本語ワープロ

30年ほど前のことになります。会社に入って数年目に、日本語ワードプロセッサーなる機械がオフィスに来ました。
今は、ほとんどの会社でパソコンが1人1台で、誰もがちょっとした操作はできるという環境ですね。そんな流れは、日本語ワープロの登場から始まったといえるでしょう。

東芝JW10/2という、デスクほどある機械です。大きいばかりでなく、ドットプリンタからは、すごい音が出ました。今のパソコンから見たら性能的にはおもちゃみたいなものですが、機械が文脈から漢字を選ぶ力を持ったという歴史的名品です。JISキーボードが売りでした。
他には富士通の親指シフト式、NECのペンタッチ式などがありました。

当時、私は総務部員。若くて、こんなものが好きそうだろうというので、操作と運用を任されました。最初は恐る恐る触っていましたが、慣れると楽しいもので、はりきって代表的な文書を整理し、文例をインプットしたり、女子社員に操作講習をしたりしました。

操作効率を上げるために、ブラインドタッチも勉強に行きました。今私は、かな漢字変換で打っています。このときの訓練の成果です。

思えば、この機械が私の人生に果たした役割は大きかったようです。
・「ドキュメント」というものに関心を持つようになったこと。
・パソコンなどに抵抗なく視野が開けたこと。
・OA化(当時はこの言葉が流行しました)、システム化などに意識が開けたこと。
私が文書術を教えていられるのは、元をたどれば日本語ワープロに行き着くのです。大げさに言えば、和文タイピストなど限られた人の暗黙知だったものを、形式知にしようとしてきたわけです。

さて、JW10/2を3年近くも使っていると、各社から小型の良い機械がどんどん発売されてきました。ところが、ランニングコストを下げるために5年リースで入れていましたので、まだ使い続けなければなりません。
性能もさることながら、1台だけでは効率化といっても知れたものです。図体のでかさも、お荷物に感じられてきました。
コストを上げずに台数を増やす方法はないものか。あれこれ考え、リースの仕組や契約内容について真剣に調べました。

結局、JW10/2は3年でリース解約し、その残存リース料(解約金として払う必要がある)と、新しいシャープ製ワープロ2台の代金を合わせた額に対して、新たにリース契約を設定してくれる会社を見つけました。それでいて、ランニングコストは下がりました。
一見むずかしい課題も、考え続けると解決の糸口が見つかる。そんな、最初の経験でした。


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by 50TEMPEST | 2007-02-28 08:13 | むかーし、あったんだどー

むかーし、あったんだどー 10 SL

今でも観光用に蒸気機関車で引く列車が走っていますね。先日も千葉を走ったという記事を見ました。
昔のものをメンテして走れるようにしているわけですから、たいへんな努力ですね。交換部品と補修技術がネックになって、遠からず見られなくなるかも。

私の幼い頃の北海道は、SLばかりでした。

見る分には勇壮だし、あのリズムも人間くさくていいですよね。最後にC62が三重連で走った姿なんか、テレビで見てもすごかった。
でも、乗っている者には煙とススが大変。

夏場は窓を開け放しています。そのままトンネルに入ったら、えらいことになります。
ポーッという汽笛が聞こえると、それっとばかりに窓を閉めました。
それでも、食べているお握りなどに、ポツポツとススがついたものでした。

ですから、気動車と呼ばれた、ディーゼルカーが使われるようになったときは、誰もが喜んだのです。蒸気機関車は、今ほど愛されてはいませんでした。

その頃は、特急なんて珍しかった。かなり大きくなるまで乗ったことがありません。函館から札幌に行くのでも、まず急行でした。「すずらん」とか「オホーツク」なんて名前がありました。
そういえば、準急というのもありました。

壁に貼る発着時刻表の新しいのが配られると、よく見たものでした。時代とともに、急行がだんだん減って、特急が増えていきました。そして今のJRは、日本中、特急が当たり前ですね。

函館駅は、改札からホームまで距離があります。連絡船から乗り継ぐ人があるため、ホームが海側に寄っているのです。昔は、今よりももっと乗りにくかったと思います。

昔は指定席が少なかったし、少しぜいたく感もあったので、多くの人が自由席でした。ですから、改札してもらうとホームまで皆走ります。走るなとアナウンスがあるのですが、皆走ります。

うちは父親が運送会社に勤めていて、貨物ホーム側から駅内に入れるので、よく先まわりして席とりをしてくれました。


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by 50TEMPEST | 2007-02-24 08:03 | むかーし、あったんだどー

人の生き方を決めるもの ドライバーって? その6

ドライバーにとらわれていることから、人は瞬間瞬間に、さまざまな気持ちを味わいます。

たとえば、私のように「完全であれ」のドライバーを持っていると、何かをするとき、必要以上に完全にやりとげようとしがちです。
人前で話をするとします。「うまくやる」ことを目指すのですが、実際には完全にうまくいくことばかりではありません。

するとドライバーがありますから、「完全に」できないことで落ち込み、モヤモヤした、いやな感情を味わいます。単にうまくできなかったことを残念がる気持ち以上に、落ち込むのです。これを「ラケット感情」と言います。

その中にあって、色々に心が揺れます。

①完全にできないような自分はダメ。人とくらべて能力がないのだと考えることがあります。
I'm not OK,You're OK

②完全にできなかった原因を何か他の要素に求めて、「彼が遅れて来たので…」などと、そのせいにしたくなります。
I'm OK,You're not OK

③自分自身も、自分をとりまく他人や状況も、信じられず、「どうせだめなんだ」と投げやりになることもあります。
I'm not OK,You're not OK

このように気持ちがぐるぐると回り、その中に浸るのです。
①、②、③のどこから始まるか、どこに落ちつきがちかなどは、人により基本的な傾向があります。

このぐるぐる巡りにいる限り、解決はなされませんね。
しかし結局のところ、ドライバーにとらわれているためにそうなるのですから、前に述べた「アロワー」をうまく使えば、ここに落ち込まずにすむのです。

上の例では、完全にはうまくできなくても、自分らしくはできたとか、前よりよくなったとか、頭を切り替えることによって、次に出る発想も建設的なものになり、結果的にはもともとの期待であった「うまくやる」ことに近づくわけです。

この、瞬間瞬間のうちに自分の脚本を演じ、その考え方を強化していく現象を「ミニスクリプト」と言います。


※自分の整理と説明のネタ用に書いています。

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by 50TEMPEST | 2007-02-23 07:58 | 日々の交流分析

安全なマンション

イメージしてください。


まず、ある所に、りっぱな高層マンションが建ちかけています。


その隣の敷地は、警察の機動隊です。
屈強な人たちが出入りし、門番も立っています。すごいでしょう。


そのまた隣の敷地は、先日格上げになった防衛省です。
大きなアンテナの乗った搭や、建物が並んでいます。科学技術の粋という感じです。



さあ、おたずねします。

あなたならどう考えますか? ここって「安全」?



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by 50TEMPEST | 2007-02-21 08:05 | 見て聞いて考えた

むかーし、あったんだどー 9 学用品屋さん

折々の話題からふと思い出す昔の話を記録しています。

卵屋さんのついでに、お店つながりで、大阪時代に見たお店をもうひとつ。

近くの商店街にあった昔どおりのお店のひとつに、学用品屋さんがありました。
事務用品店ではありませんよ。学用品屋さんです。

ノートとか、はさみとか、糊とか、つまりは学校で使うような文房具、それも、まあ小学校レベルのものを並べて、おばあちゃんが売っているお店があったのです。

思えば、どこの街でも、学校のそばには、こんなお店があったものです。
私が通った小学校の前には、文房具と、ちょっとした食料品やら雑貨を売っている小さなお店がありました。たいていは何でも、このお店で用が足りました。ちょっと難しい物のときは、棚や、奥のほうから出てきました。

「小商い」という言葉がありますが、まさにそれがぴったりくる商売です。
とはいえ、10数年前の時代に、これでまだ商売として成り立っているとしたら驚異に思えました。


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by 50TEMPEST | 2007-02-19 08:00 | むかーし、あったんだどー

むかーし、あったんだどー 8  卵屋さん

折々の話題からふと思い出す昔の話を記録しています。
鳥インフルエンザだというので、たいへんな数の鶏たちが処分されてしまうのは、つらいですね。

昔、卵は貴重品でした。高価なというよりも、手に入りにくい物という感覚でしょうか。
さすがに私の子ども時代は、1個を家族何人かで分けたなんてことはありませんでしたが。

何かのお見舞いにいただいた記憶はあります。「栄養」の象徴だった気がします。

卵は、モミガラを敷いた上に一個ずつきれいに並べて、立てて売られているものでした。それを1個とか2個とか買い、新聞紙を貼り合わせた袋にそっと入れてもらって帰ってきます。

ほんの10数年前、大阪で単身赴任していたとき、住まいは古い街と新しい街がせめぎ合っているちょうど境界のようなところでした。住まいのすぐ前にあったアーケードの商店街には、昔通りのお店が残っていました。

その中に「卵屋さん」がありました。目を疑いました。
卵屋さんには、子どものころに見たように、卵がモミガラに並べられて…。
ああ卵って、こうして売られていたんだったと、それまで忘れていた情景をその時思い出しました。

20個のパック売りは、いつ頃から始まったのでしょうか。
貧乏学生だった頃、ひとパック買っては、何個かずつ湯沸しポットに入れて、ゆで卵にしたものです。30年以上前ですが、当時も卵は安かったのです。



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by 50TEMPEST | 2007-02-17 12:00 | むかーし、あったんだどー

むかーし、あったんだどー 7  鯨肉

折々の話題からふと思い出す昔の話を記録しています。
鯨の問題がまた燃え上がり始めてますね。

小さい頃、鯨肉はよく食べました。
まずベーコンというやつ、白い脂身と筋と肉とが三層になって、ぐるりが赤く染められたものです。函館では「ウネスハム」と呼んでました。
我が家では父親が大きなブロックで買い置いてましたので、常備食の扱いでした。今は高級品ですね。

給食では、鯨の竜田揚げがよく出ました。今思って、そうおいしい物でもありませんが、私の頃のメニューはおいしくないものが多かったので、子どもには人気メニューのうちでした。

南氷洋の捕鯨船団の話や、捕鯨砲のモリの話なんかが教科書に出ていたくらいで、産業として鯨とその周辺が持つ意味は大きかったのですね。
たんぱく質としても、日本人の身体作りに貢献してくれたことは、間違いないでしょうね。

正直言って、鯨だけがエキセントリックなキャンペーンの対象になるのは理解できないのです。しかし、鯨という鯨がすべて絶滅危惧種であるなら、今の日本人にとって、それでも何でも食べたいというものでもないでしょう。伝統的な食材として、落ち着くところに落ち着いてほしいというところです。

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by 50TEMPEST | 2007-02-15 12:23 | むかーし、あったんだどー

むかーし、あったんだどー 6  鉄道小荷物

折々の話題からふと思い出す昔の話を記録しています。

最近、近くのコンビニの宅配便の扱いが、宅急便からゆうパックに切り替わりました。
郵便番号を正しく書かないと受け付けられないとか、まだ微妙に「民間」感覚でないところもありますが、昔とくらべれば、まあずいぶん変わったものです。

宅急便が生まれるまでは、普通の人が荷物を送るというと、郵便小包か鉄道小荷物でした。

小包は、しっかり紐をかけないといけませんでした。目方も上限があったと思います。郵便屋さんがついでに運べるぐらいのサイズという感覚でした。荷札もつけました。それを郵便局まで持って行きました。

もっと大きい段ボール箱のようなものを送るときは、鉄道小荷物でした。これは主要駅に持って行かなければなりません。わきのほうに詰所があったりしました。
布団を送るなんてことになると、ちょっと自転車というわけにはいきません。タクシーを呼んで運びました。こっちも荷札がいります。1枚は駅の売店なんかで売っている専用の荷札にしなければなりませんでした。

どちらも「運んでやる」という感覚でしたね。規則優先です。

会社にはいって印刷物の担当だったとき、各地の事務所に伝票だの連絡用紙だの、さまざまな紙類を送るのも仕事のうちでした。毎週末、何かしら荷作りをして送り出したものです。

民間の運送会社は、普通の人には敷居が高いものでした。私の父は運送会社に勤めていたので、知人からよく送ってほしいと頼まれました。
集荷してくれる点はいいのですが、長距離は結局鉄道で運ぶので、色々載せるための貨車の割り当てや何かの都合で、ホームに残されるようなことが起こります。生鮮食料品が傷むなどというのは、日常よくあることでした。

自分が旅をするときなら、大きな荷物も「チッキ(鉄道手荷物)」となります。鉄道小荷物と同じ形ですが、ずいぶん安かった記憶があります。

宅急便というビジネスモデルを発想したのは、ヤマト運輸の小倉昌男さんです。宅急便のおかげで、普通の人々の荷物を運ぶ感覚が変わり、新しいニーズも広がりました。郵便小包もずいぶんやわらかいものになりました。
その意味で、宅急便は戦後の大発明だと思います。

鉄道小荷物って、今でもあるのでしょうか。

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by 50TEMPEST | 2007-02-13 07:55 | むかーし、あったんだどー

二期会の『ダフネ』

オペラって総合芸術なんだなと、あらためて納得させられました。
歌手、オーケストラだけでなく、ダンス、装置、照明も含め、今回はとても豪華なものを見た感じがしています。

力強い声でゆさぶってくれた福井敬さん。
美しい声で、歌いどおしに歌い続けてくれた釜洞祐子さん。
若々しく、役にぴったりの演技を見せてくれた樋口達哉さん。
添え物でなく、主役として存在感を見せてくれた白河直子さんとダンサーたち。
流麗で壮大な音楽を繰り広げ、すべてをまとめあげてくれた若杉弘さん。
皆それぞれにすごかった。

そして、それらが最後に大きく融合して光を放ちました。
さあ泣いてくださいというオペラではありませんが、幕切れとともに、大きな感動に包まれました。

  ********************

牧歌的悲劇 『ダフネ』
  全1幕字幕付原語(ドイツ語)上演
  リヒャルト・ストラウス 作

  2007年02月10日(土)17:00
  東京文化会館大ホール

【指揮】 若杉 弘 
【演出】 大島早紀子 
【出演】
 [ダフネ]    釜洞祐子 
 [アポロ]    福井 敬 
 [ロイキッポス]樋口達哉 
 [ゲーア]    板波利加 
 [ぺナイオス] 池田直樹 
 [第1の羊飼い]勝部 太  
 [第2の羊飼い]塚田裕之 
 [第3の羊飼い]村林徹也 
 「第4の羊飼い]斉木健詞 
 [第1の乙女] 平井香織 
 [第2の乙女] 江口順子 

 [メインダンサー]白河直子

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by 50TEMPEST | 2007-02-11 12:01 | 歌舞伎,オペラ

むかーし、あったんだどー 5  カブ

ホンダの「スーパーカブ」というバイクが、もう50年もあの形で作られていることをご存知でしょうか。最近、本田技研創業期の大番頭、藤沢武夫さんのことを調べていて、色々発見がありました。

今、「カブ」というだけで、あの50ccバイクを誰もが思い出します。しかし、もともと「カブ」というのは、自転車そのものに補助エンジンをつけたものです。次の世代が、あの「スーパーカブ」です。

そうそう、小さい頃、自転車の後輪に小さいエンジンをつけたものが走っていましたね。
突然甲高いエンジン音に振り返ると、出前の小父さんが走り出したところだった、なんて覚えがあります。

戦後の物のない時代、本格的なバイクよりも、あんな自転車にニーズがあったのでしょうね。今でも法律に「原動機付き自転車」なんて言葉があると思います。

エンジン付き自転車にも複数のメーカーがあったのでしょうが、写真で見ると、ホンダの「カブ」は私の記憶にあるものよりスマートです。そこが売りだったようです。
エンジン付き自転車はある頃からパタリと見なくなりましたから、つまり「スーパーカブ」に席巻されてしまったのでしょう。

「スーパーカブ」は藤沢武夫のアイデアをもとに、本田宗一郎のデザイン力と技術力が、ロングセラーとして結実したのです。
販売開始は1958年だそうです。私が5歳の時です。


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by 50TEMPEST | 2007-02-09 08:15 | むかーし、あったんだどー